第3話 ヴァルとの出会い

「あたしのことを知ってるんですか?」


 動揺しながら問いかけた美澪に、少年はにこりと人好きのする笑顔を浮かべ、


「知ってるよ。だって美澪は、ボクの愛し子エフィーリアだもの!」


 と言って、無邪気に顔を寄せてきた。


 少年の顔が間近に迫り、美澪はとっさに上体をのけ反らせる。


(近い近い近い!)


 美澪より――目測で、頭一つ分くらい――背の高い少年は、ともすれば、互いの鼻先がくっつきそうな距離でにこっとほほ笑んだ。


(きれいな子)


 美澪は不躾ぶしつけにも、少年の顔をまじまじと観察した。それに対して少年は、嫌がるそぶりを見せることはなく、にこにこと笑顔を浮かべている。


(年齢は14、5歳くらいかな……?)


 少年の顔立ちは外国人のように彫りが深く、顎のラインはシャープだが、頬がわずかにまろく、それが幼い印象を与えた。肌は白磁のように白く滑らかで、瞳を凝らしても毛穴ひとつ見えない。


 そして秀眉の間には、スッと通った高い鼻梁びりょうと薄くて形の良い唇が収まっており、二重目蓋の眼窩がんかまっているのは、深い紫みを帯びた瑠璃色の――まるでラピスラズリのような輝きを放つ瞳だった。


「――美澪?」


「ぁ、」


 透明感のあるテノールの声に名を呼ばれ、ようやくわれに返った美澪は、羞恥と気まずさに慌てて顔をそらした。そして、


「ち、近くないですか? あの、もう少し離れてもらえません!?」


 そう言って赤く染まっているだろう顔を隠すようにうつむくと、少年は意外にあっさりと離れてくれた。


 美澪がホッと胸をなでおろしていると、


「ごめんごめん! ボク、美澪のことが大好きだからつい……」


 そう言ってなぜか好意を示されて、美澪は「えぇ……?」とたじろぎながら、ずっと心に引っかかっていた疑問を口にした。


「……あの、すみません。質問なんですけど。『えふぃーりあ』ってなんのことですか? あと、ここってどこですか? あたし、さっきまで違う場所にいたんですけど……。それにあたしは、あなたのことを知りません。もしかして誰かと間違えていませんか?」


 ずっと言いたかったことを言い終え、ふぅと一息ついた美澪の頭上から、プッと吹き出した笑い声が降ってきて、美澪はムッと顔をしかめた。


(失礼な子ね!)


 しかし少年はなおも肩を震わせながら笑い続け、美澪の機嫌を損ねていった。そんな美澪の様子を一瞥いちべつし、なんとか笑いを収めたらしい少年は、目尻に浮かんだ涙を拭い去り「ごめん、ごめん」と謝ってきた。


「……あたし、笑われるようなことを言いましたか?」


 不機嫌を隠そうともしない美澪に対して少年は、「ううん。言ってないよ」と、こともなげに言い切った。

 

「なんか、一生懸命にしゃべってる美澪がかわいくって! あれ何? これ何? ってせがんでくる子どもみたいでさぁ~。うん、やっぱり本物はいいね! ……ぷくく、あーほんと、ボクの美澪はかわいいなぁ~!」


 上機嫌で意味のわからないことを言い連ねる姿にあきれるしかない。


「……まあ、もうこの際、なんでもいいですから。とりあえず、あたしの質問に答えてもらってもいいですか」


 投げやりに言った美澪に対して、少年は気を悪くするでもなく、


「いいよ! まずは自己紹介ってやつからだね!」


 と妙に意気込みながら、その場でくるりと一回転してポーズを決めた。


「こほん! ボクの名はヴァートゥルナ。ペダグラルファ建国に携わった神々の中の一柱ひとはしらで、今は水の国ヒュドゥーテルの守護を司っているよ。気軽に“ヴァル”って呼んでね!」


 言ってヴァルは、右手を胸にあてて優雅にお辞儀をしてみせた。その時、顎のラインで切りそろえられた癖のない真っすぐに伸びた髪が、白い首筋にさらりと流れた。まるで宵やみを連想させる紺青の髪色と、雲間から差し込むヤコブのはしごが神秘的な美しさを演出していて、美澪は思わず見惚みほれてしまった。


 ――とはいえ、さすがに突拍子もない話だ。


 美澪が「あなた……ヴァルは神様なんですか?」と半信半疑で尋ねると、ヴァルは、「うん、そうだよ!」と得意げに胸を張ってみせた。


 美澪はヴァルの身体からだを、足の爪先から頭の先まで無遠慮に眺め回し、


「信じられない……」


 と独り言のようにつぶやいた。そもそも、ヴァルの人間離れした容姿を除けば、一見、美澪と同じ人間と大差ない。


 確かに、絵画に描かれている神や天使は大抵が人のなりをしているが、それは人間が想像した姿であって、ヴァルの話はにわかに信じがたいものがあった。


 そんな美澪の心の内を見透かしたように、ヴァルは心外だと言いたげに目を細めて言った。


「美澪、ひどい。ボクが神だって信じてないでしょ」


 はい、そうです。と言えるわけもなく、美澪はぎこちない笑顔を返した。


 対するヴァルは、幼い子どものように頬を膨らませて、ねているのが一目瞭然だった。


「ご、ごめんなさい。怒っちゃいましたか……? 悪気はなかったんですけど、ヴァルの言うことはあまりにも非現実すぎて、すぐには受け入れられないというか……。決して、ヴァルのことを信じてないとか、そういうことではなくて」


 機嫌を損ねてしまった子どもをなだめるように言うと、口をとがらせていたヴァルは、ちらりと視線を送ってきた。

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