写真を『組む』

 芸術としての写真に触れたことのない方にはあまり聞き馴染みがないでしょうが、複数の写真をひとつの作品として扱うことを『写真を組む』と表現し、作品そのもののことを『組写真くみしゃしん』と呼びます。

 文字の分野で例えるなら、詩歌でいう連作や、小説でいうテーマ短編集のようなもの……といったところでしょうか。


 実はこの『写真を組む』という行為は存外に難しいもので、あまり気を抜いていると、組んでいる途中で『作品全体として何を表現したいのか』というの部分を見失ってしまうのです。

 例えば、海辺の街を撮影した写真から5枚を選んで、コンテスト用の組写真を作るとします。

 5枚のうち4枚は砂浜で撮った『砂浜だとわかる写真』なのに、残り1枚を、砂浜はおろか海すら想起させない……たとえば『うまく撮れた土産物屋の看板猫』の写真なんかにしてしまうのは、あまりいい判断とは言えないでしょう。

 砂浜なら砂浜、猫なら猫という、テーマやモチーフの統一感を持たせ、より作品全体に深みを持たせることが、写真を組むことの意義です。

 もちろん、意図があって写真を選んでいることもあるでしょうが、そのことを作品を鑑賞する側が受け取れるかどうかは別です。

 他人に意図を受け取ってもらえなければ、その意図は存在しないのとほとんど一緒です。

 鑑賞者のために『通路をアスファルトで綺麗に舗装しろ』とはいいませんが、誘導するためのくらいは、作者に用意しておいて欲しいものです。


 そして更に、もしあなたがコンテストの審査を勝ち上がりたいなら、単に『砂浜』『猫』で5枚選ぶのではなく、『砂浜で人生の1ページを過ごす人々』や『海辺の街に降り注ぐ太陽光で日向ぼっこを楽しむ猫たち』など、より詳細なディテールのあるテーマだとなお素晴らしいと言えます。

 これは私が実際にフォトコンテストの0.5次選考……書類に不備が多いものや、著しくコンテストの趣旨に沿わないと思われる『要注意』の作品を選り分ける仕事(あくまで落選の判断をするのは1次選考の方々)を過去に何度かやった経験を踏まえているので、恐らくは正しいと思われます。

 封筒を開けて中の作品を見た時に『あぁ、コレはたぶん無理かな』と感じたものが佳作を受賞したのは、本当に数えるほどしかなかったように記憶しています(大賞などは言わずもがな)。


 よく『わたしの意図に気づけないなんて、この審査員の感性はおかしい!』なんて言ってる人もいますが、だいたい審査員の先生にお見せするのは最終選考か、早くてそのひとつ前とか、そのくらいのものです。

 それより前に、過去の私のような仕分け人による作業や、出版社や主催企業の、作家素人同然(あくまで先生方と比べての話です)の人間が大勢間に挟まることを理解してください。

 コンテストに応募する際には、一般人のフィルターを潜り抜けたうえで、作家先生方の完成まで震わせることのできる作品作りを心がけよう。

 私はそう考えています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

針より刃 トーセンボー(蕩船坊) @mottlite

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ