番外編その3 原羊一は髪を伸ばしたい
「せんぱい、髪ずいぶん伸びましたねー」
と椿に言われたのが文化祭の少し前。
そういえば文化祭の準備と塾の夏期講習に追われ、暫く散髪に行っていない事を思い出した。
「ちょっとアレですよ? 暗そうに見えるっていうか」
「誰が陰キャか」
僕はまさに漫画やラノベで陰キャ主人公がそうするように、目にかかった前髪の隙間から椿を睨んだ。当の椿はひえ〜♪とわざとらしいリアクション。
「陰キャか陽キャじゃないかは置いといて······」
「待て。それだと、つまり?」
「置いといて♪ もうすぐ文化祭で販売もあるから切った方が良いかと♪」
まあ、椿の言う通りである。こうして日々製作に打ち込みそれを披露する場であるわけで、いくらでも印象は良い方が得策だろう。
「対面販売ですからね。ひーくんのチェック厳しそうだし」
「確かに」
「それでなくても、ほら商品説明とかも······」
それについては僕には秘策があった。
手仕事、特に伝統工芸などになるとワークショップや実演などで作業しながら対面で客と会話する機会も多い。そこでは製作する工芸品の歴史や魅力、技法や材料の説明などが行われる。
職人といえば寡黙、と言うイメージが強いと思うが実は話術も昨今では必要とされているのだ。
いかに初見で興味を持ってもらえるか、それは購買意欲にも繋がる物であるからなかなか侮れない。
そのために職人はお客が驚く様な「キャッチーなネタ」をひとつは持っている。
「それがこれだ!」
僕は今まさに使用していた「漆刷毛」を印籠の様にかざした。
「漆刷毛」はもう名前が指し示す通り漆を塗る専用の刷毛だ。幅は様々だが構造はだいたい同じ。漆で固めた平たい毛の部分を薄いヒノキの板でサンドイッチしてある。
鉛筆を削る様に板ごと削って平筆状にし、固めた毛をほぐして使用する。
今や国内でこの「漆刷毛」を作れる職人も僅かとなり、有名漆刷毛職人の逸品となるとネットオークションなどでも割と高値扱われたりするのだ。
しかし一番の目玉はそこではない。
「はは~ん♪ なるほどです♪」
「ふっ、流石。わかるようだな」
そう、これは漆を扱う物にとって客の心を掴む必殺技のような物なのだ。
そして僕たちは行く先々で同じ話をするので、もし聞いたことがあっても知らない振りをしてリアクションして欲しい!
「この刷毛の毛、なにでできてると思う?」
「えー、なんですかわかんなーい」
「これは人間の頭髪なんだ」
「えー、うそー」
椿の棒読みが若干気になるがこれこそ僕の、僕たちの秘策である。
いつ頃この人毛の漆刷毛が登場したか、それは諸説あると思うがだいたい江戸時代頃と言われている。
元々は日本人の、今はアジア系女性の黒髪が良いとされているが、昨今ではなかなか手に入らないとも聞く。
「15センチ以上でパーマや染色の類を一切しない自然な手入れをした状態の良いアジア系女性の黒髪」などちょっと条件が厳しいのだ。
化学製品や他の動物の毛が使われる事もあるがそれは下塗り中塗りの場合で、結局最後の塗りには人毛の漆刷毛が最も適している。
「これで客の心も鷲掴みじゃないか?」
「そうですね♪ わたしもそのネタ使おっ♪」
そう言って椿は自分の常盤から椿マーク入りの漆刷毛を取り出した。
「そういえば、椿はどこの刷毛使ってるんだ?」
僕は有名な漆刷毛職人の名前をいくつか上げてみた。すると椿は三日月の様な目をしてふふふん♪ と胸を張り刷毛を左右に振る。
「これは、オリジナルです♪」
「ん?オリジナル?······いや、まさか」
「ふふふっ♪ わたしの髪です♪」
「な、だって椿、髪染めてるじゃ······」
「もちろんその前。小学生の時に髪伸ばして作ってもらったんです♪」
「小学生で自前の髪の刷毛!? 一体いつから漆を始めたんだ······」
「ふふふっ♪ 前世が漆ですのでっ♪」
くそっ、なんて羨ましい!!
ドヤ顔の椿の顔を見て、僕は暫く髪を伸ばそうと思ったのだった。
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