第3話

 ウェメザは勇者に魔界式の武術を叩き込んだ。しっぽやかぎづめのない、柔らかい体を持つ人間に指導するのは初めてだったが、多くの武人を育ててきたウェメザには些細なことだった。力の強いものこそ正しいとされ、圧倒的なパワーを持つ魔族が跋扈する中で、非力なウェメザは正攻法で太刀打ちできない。ウェメザの武器は素早さとしっぽの先にある針から出る毒液、そして知力だ。非力なウェメザの戦法は、非力な人間に最適である。勇者はめきめきと実力をつけていった。

 最近はウェメザだけではなく、役職を与えても現場一筋な切り込み隊長ガンジョー、力じゃ魔界領トップのゴーケンなど、魔王軍を支える強豪たちからも勇者は目をかけられている。体の使い方、魔法の使い方、想定する敵の強さや特性でどう戦略を決めるか。戦ううえで必要なことを、様々な角度から実践的に学ぶ。勇者も呑み込みが早く、数週間で魔族領に連れてきた時よりも格段に戦闘技術が上がっているのが見て取れた。爆発させるだけだった魔法は大きな的なら狙って当てることができるし、ただ攻撃するだけでなく簡単な治癒や防御も使えるようになっている。飄々としてつかみどころのない男だった勇者が、魔族と語り合って笑うようになっていた。

 

 魔王は部屋の水晶玉を通して彼らの訓練風景を眺めていた。最近はほかの世界ののぞき見は控え、勇者の動向に夢中になっていた。

「勇者はすごいな。目を見張る上達速度だ」

「出立するまでずっと村で過ごしていましたからねぇ。ちゃんとした戦闘訓練を受けるのはこれが初めてなのでしょう」

「え!?あの勇者戦闘の心得がないの?」

「魔王様はずっとほかの世界に夢中でしたからねぇ」

 アシスタンスはじっとりした目で魔王を見やる。魔王はたじたじになりながら言い訳を探すが、見つからなかったので黙るしかなかった。アシスタンスは続ける。

「彼は王都からも魔族領からも遠い、平和な村で農民として暮らしていたのですよ。それが急に勇者として神託が下り、一人王都へ連れてこられ、あれよあれよと間に勇者御一行の旗印として祭り上げられたのです」

 勇者は、ただの農民だった。両親や友達と同じく、生まれた村で育ちそして死んでいく定めだった。しかし教会の神託により勇者となった。勇者というものは常に危険が付きまとう。魔王のもとまでたどり着けることもまれだし、ここ数百年に発生した勇者たちは魔王にたどり着くことなく志半ばで倒れている。魔族の感覚ではそんなものと切り捨てられる周期だが、人間からすると勇者に選ばれるということは苦しい道のりの半ばで冷たい地面に伏し死ぬ未来が決定したということだ。しかし小さな村だ、教会と王族の決定を覆すことなんてもちろんできない。まだ子供だった勇者をせめて華々しく送ってやろうと、村は総出で勇者の出立を祝った。

「へぇ、そんな生い立ちなんだ彼。でもどうして戦闘に関しては素人同然なんだ?」

「本当に何も知らないのですね魔王様」

 勇者は王都につき次第、さっそくパーティをあてがわれた。彼らは王立学校の出身で、もともとは別の勇者とともに出立する予定だった。しかし彼らの勇者は他国の姫君に気に入られ、政略結婚のために嫁いで行ってしまったのだ。急にあいたポジションを埋めるのに選ばれたのがかの勇者だった。王立学校といえば貴族の子供が通い、勇者付きのパーティといえば貴族の次男坊三男坊が一旗揚げるために希望するものだ。ぽっと出の農民に従うなんて彼らのプライドが許すはずなく、彼らは勇者によそよそしい態度を崩さなかった。勇者も村の領主様より偉い人間に今まであったことがないから、そんな態度の貴族に話しかけることもできず、たった数週間過ごしただけの微妙な距離感のまま彼らは出発した。

「どうしてそんなに急いで出立させたんだ?」

「魔王様はご自分が考えた作戦もお忘れですか?最近歯ごたえのある勇者が来ないからってちょっと人間をせっついてみようと思いつかれたあの作戦ですよ」

「中ボスの回復2回キャンペーンか……それで勇者の数が減り、付け焼刃のまま出陣させられたわけか。私のせいだな」

「さようですね」

 勇者は初めての戦闘訓練で右も左もわからないまま出陣させられた。訓練での疲労が残る体を引きずり、一行の後ろをついていく。弱い魔物は訓練と称し勇者一人で向かわせられ、それでどうにか実力はついてきた。旅も半ばになると仲間とそれなりに打ち解けて来た様子だったが、強くなってきた勇者の力を抑えることができずたびたび仲間を傷つけ、ついに先日追放されてしまった。

「追放するなら故郷に返してやればいいのに。人王も納得するだろうよこの数々のやらかし……あれ?」

 魔王はアシスタンスから受け取った資料をめくる。訓練中の魔法の暴発で指南役が負傷、道中では死角から襲ってきた魔族にとっさに放った魔法がメンバーを傷つけ、周りの建物を壊す。そして件の盾役の負傷。最初の訓練中の事故以外、勇者は誰かを守るためにやったことで周りに被害を出してしまっていた。

「これ勇者悪くないんじゃないか。指向性のない魔法に当たっただけで死ぬような人間がおかしいよ」

「私も同意見ですが、人間はとてももろいのですよ。そして魔王様、残念ながら勇者の故郷はもうありませんよ」

「え?」

「勇者の置かれている状況を知って、勇者の帰還を乞う嘆願書が出されたのですが、人王がそれを握りつぶすついでに魔獣を追いやり処分する地と制定したのです」

「魔獣の処分地って、人間たちがやむを得ず制定する土地だよな?2代前の魔王が作り出した自動繁殖する魔獣をまとめて爆破処理するための」

「はい。本来ならば魔獣の集まる地域か、王家へ謀反を企てた貴族の領地が候補となります。故郷の村人たちは散り散りになり、その地は現在荒野となっています」

「人間って本当に味方以外には冷酷だよな。勇者はそれ知っているのか」

「えぇ。制定後散り散りになった家族からの手紙で知ったようです」

 魔王は頭を抱える。すでに何度か故郷の話をしてしまった後だった。のらりくらりと話す様を見て、魔族を信用していないのだと思っていた。すでに故郷はなかったのだ。人間的にはまずい対応だったはずだ。魔王は、部屋の隅に積み上げられたほこりまみれの資料を見やる。新しく出立した勇者一行の資料なんて、魔族領付近まで接近して初めて読む程度だ。死にに来た者の生い立ちなんて興味もない。今の勇者の資料も埋もれているのであろう。今すぐ手を伸ばしたいが、仕事の手を止めることを許さないアシスタンスの目線が痛く断念した。

「勇者のことはよくわかりましたか?これからはもう少し本来の仕事に励んでいただけると幸いです」

「わかっている!まったくお前の語りは聞かせるなぁ。吟遊詩人になったらどうだ」

「魔王様が私がいなくても仕事が回せるようになったら吟遊詩人として生活してみますよ」

 魔王はアシスタンスの監視に耐えながら、勇者抜きのパーティを蹴散らす布陣を考える仕事に戻るのであった。

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