第5話

 魔王は勇者を執務室へ呼びつけた。勇者が扉を開けると、執務室には上位魔族のなかでも役職付きの面々が勢ぞろいしていた。いつも手合わせする時のような賑やかな雰囲気はなく、静かに張り詰めていた。

「諸君。聞き及んでいるだろうが、私は人間に戦争許可区域の提案をする。その使者として勇者を選定した」

 魔王は勇者を皆の前に呼び寄せた。上位魔族たちからは不満の声は上がらず、皆当然といった表情だった。

「人間の協力者、それも勇者という肩書き付きだ。この機会を逃す訳には行かない。反対するものはいるか?」

「魔王様の御心のままに」

 上位魔族達は声を揃える。全会一致で、勇者は魔族側の使者となった。


 上位魔族達が退室し、執務室には勇者と魔王だけになった。魔王は椅子に深く座り直すと、深いため息をついた。

「威厳って背負うだけで疲れちゃうよね。あぁ早く魔界に帰りたい」

「アシスタンスに怒られますよ」

「勇者が告げ口しなければ大丈夫だ。さて勇者よ、魔族のために働いてくれるな?」

 勇者は明朝、王都へ旅立つ。魔族領で鍛えられた走力とスタミナで、普通なら2日かかる道のりを1日で済む見込みだ。

 戦争許可区域という、初めての試みを人間側が受け入れてくれるかが課題だ。

「勇者よ。人間はなかなか残酷だ。貴様の言うことを素直に聞いてくれると思うか?」

「人間側も疲弊しているから、戦争許可区域でも一旦休戦状態になるのなら万々歳だろうし、一も二もなく賛成すると思うけどな」

「まぁ、危害を加えられそうになったら走って逃げてくるのだな。そのときには身の程知らずの人間たちに、魔王と勇者が手を組んだらどうなるか見せてやろう」

「今の僕と戦って勝てる人類はいないと思います。その時はその時で考えようかと」

「ずいぶんと自信があるな。足元救われるなよ、人間は怖いぞぉ!」

 魔王は両手を掲げ勇者を脅す。おちゃらけた様子の魔王に、勇者は大声をあげて笑った。


 勇者は、少しの水と食べ物、そして魔王からの親書を持って王都へ旅立った。魔族の面々は、城の窓という窓から勇者に手を振って無事を祈った。

 勇者は順調に魔界から抜け出し、王都へ向かって走った。パーティから追放されてさ迷っていた森まで来ると、森や近くの集落が魔獣に荒らされて無人になっていた。爪痕や血しぶきの生々しい跡が残る家で勇者は少し休み、また出発した。覚えのある街並みは、全体に埃を被せたかのように薄汚れていた。軍や自警団が機能しなくなってきているのかもしれない。勇者は足を早めた。

 勇者は、夜が開ける前に王都についた。王城はかわらず煌々と輝いていた。勇者が門扉に近づくと、門番は慌てて中へすっ飛んでいき、仲間を連れて戻ってきた。

「勇者!魔族側に寝返ったそうだな!」

 門番たちは勇者を取り囲み口々にせめるが、当の勇者はどこ吹く風。全員のしてしまうのは簡単だったが、交渉を最初からぶち壊しにするのは避けたかった。

「魔王から親書を預かってきた。ここを通してくれないか」

「魔王の手先を通す訳にはいかん!」

 門番の持つ槍の切っ先がジワジワと勇者に向かってくる。門番が騒ぎ始めて数分が経っていた。それでもこの場を諌められる者が出てこないのは、こちらの話を聞くつもりは無いのだろう。勇者はそう判断し、ため息をついた。

「観念するんだな!へなちょこ勇者」

 門番たちは勇者が諦めたのかと思い、捕縛してやろうと一気に距離を詰めてきた。しかし門番らの槍先は空を切り、お互いに触れ合ってガシャリと音を立てた。

「何!?」

 次の瞬間、重なり合った槍先に勇者のつま先が乗った。勇者は槍が刺さるその瞬間跳躍し、そして驚異のバランスで槍先に飛び乗ったのだ。勇者の体重に耐えきれず、門番たちは槍を掴んだまま地面に全身を叩きつけられた。

「痛え!勇者このやろう待ちやがれ!」

「やだね!」

 門番たちがふらついている間に、勇者はさっさと駆けだしていた。怪我は最小限に抑えたはずだ。暫く手指が使い物にならないかもしれないけど、それは許してもらおう。そんなことを考えながら、王城の中を風のように駆け回り、ついに王の部屋へたどり着いた。

 勇者が王の部屋に来たのは、神託後に勇者を拝命して以来だ。そのときにはいたはずの、扉の前で警備をする者がいない。城内を駆け回ってあちこち騒ぎになっているはずなのに、ここだけは静かだ。

「よくきた勇者よ。今は使者と呼ぶべきかな?」

 恐る恐る開けた扉の向こうには、王とその側近がいた。罠が仕掛けられていると気を張っていた勇者は拍子抜けし、その場で立ち尽くしてしまった。

「入室を許可しよう。こちらへ」

 王は何か書き物をしながら、目線を少しこちらへやるだけだった。側近も、そばで立ってこちらを見ているだけだ。

 勇者は部屋へ入り、王の前まで来た。王はその間、勇者に一切目もくれなかった。

「親書を」

 王の一言で、側近が盆を持ち勇者の側へ来た。勇者は促されるままに親書を盆に置き、側近がそれを王の元へ運んで行った。

「勇者よ。追放されたのは不憫だったと思う。しかし人間を裏切り魔族側につくとは随分大胆だな」

 王は書き物が一段落すると、魔王からの親書をペーパーナイフで丁寧に開封し読み始めた。

 勇者は部屋に入ってから、大変な重圧で喋ることが出来なかった。王は何もしていないはずなのに、全身を鷲掴みにされ、王の気分1つで握りつぶされるような恐怖があった。前回の、勇者拝命の時もそうだった。間近で会う貴族はこんなにも神々しいのかと、緊張でそう感じるのだと思っていた。しかしそれは思い違いだった。魔族に鍛えられた勇者には、この恐怖の理由がわかっていた。王は、鍛えられて強くなったはずの自分を凌駕する力を持っている。

「戦争許可区域ねぇ。随分と舐められた提案だ。しかしこちらも消耗戦なのは事実。ここは国民の鬱憤を解消するために良い手かもしれないな。しかし私ひとりではい良いですよと決める訳には行かない。数日後に返事を出そう」

 王はそれだけ言うと、側近に何か伝えた。勇者は側近に促され、帰路に着いた。あんなに騒いでいた門番も、静かに勇者を見送るだけだった。

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