番外編その2 原羊一は好きと言わない

「せんぱいはな作家さんとかいないんですか?」


 僕と椿は博物館の中庭にある人工池の脇のベンチで、先程見た特別展の余韻を楽しんでいた。そんな折、椿がふと思い出したように聞いてきたわけで。


 新幹線も停まる僕らの住む地域の玄関口。その駅から電車を乗り換え、平安時代辺りの遺跡が点在する町の博物館に僕らは来ている。

 普段はどちらかと言えば考古学や民俗学寄りの展示が多いこの博物館だが、珍しく工芸分野の人間国宝展が開催されていた。

 工芸に携わる者の端くれとしては見逃す手もなく。

 僕から言わせればこれは勉強であり、椿から言わせればこれはデートであり、まあそんな感じだ。


「今日の展示で紹介されてた人間国宝は······」


「人間国宝は?」


「崇拝してる」


「すうはい!」


 なにせ人間国宝なのだ。「漆聖」と呼ばれる漆の神様、その神様と双璧をなす大巨匠、日本伝統工芸展でも未だ活躍する現役の作家。

 正直住む世界が違う感はあるが、同じ漆という素材を扱う技術の最高峰に彼らがいる、と思えば吸収できる物は数え切れないだろう。


「えっと、じゃあ昔の美術工芸とかでなのとかは?」


「そうだな、ミーハーだけど琳派には······」


「琳派には?」


「傾倒してる」


「けいとう!」


 琳派といえばその大胆な構図や素材の使い方だろう。どこか硬いデザインが多い工芸の中でキャッチーなデザイン、良い意味で力の抜けた描写。

 また同じ琳派の先人をリスペクトしながら、再解釈が現代でも続いているのが面白い。傾倒は言い過ぎかも知れないが、意識の中にいつもあるくらい影響は受けていると思う。


「うーん、わたしの聞き方が悪いんですかね。じゃあ、漆芸だと『蒔絵』と『螺鈿』どっちが?」


「ん、どっちも······」


「どっちも?」


「捨て難い」


「すてがたい!」


 蒔絵も螺鈿もどちらも漆芸の中では加飾の花形だろう。漆で描いた図案に金や銀の粉を撒き、固め、磨き出す蒔絵は粉の大きさや密度によって遠近感を生み、漆黒の中からまるで浮かび上がるように器物を飾る。

 対して螺鈿は貝の真珠層を薄板として漆で貼り付ける技法。真珠層は見る角度によって色を変え、オーロラの様な神秘的な輝きを器物に与える。


「どっちかと言ったら、どっちが!?」


「なんなんださっきから」


「『蒔絵』ですか、『螺鈿』ですか、どっちがですか!?」


「ま、蒔絵の方が······」


「蒔絵の方が!?」


「耳馴染みがあるかな」


「みみなじみ!」


 さっきから様子のおかしい椿が呆れ顔で大きなため息をつく。ベンチの背もたれに背を預けたと思ったら不機嫌そうな声でぼそっとこぼした。


「······耳馴染みって?」


「去年は蒔絵先輩に始終引っ張り回されてたからな」


 去年の部活や文化祭、それに今年の夏の事も思い出して思わず苦笑してしまう。すると今度は口を尖らせ不貞腐れた椿が足を浮かせてパタパタさせた。


「せんぱい、何だかんだ言って蒔絵先輩のお話する時楽しそうですねー。蒔絵先輩の事どう思ってるんです······あっ」


「そうだな、それでも蒔絵先輩の事は割と······」


「わ、あ、待って待って、言わないでー!」


「尊敬してる」


「そんけい!」


 言わないで、と慌てたかと思えばホッとしたような顔。何だかんだ忙しいやつだ。


「さて、帰るか」


 立ち上がって椿に手のひらを向ける。椿が目を丸くして僕を見上げているので急に自分の行動が恥ずかしいように思えて。

 正式は付き合っていないとはいえ、これくらい良いではないか。


「い、嫌だったら別にいいぞ」


 手を引っ込めようとすると椿が僕の手を掴んでぐっと引っ張る。


 「嫌なわけないじゃないですか。せんぱいと手を繋ぐのわたし······」


 足で踏ん張り逆に引き上げるとその勢いで立ち上がった椿の体が近い。


「やぶさかじゃない、ですよ♪」


 そう言って椿は花が綻ぶような、僕が一番好きな笑顔を見せた。

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