第2話 ヴァルとの出会い−神域−

 美澪は、自分と同じ瑠璃色の瞳と紺青の髪色をした少年の姿に目を丸くしたあと、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。


「……あたしのこと、知ってるんですか?」


 警戒しながら問いかけた美澪に、少年はニコリと人好きのする笑顔を浮かべ、


「知ってるに決まってるじゃないか。だって美澪は、ボクの愛し子エフィーリアだもの!」


 と言って、無邪気に顔を寄せてきた。


 少年の顔が間近に迫り、美澪はとっさに上体をのけ反らせて、一歩二歩と後退した。


(なんなのこのひと……。パーソナルスペースが狭くない?)


 美澪は眉間にシワを寄せて不快感をあらわにすると、少年の身体からだを、足の爪先から頭の先まで無遠慮に眺め回した。


(年齢は15、6歳くらいかな? ……それにしても綺麗な顔ね)


 美澪は警戒しながらも、不躾ぶしつけに、少年の顔をまじまじと観察した。それに対して少年は、嫌がるそぶりを見せることはなく、むしろ嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべている。


 なにが嬉しいのか、ひたすら笑顔を浮かべる少年の顔立ちは、外国人のように彫りが深かった。顎のラインはシャープだが、頬がわずかにまろく、それが幼い印象を与える。肌は白磁のように白く滑らかで、瞳を凝らしても毛穴ひとつ見えない。


 美澪は顎に指をあて、少年の顔をじーっと見つめたあと、首をかたむけた。


 秀眉の間にスッと通った高い鼻。薄くて形の良い唇。そして二重まぶたの眼窩がんかはまっているのは、美澪と同じ瑠璃色の、深い紫みを帯びた――まるでラピスラズリのような輝きを放つ瞳だった。


 あまりにも自分に似通った――少年には遠く及ばないが――容貌の少年に、美澪は不審感を抱きながらも、ほんのわずかに親近感を感じつつあった。


(あたしに兄弟がいたら、このひとみたいな容姿になりそうな気がする……)


 思考の渦にはまりかけていた美澪の耳元で、


「――美澪?」


 と名を呼ばれ、美澪はようやく我に返った。


(~~だから距離が近いんだってば!)


 美澪は、左耳を押さえながら三歩後ろに下がると、ずっと心に引っかかっていた疑問を口にした。


「ここはどこですか」


「ここはボクの神域だよ」


「しんいき?」


「そう。神の領域さ」


 美澪は驚きに目を見張りながら、行儀悪く少年に向かって指をさした。


「あなたって、神様、なんですか?」


 動揺を隠すことなく半信半疑で尋ねると、少年は、「うん、そうだよ!」と得意げに胸を張ってみせた。


「信じられない……」


 そう独り言のようにつぶやくと、少年はパン! と両手を合わせた。


「そういえば、自己紹介がまだだったね! ……こほん! ボクの名はヴァートゥルナ神。気軽に『ヴァル』って呼んでね!」


 明るく言ったヴァルは、右手を胸にあてて優雅にお辞儀をしてみせた。そのとき、顎のラインで切りそろえられた癖のない真っ直ぐに伸びた髪が、白い首筋にさらりと流れた。まるで宵やみを連想させる髪色と、雲間から差し込むヤコブのはしごが神秘的な美しさを演出していて、美澪は不覚にも見惚みほれてしまった。


「――どう? ボク、かっこいい?」


「えっ」


「ねぇ、かっこいい?」


 美澪の心を見透かしたように、ヴァルは蠱惑的な笑みを浮かべる。その表情を見た美澪は、頬が熱くなるのを感じて、赤くなった顔を隠すようにうつむいた。


「べ、べつに、普通……です」


 相手がイケメンだからと、簡単にほだされそうになっている自分を認めたくなくて、美澪は苦しまぎれに嘘をついた。


 頑なな態度を崩さない美澪の様子に、ヴァルは「しょーがないなぁ~」と眉尻を下げて、おもむろに右手の指を鳴らした。

 

 すると驚くことに、空の色が黄昏たそがれへと変化したのだ。深い群青色に黄やだいだい、赤などの色が線状に交わって美しいグラデーションを作り出し、空にかかる雲の群は黄昏色に色づいて、それらが鏡合わせの水面に映る景色はなんとも幻想的だった。


「凄くきれい……」


 眼前に広がる美しい景色に思わず瞳を奪われていると、ヴァルがくすっと笑う気配がした。「どう? 気に入った?」と聞かれて、ハッと我に返った美澪は、不承不承ふしょうぶしょうこくりとうなずいた。


「……ねぇ、ヴァル。あなた、なんでこの場所の天候を操れるんですか?」

 

 警戒していた猫が、少しだけ心を許し始めたような美澪の様子に、ヴァルはニコッとほほ笑んだ。


「ここがボクの神域だからだよ。なんでもボクの思い通りにできるんだ。――ようは、ボクの心象風景ってことかな」


(心象風景……)


 つまりここはヴァルの心の中の景色ということだ。


 しかしそれにしては、


「何もないですね……」


 ぽつりと口をついて出てきた言葉は、なんともいえない哀愁を含んでいた。そしてなぜか、寂寥せきりょうの思いが胸底から湧き出てきた。美澪は空色のセーラー服の上から、そっと胸元を押さえる。


(ヴァルとは出会ったばかりだし、信用なんて全然できないのに。なんでこんな気持ちになるんだろう)


 美澪の負の感情とは別に、ヴァルと共にいると懐古的な気持ちが生まれ、その心に寄り添ってあげたい気持ちが沸き上がる。17年間生きてきて、こんなに強い気持ちを誰かに抱いたのは初めてのことだった。


(あたし、どうしちゃったの?)


 そうしてふと、ヴァルが何も言ってこないことに気が付いた美澪は、ハッとして顔を上げた。


「ヴァ、ヴァル……?」


 そこには、表情から感情がごっそりと抜け落ちたヴァルがいた。


 先程までとは打って変わって、冷たい彫像のようにたたずむヴァルの姿に、美澪はひゅっと息をのむ。心なしか周囲の気温が下がったように感じた。


(もしかして、触れちゃいけないことだった?)


 美澪は強気でいた気持ちがしぼみ、顔が青ざめていくのを感じながら、ごくりと生唾を飲み込み、おそるおそる口を開いた。


「あ、あのっ! あた、あたし、余計なことを……」


 言いながら、足を一歩前に踏み出した瞬間――


「キミがいる」


「え?」


「美澪がいるよ」


 温度を取り戻したテノールの声が、神域を満たす清浄な空気の中に吸い込まれていく。


 美澪はヴァルの急激な変化に戸惑いつつも、自分を見つめる瞳の奥に慈愛の色を見つけて、緊張していた心をほんのわずかに和らげた。

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