スカイハイ

家具屋

スカイハイ

 いつか、空を飛んでみたいと思った。大空を翔けて、大地を見下ろして、誰のものでもないこの世界を手に入れてみたいと思った。

 だから、いつも上を見上げていた。晴れた日はどこまでも吸い込まれそうなほどの青を揺蕩って、曇りの日は暗く重い灰色を掻き分けその先を思い描いた。夜は空に散らばった灯火を指でなぞった。雨の日だって上を向いていた。濡れないようにと駆け込んだ橋の下からでも、目の奥にはいつもの青空が広がっているんだ。


 ◼︎◼︎◼︎


 その日も空を見ていた。よく晴れた夏の日のこと。

 修道院に帰るのがなんとなく億劫で、流れる雲をぼんやりと眺めていると、その隙間を鳥ではない何かが飛んでいくのが見えた。敵国の偵察機かと思って咄嗟に橋の下に隠れようとして、違和感に足を止めた。偵察機にしたって、小さいし、何より速すぎる。

「なんだ、あれ……」

 太陽の眩しさに目を細めながらその影を見ていると、段々とその影が大きくなっていることに気が付いた。――違う。大きくなってるんじゃなくて、こっちへと向かってきているんだ。

 慌ててもう一度橋の下に隠れようとしたが、遅かった。その謎の影――いや、はミサイルみたいな勢いでボクの目の前に着弾ちゃくりくした。

 

「――ねえねえ。君、もしかして一人かな?」


 舞い上がる砂煙に咽せていると、その中から聞こえてきたのは、女の人の声。

「もし一人なら、お姉さんと一緒に来ないかい?」

 やがて煙が晴れた中に立っていたのは、カーキ色の軍服を身に纏った、背の高い女性。砂煙の中にいたというのに汚れ一つないブロンドのショートボブを揺らしながら、彼女はボクへと手を差し出した。

 

 ――この人だと思った。

 ――この人が、ボクを空に導いてくれるんだと、そう思った。

 根拠なんてない、ただの子どもの直感だったけど、ボクは迷わず彼女の手を取っていた。

 その様子を見た彼女はニッと笑うと、ボクの目を空色の瞳で真っ直ぐに見つめ、

「アタシはクシェル! よろしくね」

 と、そう名乗った。


 クシェルと名乗ったお姉さんは、超能力者らしい。

 彼女は、空を飛ぶ能力を持っていた。

 翼もジェットも無しに、意思のまま自由に空を翔ける力。戦闘機よりも速く、より小回りが効いて、燃費もいいし敵に見つかりにくい。

 本来なら一生で一度会うかもわからないぐらい珍しいけど、戦争ではそういった超能力者が国内から集められていて、前線では普通に見かけるらしい。

 一騎当千の実力がある彼女たちを研究室に閉じ込めておくのも勿体無いと国は判断したようだ。


「詳しいことは基地で話そっか! 大丈夫、歩いてもすぐ着くところにあるからね」

 クシェルはボクの手を引いて歩き出す。

「……飛んでいかないの?」

「あはは……。アタシの馬力だと、人を抱えるとギリギリ飛べないんだよね。装備の重さもあるし」

「……」

 やっぱりこの人じゃないかもしれない。勘なんて当てにならない。


 それから数時間ほど歩いた。全然近くなかった。空を飛べる人間の距離感は普通の人間とはかけ離れてしまうらしい。

 日々を過ごしていた橋から川に沿って西へと向かい、小さな森を抜けた先に基地はあった。

「おや、随分と長いパトロールだと思ったが。その子どもはどうしたんだい? まさか隠し子……」

 手近なテントから出てきた白衣を纏う女性は、ボクの手を引くクシェルを見かけると、おもむろにそんなことを言ってきた。

「いやいやいや! そんなわけないじゃん! そういうのはまだ早いって〜〜!」

 顔を真っ赤にして否定するクシェル。熱くなった頬を手でパタパタと扇いで、咳払いを一つした。

「こほん。この子はね、東部の方で孤児になってた子」

「子どもを養う余裕はうちにはないぞ」

「いやいや。この子は将来有望だよ〜〜。見てよこの空色の髪! パトロールしてた時に見かけてアタシ、ビビッと来ちゃったんだよね!」

 ガシガシと頭が揺れるくらいの強さで髪を撫でられる。そんな理由でボクは連れてこられたのだろうか?

「結局好みじゃないか」

 白衣の――おそらく軍医の――彼女も呆れた様子で肩をすくめる。

「違う違う! 髪の色で見つけやすかったのはそうだけど、この子の目を見たときに感じたの! こういうのを運命っていうんじゃないかな!」

 クシェルはボクを、高い高いでもするみたいに、軽々と抱き上げた。突然のことに恥ずかしくなって、足をバタバタとさせるがびくともしない。伊達に軍人をやってるわけじゃないのが嫌でもわかる。

 そんなボクにお構いなしに、クシェルは目をキラキラと輝かせて、太陽みたいな笑顔を見せた。

「――この子は、いつか国を勝利に導いてくれる気がするんだ!」


 呆けるボクを地面に下ろすと、クシェルは白衣の女性へと目をやり、

「あっ。紹介するね、このキツそうな女の人はラファエラ! ウチの部隊の軍医だよ」

「次の治療は麻酔無しでいいみたいだな」

 と、ラファエラと呼ばれた軍医を引き攣った笑顔にさせていた。

「冗談に決まってるじゃん〜〜」

 笑いながら肩をペシペシと叩くクシェルにメスを投げて黙らせるラファエラ。

 そんな二人を流し見ながら、基地をぐるりと見回す。簡易的に展開されたものでありながら、かなりの規模だということが見てとれた。

「とりあえずここの仕事を一通り見せてください。で、その中で出来そうなことから地盤を固めていきます」

 そう提案すると、クシェルが露骨に嫌な顔をした。

「うわ、可愛くない子どもだなぁ〜〜。そんな理系な子どもを拾った覚えはないゾ?」

「うるさいですね。別に間違ったことはしてないじゃないですか」

 大体修道院にいるときから色んなことを任されて来たんだ。通り一遍やるやり方もシスターから教わったし。

「いいじゃないか。突然右も左も分からない職場に来たんだ。一通り向き不向きを知ってから仕事を宛てがうのが一番効率的だろう」

 さすが。もしかしたら彼女とは気が合うかもしれない。

「うわーこれだから理系の人たちは。口を開けば効率効率って。アタシと一緒に前線に来ようよー。きっと楽しいからさ!」

 運命という曖昧な理由でボクを連れてきたり、前線へと向かわせようとする辺り、クシェルは思っていたよりも相当アレな人物のようだ。まあそんな人にのこのこついて来たボクもボクだけど。

「楽しいからという理由で、子どもを死地へと誘うお前の方がよっぽど『うわー』だけどな」

 

 それから、ボクは基地の中の色々な仕事を経験することになった。

 掃除や炊事、洗濯といった修道院でも経験のある雑用から、戦争特有の物資管理、補給まで。経験して、改めて戦争には多くの人間が関わっていることを実感した。

「これだけ多くの人間が関わって、命の奪い合いをしてるのか……」

 同時に、そんな嫌なことにも気がついて苦しくなった。


 今日は医療班の手伝いに入っていた。地雷によって負傷した兵士の治療の補佐役だ。

 医療班には何人かの軍医が所属していて、今回治療を担当していたのはラファエラだった。

 治療は思いのほか早く終わった。その間ボクは、医学に関して何も知らなかったとはいえ、一人で全てを淡々とこなしていってしまうラファエラをただ茫然と見ているだけだった。彼女がどれだけ優秀な医者かを知るのには十分な体験だった。

「血に触れたところはしっかり洗うんだぞ」

 止血などの処置も終わって、後片付けに入っていた。兵士は、脚だけでなく頭部や腕に大きな傷があったものの、命に別状はないようですぐに復帰できるだろうと言うことだった。

「ん、お前、指に傷があるじゃないか」

 手を洗っていると、ラファエラが横からボクの腕を取り、人差し指をまじまじと見た。

「あ、本当だ……。地雷の破片を取り除いた時に切ったのかもしれません」

「消毒してやる。医務室へ戻れ」

「いや、いいですよこれくらい。ほっとけば治りますから」

 そう言って仕事に戻ろうとするボクに向けて、ラファエラは意地の悪い笑みを浮かべた。

「ほう? そうやって治療を怠り、指を切断してきた兵士を私はたーくさん見てきたんだがな。どうやらお前もそうなりたいらしい」

「……」

「よし。素直な子どもは嫌いじゃないぞ」

 軍医にそんなことを言われたら、そんなの大人しく言うこと聞くしかないじゃないか。


 ボクと兵士が治療を終えてから数週間が経って、荷物をまとめた彼がラファエラに見送られているのを見つけた。

「え、あの人、怪我はちゃんと治ったんじゃ……」

 思わず聞くと、ラファエラは重いため息を吐いて、医務室の椅子に腰掛けた。

「あいつは後方に行く。うまく眼の能力が使えないらしくてな。着弾確認から索敵まで、非の打ち所のない優秀なスポッターだったんだが。怪我の後遺症かな……」

 視力が良いというだけの目立たない能力だったがよくやっていたよ、とラファエラは悔しげに彼の治療記録をまとめた資料をパラパラとめくっていた。

「そんな、せっかく治ったのに……」

「違和感は本人が一番感じるからな。外野がどうこう言える話では無いさ。お前もそこまで気に病むな。こういうことは日常茶飯事だ」


 その日はクシェルと一緒に偵察任務へと当たっていた。さすがに前線へと出張るのは自殺行為なので、そこから左に逸れた森付近を調査することにしたのだ。

 最初クシェルはなんとかボクを連れていこうと粘っていたけど、ラファエラのメスが飛んできたあたりで偵察任務というところで落ち着いた。あの人は多分他の人がどれだけ危ないかとかあんまり理解してないんだろうな。

「まあそれでも十分危険なんですけどね……」

 前線ではないとは言っても、ここは国境線付近。敵国の斥候が潜入し罠を仕掛けていないとも限らない。

「大丈夫だよ! いざとなったらピュピュ〜って飛んで逃げればいいんだから!」

「それはアナタにしか出来ないんですよ……」

 呆れていると、クシェルはちっちっちと指を振り、それから自信満々に胸を叩いた。

「安心して! 今日は最低限の装備しかしてないから、ピンチの時はキミを抱えて飛べるよ!」

「普段どれだけの重さの装備をしてるんですか……」

 そんなやりとりをしながら進んでいくと、森の奥で何か影が動くのが目についた。手でクシェルに静止の合図を送り、目を凝らす。

「あれは、子どもか……?」

 最初は動物かとも思ったが、よくよく見ればそれは数人の幼い子どもたちだった。

「よく見えるねぇ。こっちはなんにも見えないよ?」

 クシェルも目を細めるが、それでもよく見えていないようで、双眼鏡を覗いてようやく視認出来たみたいだ。

「……どうしてこんな最前線に子どもが?」

「いや、人のこと言えないでしょ」

 クシェルが真顔で何か言っているがスルーして、目を凝らし続ける。子どもたちは何やらキョロキョロとしていて落ち着きがない。

 そして、その中の一人が後ろを振り向いた時に気がついた。背負うリュックに刻まれていたそれは――

「あのマーク、敵国のものですよ! これ、越境行為に当たるのでは?」

「だとしてもあんな何の備えもしてない装備で越境行為だなんて……」

 その時、ボクらの頭上を放物線を描きながら飛んでいく砲弾があった。それは流れ弾か、それともレーダーに入った異物を排除するためかは定かではなかったけど、確かに子どもたちの方へと向かっていて。

「このままだとあっちに着弾――」

 ボクが言い切るよりも速く、クシェルは子どもたちの下へと飛んでいた。砲弾より速く彼らに辿り着いたクシェルは、全員を抱えると急いでこちらへと戻ってきた。一連の動作は目でギリギリ追えるか追えないかのまさに一瞬だった。直後に着弾し、爆発が起きる。あのままあそこにいたら全員五体満足ではいられなかっただろう。

 抱えられた子どもたちも何が起きたのか分からずにただ茫然としている。

「いいんですか? 敵国の人たちですよ?」

 子どもたちが何をしてもすぐ動けるように、足に装備したホルスターに収められているナイフへと手を伸ばしながら聞いた。

 しかしクシェルは警戒なんて全くしていない様子で子どもたちに背を向けて、

「いいのっ。アタシたちはただ戦争に勝ちたいだけで、人殺しをしたいわけじゃないからさ!」

 そう笑顔で言い切った。

 ボクは眩しい太陽を見上げた時みたいに、目を細めることしかできなかった。

 それから子どもたちは、お礼も言わずに早足で去っていった。敵軍に越境行為をしていることがバレたから逃げるというのはわかるが、せめて一言あってもいいだろう。クシェルはそんなことも気にせず手を振って見送っていたけど。


 ◼︎◼︎◼︎

 

 その日はクシェルが上機嫌だった。彼女が明るいのはいつものことだが、鼻歌を歌いながら弾薬やら武器やらにまで挨拶をする姿は浮かれすぎていてちょっと怖かった。

「恋人だよ。今日から合流する部隊に所属していてな。クシェルはアイツが関わると阿保になるから面倒見てやれ」

「アホになんかならないよ!」

 頬を膨らませてラファエラに抗議するクシェル。しかしその数秒後には、にやけで顔が緩んでいた。

「十分アホですよ。その浮かれっぷりは」

 

 それから数時間もしないうちに、部隊が合流してきた。なんでも、南部の戦線に配属されてから、数週間でそこを制圧した精鋭揃いの部隊らしい。

「あっ! きた!」

 クシェルは部隊がやってきたことに気がつくと、目で追えないほどの速度でリーダーのような男の下へと飛んだ。

 リーダーの男は、ヨハンという名前だった。背が高くて、すらっとしているようだけどよく見れば鍛えられている肉体を持った、灰色の髪の気品漂う青年だった。右目が赤色のオッドアイになっていて、彼もまた能力者なのだと直感的に理解した。


 それからというもの、クシェルは絶好調だった。

 前線ではヨハンに続いて素晴らしい戦果を挙げ、いつも以上に明るいオーラを振り撒く彼女のおかげで部隊の空気もより活発なものになっていた。

 幸せそうな彼女を見ているのは悪い気分じゃなかった。


 いつしかボクは空を見上げなくなっていた。


 ◼︎◼︎◼︎


 その日は前線をより広く展開するための作戦を行なっていた。訪れたのは以前に偵察に来た森。

 今日はちゃんと装備も固めて、もし戦闘が起きても大丈夫なように対策している。ここは国境線付近。まだ包囲の薄いここ一帯を獲得し、横から敵を叩くための陣になる予定だ。

 地面を掘って、壕を作っていく。ここに来てから数ヶ月は経って、だいぶ体力も筋肉も付いてきたと思っていたけど、やっぱり子どもには結構な重労働だ。隣で涼しい顔をして、ボクの三倍ほどのスピードで掘り進むクシェルが違う生き物に思える。

 それでも、負けていられないと息を吸ってスコップを突き立てたとき、何か硬いものがスコップに当たった感触があった。

 そして刹那に理解する。地中に埋まっていたそれは、地雷。しかも対人用ではなく、対戦車用の凄まじい威力を内包するそれが、そこにはあった。

「危ない!」

 咄嗟にクシェルは、覆い被さるようにして地雷からボクを守る。ダメだ、飛んで逃げないと。ボクを抱えたら飛べないじゃないか。せめて、あなただけでも、

「く――」

 出そうとした言葉が音になるよりも速く、閃光が視界を塗りつぶして、

 そして、

 爆ぜた。

 至近距離での爆風はボクを容易く吹き飛ばし、数メートル先へと転がした。それでもボクに大きな外傷は見当たらない。それは、クシェルがボクを庇ったからだ。自分が飛べるギリギリまでに固めた装備は、地雷の爆熱と破片をボクへと届かせることなくその仕事を完璧に果たしたんだ。

「く、クシェル!」

 地面を不自然な体勢で転がった為に痛む体を無理矢理起こし、彼女の下へと走る。

 土に塗れたブロンドの髪は美しさなんて微塵も感じられないほどに惨めだった。

 背中の大きな傷を見て見ぬふりして、クシェルを抱き起こす。何度呼んでも返事はない。息も、ない。目には、あの綺麗だった、空色の瞳には、もう、光はなかった。

「あ……」

 そんなどうしようもない事実に、喉が不自然に痙攣する。唇を強く噛んで、彼女の瞼を閉じた。

 空を飛べるはずの彼女は、地中に埋まった爆弾によって殺された。

 抱えて飛ぶことが出来ないから、一人逃げずにボクを守って死んだ。

 どうして? なんでボクなんかを守って死んだんだ?

 アナタが生きるべきだったんだ。ボクなんかより、アナタが生きて、ただ幸せでいてくれたらよかったのに……!

 でも、目の前の彼女は何も言わない。ただの死体だ。

 ふざけるな。ふざけるな。

 喉が急速に乾いていくのを感じる。体温がどんどんと下がるのを感じる。

 森の奥で、こちらを見て震えている人影があった。

 あれは、クシェルが助けた子どもたち……?

「ああ――。そうか。お前らがやったのか」

 助けた恩すら忘れて。無慈悲に。残酷に。

 いや、あいつらもまさか自分の恩人を殺すなんて夢にも思ってなかったんだろう。

 これは戦争。そういう世の中だ。


 冷たくなったクシェルを抱えて、基地へと戻った。ちょうど訓練をしていたヨハンがこちらに気がつき、血相を変えて駆け寄ってくる。ボクの表情を見て、ヨハンは事態をすぐに察した。

「……クシェルは、キミを守って死んだんだろう? ……立派じゃないか。最期まで胸を張れる生き方を、してたんだな……」

 ヨハンは涙ぐみながらボクを力強く抱きしめた。

 そこには怒りや恨みの感情なんて無くて、ただ悔しさと切なさに満ち溢れた抱擁だった。


 ……怒れよ。なんでお前が生きてるんだって。お前が死ぬべきだったって。そうやって理不尽に罵れよ。どうしてアナタ達は揃いも揃って優しいんだ。

「……もう、いいや」

 その優しさが、やがて仇で返ってくるとしたら、ボクはそんな情けはかけない。

 その優しさが、自分の命を粗末にする理由なら、ボクはそんなものいらない。

 どこまでも、どこまでも非情になってやる。

 お前らが終わらせたいものはボクが代わりに全部終わらせてやる。だから――


 ――だから、全部よこせ。


 怒りに身を任せたまま、足のホルスターからサバイバルナイフを抜いて、ボクを抱きしめるヨハンの背中に突き立てていた。


「な、に……を」

 

 ボクは、他人の血を取り込むことで、その人の持つ能力を奪えるらしい。

 クシェルの血を浴びてわかったことだ。

 いつ覚醒したのかはわからない。知りたくもない。

 こんな能力があるなんて気づきたくなかった。


 クシェルは死んだはずなのに、彼女の一部はボクの中に生きている。そのことがどうしようもなく気持ち悪かった。

 彼女を自分のものにしたいわけじゃなかった。ボクを見て欲しいなんて思ってなかった。ただ、幸せに、笑って生きていてくれたらそれで良かったのに……!

「大丈夫。致命傷じゃないですよ。でも肺が傷ついてるだろうから、早くラファエラのところにいって治療してもらって。安心してください。アナタが快復するまでに全部終わらせてくるから」

 ラファエラから人間の構造はあらかた教わっていた。どこに傷をつければ、命を奪わないまま相手の動きを止められるかなんて、昨日の夕飯を思い出すくらい簡単に思いつく。

 ナイフにべったりと付いた血を指で掬い取って舐めた。右目に熱が籠るのを感じると、そのままボクは宙へと舞い上がった。


 最初に目指したのは、クシェルの命を奪った地雷が仕掛けられているポイント。

 森を抜け、少し開けた土地には、いくつも地面を掘ってまた埋めた跡が、かすかに見える。それを見て、また怒りが強くなったのを感じた。胃が捩れるような不快感と吐き気に顔を顰める。

「どれだけ無駄に命を奪えば気が済むんだよ……」

 いや、違う。戦争なんだから当たり前じゃないか。やってやり返しての毎日じゃないか。こんなものは今まで飽きるほど見てきた。人間の悪意なんてもう知り尽くしているはずなのに。

 不快感をぶつけるように、その忌々しい地面を、

 その瞬間、視ていた地面が。まるで紙を丸めるみたいに、地雷ごと地表がめくれ、一点に収束していく。

 金属同士が擦れる耳障りな音を周囲に響かせながら。

 起爆した地雷の、その爆風さえ圧縮させながら。

 いきなり無理をした反動で右目から血が流れ、それでも圧縮を続けた。やがて開けた土地を覆っていた地表は、サッカーボール程度の大きさにまでになり、捲られて土色が剥き出しになった地面へと落ちていった。

 ヨハンの能力は、自分の視界に入った物体を圧縮させられる能力。

「……クシェルの能力と、相性ばっちりじゃないか」

 そんな事実が今はひたすらに不快で、悔しくて、視界が赤く染まっていくのも気にせずに荒れ果てた大地をただ見下ろしていた。

 それから少しして、地雷が爆発していく音を聞きつけたのか、向かい側の森の奥から敵兵がこちらへと向かってくるのが見えた。その中には、あの子どもたちも混ざっていて。

「…………」

 右目から流れていた血を袖で拭って、彼らを見据える。

 ヨハンは優しいから、武器や弾薬しか圧縮してこなかった。それだけで十分に戦力は削れるけど。

「敵の武器だけじゃなくて、敵も圧縮すればよかったんだ」

 だから、とりあえず目についた敵兵の、足首だけを圧縮した。

「え? あ……ぎ、あぐああああっ!?」

 突然足とふくらはぎを引き離された兵士は、何が起こっているのかわからないまま悲鳴を上げる。

 戦争では、人を殺すより、死なない程度に怪我をさせる方が相手の戦力を削ぐのに効果的らしい。

 死んだら諦めるしかないけど、怪我人は治療をしなきゃいけないし、その分人手と物資を消耗するからと、そう苦々しく言っていたのはラファエラだったっけ。

 空を翔けて、視て、潰す。

 クシェルほどの速さは出せなかったけど、それでも鳥より速く飛ぶ兵器ボクを、敵はどうにも出来なかった。

 

 ボクが所属していた基地が前線を大きく押し上げたのは、それから数日もしないうちのことだった。

 

 あの日からボクは基地に帰っていない。

 あれだけ広くて、どこまでも続いて終わりのないはずだった世界が、とても狭く見えた。

 あれだけ憧れた空は、見下ろしたいと思っていた大地は、酷く空虚でつまらないものだった。

 違う。ボクがつまらない人間になったんだ。

 空を見上げることもなくなって、ただ戦場を見下ろすばかり。

 

 今日も、ボクはただ人を傷つけ続ける。

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