第36話 工芸は凌ぎ合う

 京都の工芸大学に進路を希望する事を、僕は最初に蒔絵先輩に報せた。


(おおー決めてくれたかー)

(オープンキャンパスもあるからおいで)

(待ってるよ♡)


(♡は不要じゃないですか?)


(いいよ、とっときなよ余ってんだから)

(じゃあ工芸展も頑張ってね♡)



 もちろん、進路を希望と言っても勝手に決められるものではく両親とも相談した。京都となれば学費以外にもお金がかかる。そもそも工芸の道に進む事を両親は快く思っていないはずで。

 県内の大学も併願する事、バイトをしてなるべく負担を減らす事など伝え。そして「今年の工芸展で入選以上しなければ諦める」と自分から条件を出すつもりでいた。しかしそこまでには至らず。「やると決めたなら本気でやりなさい」と認めてくれた事に感謝しかない。


 僕が進路に京都を、と言う気持ちを後押ししたのはやっぱり椿の最近の活躍があったと思う。

 羽ばたく事を決めた椿に、僕は置いてかれるとか寂しいとかって感情はなかった。椿を全力で応援して僕は僕のできる事を全力でする。もちろん、今の僕は何者でもないわけだし、何者かになるためにはまだまだ勉強しなければならない。

 だから京都の工芸大学へ、その前にまずは「第5回杜のまち工芸展」だ。



「おお〜♪ 京都の大学に!」


「ああ」


「まあ、蒔絵先輩が来いと言ったら羊一に選択肢はないけどな」


 お昼休憩の工芸部の部室。退部してもこうして椿は弁当を詰めた曲げわっぱを手に毎日部室を訪ねてくれる。

 忙しいだろう椿に「毎朝弁当大変だろう? 自分で用意するぞ?」と提案したが「職人の朝は早いのです♪」と断られた。

 そして尾形。尾形にはここのところ椿と行動を共にしてもらっている。同じ事を考えていたようで相談したらすぐに快諾してくれた。

 行き帰りの駅、休み時間、椿の横に尾形がいることで婿候補に名乗りを上げる男子の数が減った。そうだろう、尾形はイケメンであり職人である。また「幼馴染」と言うラベルが強かった。「なっちゃん」「ひーくん」と呼び合う距離の近いふたりに誰が割って入れようか。

 毎日のように呼び出しを食らっていた椿だが、これで少しは負担が減っただろうか。


「大学行ったら蒔絵先輩もいるし、せんぱい寂しくないですね♪ それまでいっぱい遊びましょうね!!」


 椿が漆塗りの箸の先をくるくる回しながら屈託なく笑う。


「いや、一応受験生になるし工芸展もあるからな。それに椿も忙しいだろう」


 あうぅ、そうでした、と今度は箸先がしゅんと下がる。

 工芸部を退部した椿は、まずはホットドックマンの事務所系列の教室へ週3回のレッスンに通い始めた。椿が退部した事が知れ渡るとこの部室を訪れる者もなく、工芸展への作品づくりは滞りなく進むようになった。


「京都かぁ、遠いんですよね? ······えっと、わあ850kmくらい!? 車で10時間!!」


 椿はスマホ片手に大きな声を上げた。東北に住む僕たちはせいぜい関東位までしか行ったことがない。それよりも南西となるともう同じ日本の土地と言う気がしない。


「え、え? 蒔絵先輩ってばこの距離を軽トラックで?」


「おお、そういえば」


「わあ······せんぱい、愛されてますねぇ」


「いや、そんなこと。帰省のついでだろ」


 言うと椿は塗箸を咥えたまま目を座らせじーっと僕を見る。


「せんぱい、女心分かってないですねー」


「お、女心?」


「蒔絵先輩、せんぱいに会いたかったんだと思いますよ? ホントにせんぱいの事好きなんだと思いますよ?」


「なっちゃん」


 尾形がちょっと神妙な声で名前を呼ぶが、椿は気づいていないように続けた。


「蒔絵先輩が告白した時、わたし膝の上で抱っこされてたじゃないですか」


 ──誰に何を言われても込めるよ。叫ぶ。


 あの言葉を聞いた時、僕たちの意識は蒔絵先輩に向いていた。蒔絵先輩の膝の上、一番近くで椿はあの言葉をどんな顔で聞いていたのか。


「あの時、蒔絵先輩がすっごくドキドキしてたのわたし背中で分かったんです。ふふふっ♪ ひーくんじゃないけど師弟愛ヤバすぎです♪」


「なっちゃん、そろそろ戻るか。送ってくよ」


「あれ、そんな時間? じゃあせんぱいまた明日ね♪ お弁当箱は後でひーくんに渡して下さい」


 椿たちが立ち上がり部室を出る前に、尾形の背中に「悪いな、ありがとう」と声をかける。尾形は「羊一のためじゃねーよ」と振り向かず言った。




(集合)


 尾形からメッセージが来たのは放課後に部活が始まってすぐの事で。僕らがこのメッセージを使う時には必ず最初に(蒔絵先輩)と入る。それが(集合)する理由だからだ。蒔絵先輩はいない、でもあのファミレスに集合。こんなメッセージは今までなかった事だった。


「椿は?」


 ファミレスでひとりで待っていた尾形に声をかけると「んーレッスン」とスマホから顔を上げ言った。


「一緒に帰るから待ち時間の暇つぶし」


「なるほど」


「なっちゃん、頑張ってるなぁ」


 尾形がスマホに目を戻しながら言う。まあ、僕らは見つめ合って話すような間柄でもないしな。


「ホントに尊敬するよ」


「なっちゃん必死なんだろうな。正直俺ら木地屋はどうとでもなると思うんだよ。旋盤じゃないと作れない物はあるからな。でも漆やる奴は漆を塗らないわけにはいかないからな」


 すると急に尾形はニヤけ顔になり、僕が訝しげに目を向けると「蒔絵先輩」と言った。何かメッセージのやりとりでもしていたのだろが、会話しながら器用な奴だ。


「鳴湖の方じゃさ、やっかみも多いんだ。閉鎖的って言うか保守的って言うか。まあ、あの人達もも散々騙されて来ただろうからそういうのもあるんだと思うけど」


「そういうの椿は······」


「ん、耳に入ってると思うぜ。それでもなっちゃんは辞めない。なんつーか健気だよな。色んな物背負って、色んな物我慢してさ」


 椿が鳴湖漆器や工芸を広める活動の為に、色々な事を選択し始めた事には気づいていた。工芸部を去ることを決めた椿。それでも僕はその決断を尊重したいと思っていた。


「羊一はさあ」


 尾形はスマホを伏せてテーブルの上に置いた。コトンと言う音で顔を上げると尾形と目が合う。本題なんだ、と思う。


「羊一はなっちゃんのことどう思ってんの?」


「すごく、頑張ってると思う。······尊敬してる」


「そーゆーんじゃなくて」


 追及してくる尾形だがその声に怒気や苛立ちはない。こういう時の尾形は淡々としている。


「えっと、つまり、その、異性としてか?」


 尾形に聞かれている事が何か、自分でも分かっている。だから言葉にする事が恥ずかしくて返答もたどたどしくなってしまうし顔も熱い。


「うわ、羊一のめんこい顔見てもありがたくねぇし。もういいや、羊一その気持ち言ったの?」


「い、いや、は言えてないと思う」


「なんで? 職人たるもの、とかナシな」


 ここで尾形がニヤけ顔で詰めてくる。もし尾形が感情的になったり強く否定して来ればこちらも反発してしまっただろう。ちゃんと考えろ、と尾形は猶予をくれるのだ。こういうところだよな、と思う。

 なぜ言えないのか。それはもちろん自分に自信がないというのが大きい。まだ何者でもない僕は椿ほどの子に釣り合わないし、これから大きく羽ばたこうとする椿の足枷になってはいけない。

 アイドルは恋愛禁止というのが今の時代にも適用になるのかは分からない。でも例えば本当にご当地アイドルになった時、僕という存在は椿の鳴湖漆器や工芸を広めたいという思いの障害になるだろう。


「椿の邪魔したくないから、今は言えない、かな」


「今は? いつかは言うの?」


「いつかは、できればと思う」


「よし、言質取った。羊一、俺も工芸展出すわ」


 ん? 工芸展出すわ、とは? 混乱している僕をよそに、尾形は「どんなのにしようかな」と楽しげだ。


「アレな? 勝負。入選した方がなっちゃんに告白する」


「ん? 勝負? 告白って、いや尾形お前、椿の事······」


「俺が何年めんこいなっちゃんの幼馴染やってると思ってんだ」


 尾形のニヤニヤ笑いは止まらなかった。

 こういうところもだよな、と僕は思う。

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