最終話 工芸は······
「せんぱい、ご卒業おめでとうございます」
誰もいないはずの工芸部の部室で僕が目にしたのは、あの時と同じ様に窓辺に佇む女子生徒だった。
既視感にも似た懐かしいような、少し寂しいようなに感覚に包まれる。それでも同時に僕は期待に胸を膨らませてもいて。
だって彼女はこの後、あの時と同じ様にきっとこう言うんだ。
『わたし、前世が漆なのでっ♪』
第5回杜のまち工芸展を観覧した週明け、椿との顛末を説明すると「やっとか」と尾形はぽん、と僕の肩を叩いた。
「ありがとう、その尾形には悪いと思うが······」
「ああ、いいよいいよ。あれ芝居だから」
「ん?」
「なっちゃんにもちゃんとネタばらししといたから」
「んん?」
「しかし、こんだけハマると蒔絵先輩もしてやったりだろうな」
「何て?」
これが最後の種明かし、そう信じたい。
なかなか進展のない先輩と少女。そこで元部長が発動したシナリオはこうだ。
内なる恋心を発露する事でラスボスとして君臨する元部長。強力なライバルの出現に焦りや不安を抱える少女は先輩の気持ちを確認したくなるはず。そしてダメ押しとして幼馴染に最後の指令が下る。幼馴染というまさかの伏兵に焦る先輩。幼馴染の名芝居を信じたヘタレの先輩も強力なライバルの出現にとうとう本気を······。
「誰がヘタレだ······でも、まあ結果的には感謝してる」
「俺の大事な幼馴染、もう泣かすなよ?」
結局、僕は蒔絵先輩の手のひらで転がされていたという事だろう。その辺の事を蒔絵先輩に尋ねると電話口で「ぬっふっふっふっ♪」と大きく笑った。
「まったく、師匠には敵いませんね」
「でしょでしょ? でも、おめでとねー工芸展もなつめの事も♪」
「そうすると、あれも全部芝居だったんですか? その、僕が好きだって······」
「それはホント。ていうか諦めた訳じゃないからねー。だから、早く京都おいで♡」
いやはや、この師匠からはなかなか独立させてもらえなさそうだ。
それから、年度が変わりいよいよ僕は受験生となった。2年生の夏から始めた塾通いが幸いして京都の工芸大学は圏内に収まっていて。でも油断は禁物、と塾の日数を増やし家でもできる限り勉強に時間を当てた。
椿とはあの日からとうとう正式に付き合う事となったわけだが、実際には会える時間はかなり限定的となって。それはもちろん僕が受験生となった事もあるのだが、椿は椿でいよいよ工芸特化型ローカルアイドルグループとしてデビューが本当に決まってしまったからだ。
メンバー全員が東北の工芸後継者という4人組女性ローカルアイドルグループ。
「Ninai ❀ Te〈ニナイテ〉」
デビューイベントはゴールデンウイークに行われる東北最大級の野外ロックフェスのステージだった。
「ヤバい、お腹痛い」
「なんでお前が緊張してんだよ」
MCのホットドックマンの呼込みでステージにスモークが焚かれる。大音量の音楽と歓声に迎えられて椿やメンバーが飛び出す。
あんなに熱心にレッスンをしていたというのに椿のダンスはまだまだぎこちなかった。それでも額に汗を浮かべ踊る姿はほんとうにキラキラしていて、僕は当然見惚れてしまうわけで。
「めんこいな。グッズはもちろん工芸品なわけだろ?一枚噛めないかな幼馴染のよしみで」
「悪い顔になってるぞ、尾形」
後で教えてくれたのだけれど、目のいい椿はステージ上から僕を見つけたと言っていた。だからなのか、目が合ったと思った瞬間に椿が見せたあの満開に花が綻ぶような笑顔。
僕も僕の周りの観客もその笑顔にすっかりやられてしまい、公式の鳴湖漆器グッズを買い漁った事は言うまでもない。
その後は僕は勉強漬けの、椿はイベントとレッスン漬けの毎日で、瞬く間に時間は流れる······。
3月、高校生最後の日。僕は、高校生活の約3年間をどこよりも過ごした工芸部の部室までの廊下を歩いていた。
蒔絵先輩がひとりで創設し、僕と尾形がそれを受け継ぎ。しかし今日、僕と尾形がこの学校を去ることによって、我が工芸部は短い歴史に幕を下ろす。
廊下には僕と同じく、その青春を刻んだ部室に最後の別れを惜しむ生徒たちが少なからず見える。けれど僕は、まあひとりだ。尾形はこういう感傷的なタイプでもないだろうし。
「せんぱい♪」
部室のドアを開けると窓からの陽射しを背に椿が振り返った。全く予想していなかった訳ではないけれど、僕より先んじて椿がここにいることにちょっと驚いていた。椿はそんな僕の顔を見て小さく首を傾げ微笑む。
「せんぱい、ご卒業おめでとうございます」
「······ありがとう、でも部外者立ち入り禁止だぞ」
僕が言うと椿は今度は呆れたような顔をする。
「絶対言うと思った。もうせんぱいもじゃないですかー」
そういえばそうか、と思いながら約3年間を過ごした部室を眺める。
尾形と作った漆を乾かすための漆室は、やっぱり尾形と一緒に解体した。漆室があった壁や床はそこだけ少し色が薄くなっている。祖父の、僕の千台箪笥も色々な漆の道具とまとめて、正月に蒔絵先輩が帰省した際運び出し一足先に京都に旅立った。
「せんぱいはいつ出発するんですか? 京都」
「ん、来週頭には。早めに行って慣れようかと」
「そっか、お見送り行けないかも。あ〜駅のホームで『なごり雪』したかった〜」
ふふっ、ふ〜ん♪ と有名な懐メロのフレーズを椿がハミングする。それって別れの歌じゃなかったっけ、とちょっとドキッとしてしまった。そんな心情を知ってか知らずか、いや当然知っているんだろうけど、椿がいつもの悪戯な目で僕を覗き込んでくる。
「せんぱいは校舎の窓ガラス、壊してまわったりしないんですか♪」
「しないしさっきからチョイスが古い」
眉を顰める僕に「この後カラオケ行きません?」と椿はくすくす笑って言った。いつか歌が苦手と言っていた椿も今やすっかりアイドルなわけで。
「そうだ、せんぱい手貸して?」
「······またか?」
とととっと椿が窓際から僕に寄って来る。指先ではパステル龍紋塗のペンがくるっとひと回り。ペン先が手のひらを滑る擽ったい感触を少しの間だけ僕は我慢する。いわゆる、マーキングというやつなんだろう。椿は時々こうやって僕に印を入れ、それは卒業式が迫ると頻度を上げた。
「ふふふっ♪ せんぱいが京都で浮気しないように椿ちゃんマーク入れときました♪」
「浮気って。僕ってそんな感じか?」
「だって分かんないじゃないですかー。蒔絵先輩もいるし、舞妓さんとかせんぱいの大好きな着物の女の人もウヨウヨいるんでしょ?」
ウヨウヨって。でも椿の心配や不安は、理解できる。僕だって同じだから。どれだけ繋がりやすくなったとはいえ、京都までの物理的な距離は思った以上にあるんだ。そんな僕たちの気持ちに似た寂しさの気配が部室にも漂っていた。
「この部室とも今日で最後か」
何もなくなった空っぽの部室を改めて眺める。するとさっき感じていた寂しさの気配がふっと色を変えた。
蒔絵先輩に振り回された日々や、ひとり漆にひたむきだった日々。尾形と切磋琢磨した日々や、椿と戯れた日々。そういったキラキラした日々の温度や、音や、空気や、時間が、ひとつの工芸品から溢れるのと同じ様にこの部室からも湧き上がった。
工芸部がなくなってしまい次の部室に変わっても、誰にも分からなくなってしまってもそれはここに残るんだ。
「······工芸部が廃部なんて、工芸が衰退してく未来を暗示してるみたいじゃないか?」
感傷的になり過ぎた、と思って僕はこんな皮肉めいた言葉をこぼしたのだけれど、椿はふふふっ♪っと笑って胸を張った。
「そんな事はわたしがさせませんよ♪」
そう言って椿が僕に一枚の紙を突きつける。
それを見て僕の心臓は大きく······跳ねた!
「ぶ、部活動設立届 ······『新・工芸部』!!」
胸が高鳴り、体に血が巡るのを感じる。それは前奏に合わせて「Ninai ❀ Te」が、椿が舞台袖から飛び出す前の期待と興奮にとてもよく似ていた。
振り返ると僕らの後ろには幾人もの名も無い先人がここまで残してくれた道があった。そして前に目を向ければ細く、だけどどこまでも続く道が、確かにある。
椿はその道をまたひとつ大きく駆け出した。部室に残ったキラキラした光を纏いながら。そして今、少し立ち止まり僕に手を振っている。気がつけば僕の周りにも椿と同じように光が舞っている。
僕は大きく息を吸って一歩足を踏み出した。
「ふふふっ♪ せんぱいの工芸部も、工芸の未来もわたしが絶対に残しますよ!!」
ああ、そうだ、と思った。
今日という日は終わりなんかじゃない。
絶えたと思った工芸品や古い技法が誰かの手で再興されるみたいに。津波に流された箪笥が美しく塗り直されるみたいに。担い手がある限り何度だって蘇る、新しくスタートするんだ。
「だってわたし、前世が漆なのでっ!!」
そして僕の始まりの合図はいつだって椿のこの言葉なんだ。
さあ、次は何を作ろうか!
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