番外編
番外編その1 原羊一は手が痒い
「う······やってしまった」
放課後、工芸部の部室にて僕は誰に言うでもなくこぼした。
半袖の制服から伸びた素肌の腕、手を返して覗き込まないと見えないような箇所。
昨晩入浴した時に少しピリリと皮膚の異常を感じたが、今改めて確認したところ約1センチに渡って肌が赤く少し盛り上がっている。そして痒い。
漆というのはこうして気付かない内に気付かない場所についたりする。気付いた時には、そして気づいてしまうと尚更、痒い。
そう、これぞ「漆かぶれ」だ。
漆かぶれは漆に含まれる「ウルシオール」という成分に反応するアレルギーの一種で、その反応の大きさは人によって様々だ。
例えば弱い人になると、漆を扱う空間に入っただけでも肌が赤くなり皮膚の内側からムズムズする感覚があるという。
昔、祖父の工房を訪れた保険のセールスマンが、そうとは知らず赤い顔で気もそぞろに営業していったらしい。あとで本人に漆の話をすると、なるほど漆に弱い人だったそうで、その後このセールスマンが工房に来ることはなかったという。
強い人、となっても直接肌についてそのままにすれば炎症を起こす。新しい皮膚に再生するまで約2週間と言われ、それまで掻き壊したり細菌が入らないよう触らず痒みを我慢する。そうなってくると漆かぶれに強い、って言うより痒みに我慢強いって感じがしないでもないが。
「あらあら♪ かぶれちゃいましたかぁ?」
腕のかぶれを気にする僕を見て椿が言う。
むむ、彼女には知られたくなかったが時すでに遅し、というやつ。
漆を上手に塗る人ほど手が汚れない。所作や始末が良いからだ。そして椿の手は常に綺麗で、その事に嫉妬してしまう。もちろん顔には出さないけど。
「なんか嬉しそうだな」
「ふふふ♪ そんなことありませんよ?」
というが絶対面白がっているはず。この椿という後輩、何かにつけ僕をその三日月のような悪戯な瞳で誂うタイミングを狙っているのだ。
隙を見せないようかぶれから意識を外す。それで痒くなくなるわけではないが自然治癒まで忍耐だ。
あまりひどいようなら皮膚科に受診、というのも良いだろう。とは言っても特効薬のような物は存在しないので対処療法に過ぎない。漆に携わる者の間には民間療法的な薬もあったりはするが。
「せんぱい、よかったらわたし、お薬持ってるので使います?」
「薬? いつも持ち歩いてるのか?」
「わたしだってかぶれる時ありますよー。はい、どうぞ」
と椿が取り出した塗り薬らしき物を受け取る。白い樹脂ケースに水色の蓋のいかにも薬って感じ。ラベルや製品名はない。開けると濡れたような脱脂綿が入っていた。
「これは? 病院とか市販の物ではないようだけど」
「お手製です♪」
「お手製? ひょっとして、アレ? いや、まさか······」
「サワガニを茹でて潰した汁です♪」
嘘でしょ、と耳を疑った。漆かぶれの民間療法では一番メジャーではあるけど。
「実物初めて見た。こんなもの持ち歩いてる女子校生って······」
「ふふふっ♪ 前世が漆ですのでっ♪」
椿は胸を張り満面の笑顔だ。
この薬が効いたかどうかはまた別の機会に。
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