第35話 工芸は誉れ得る

「あのー、椿さんは」


「いない」


 ピシャっと部室の引戸を閉める。少し音が大きくなってしまって少しバツが悪い。

 一度や二度ならばもう少し控え目な対応もできるところだろうが、放課後部活が始まってからこれで5度目。その度に作業の手が止まるので苛立ちを隠せない。

 職人たるもの顔色ひとつ変えず、頭の中でそう念じて息をひとつ吐く。

 そんな僕の様子を後ろでチラチラ眺めているのは仮入部員3名。こんな時期に? と思われるかも知れないが、もちろんあれもこれも全て先週放送された『ぼんぼや〜ぬ』の影響なわけで。


「先輩、漆練りましたけどー」


 仮入部員のひとりが僕に声をかける。どれどれ、と指示しておいた色漆の練り合わせの具合を見るために、ヘラで常盤に引き伸ばすが。


「まだ足りないようだな」


 伸ばした漆の中にブツブツと顔料の固まりが残っていた。完全に練り合わせるには時間も根気も必要な作業だ。しかし新歓の部活紹介でも行ったように、我が工芸部では最初の作業としてこれを代々伝統的に行う。まあ、代々と言っても蒔絵先輩、僕、椿と三代だけだけど。


「まだって、もう飽きたっす。パーっと漆塗らせて下さいよ〜」


「いや、何事も基本が大事でな······」


 そうこうしているとまた部室のドアがノックもなしに開かれる。「部外者立入禁止だ」と振り向きもせず言えば「俺ですが」と尾形。仮入部員が椿の登場か、と期待を込め上げた顔に落胆の色が見えるが尾形は相変わらず飄々とした表情だ。


「あのー、仮入部ですけど今日まででいいっすか?」


「ん、もう少し慣れたら色々作れるが······」


「大丈夫です、べつに元々工芸なんかに興味あるわけじゃないんで」


 そう言って仮入部員3名は工芸部を後にした。追いかけようかどうか迷い部室のドアの前に立っていると、背後で尾形が千台箪笥抽斗引く音がした。


「ほっとけよ、羊一らしくない。どうせなっちゃん目当てだ」


「少しでも工芸に興味持ってもらえたら、と思ったんだけどな······」


 こんな事が『ぼんぼや〜ぬ』放送後から続いた。番組の反響は思わぬ方に、いやある意味思惑通り行ったのかもしれない。

 文化祭で「茶会の美少女」と通り名を得た椿だったが、今や「温泉郷の美職人」とまで呼ばれ類似した地方番組、昼夕のニュースバラエティのオファーが殺到しているそうで。

 それ以外ではもちろん学校内外から椿目当ての男子が詰めかけている。なにせ「お婿さんを貰って鳴湖漆器を守りたい!」とまで言ったのだ。我こそは、と婿候補に名乗りを上げる男子に連日呼び出され、今も椿は不在である。


「親父に聞いたんだけど、鳴湖温泉のPRでキャンペーンガールの話も上がってるみたいだぜ」


「すごいな、これで鳴湖漆器も盛り返すといいな」


 そう感想をもらすと尾形は無表情に僕をじっと見て「漆バカ」と言う。本心で口にしたのだがバカ呼ばわりとは失敬な。


「なっちゃんの様子見に来たけどいないなら帰るわ」


 と尾形は千台箪笥の抽斗を開けたまま帰って行った。そうして部室には僕ひとりだった。


 工芸なんかに興味あるわけじゃない。いなくなった仮入部員の言葉が頭の中で繰り返される。「まあそうだよな」って気持ち、「なんかとはなんだ」って気持ちがぐるぐるして気持ちが悪かった。

 


 作業に集中できずどのくらい時間が経ったのか、部室のドアが控えめに開けられて椿が顔だけ覗かせた。


「せんぱい♪」


「······時間かかったな」


「ん、ちゃんとお断りしましたので」


 椿がいつもの通り律儀に報告してくれる。因みに今日これを聞くのは2回目だ。

 椿は「疲れた〜」と言いながらふらふらと千台箪笥まで歩いて、ぺたっと木地呂塗の天板に張り付き脱力した。


「あー癒されるー」


 箪笥で癒される女子校生ってどうなのか、とも思ったがそれでこそ我が工芸部員。千台箪笥の方も本望だろう。


「さて、疲れてるところ悪いけど漆を濾すの手伝ってくれるか?」


「もちろん♪」



 僕と椿は丼ぶりを挟んで向かい合って座っている。丼ぶりの上に「吉野紙」という濾し紙を3枚重ね、そこに漆を流す。僕と椿で吉野紙を両方から持って息を合わせて畳み、包む。吉野紙の両端に箸を置いたらそれを芯にして捻じる。そして引っ張りながら絞っていくと吉野紙の繊維の隙間から漆が染み出し、ひとつ流れになって丼ぶりの中に落ちていく。

 

 漆のゴミを濾す作業では「ウマ」と呼ばれる器具を使う事が多いが、僕は手で行うこの方法で教わった。息が合わないと折り目からこぼれてしまったり紙が破れてしまう。

 僕らは一言も話さず、目配せもせずこの作業を行った。お互いの吉野紙を引き、絞る速度や力加減を指で感じながら。


「何も言わなくてもこの手際。流石だな」


 一度濾し紙を通ればあとはゆっくり漆が流れるに任す。僕は音もなく流れ落ちる漆の一筋を眺めながら言った。


「んふふっ♪」


「嬉しそうだ」


「それはっ、せんぱいにお褒め預かりましたから♪」


 テレビや自治体や同級生上級生、果ては校外からも誉れ高い椿が意外な事を、と言うと「せんぱいのは格別ですよ♪」と笑う。


「頑張ってるみたいだな」


「うーん、どうなんでしょうね。頑張れてるんでしょうか。とにかく鳴湖漆器を知ってもらって興味持ってもらって、て思ってるんですけど」


「いや、よくやってるよ」


 そうなのだ。椿はどのメディアに出演しても浮つかず、漆や工芸や鳴湖漆器の魅力を懸命に伝える。ひとりでも多く、ひとつでも多く魅了く感じてもらえるようにと。


「椿みたいに出来たらいいんだけどな」


「あー、仮入部の人辞めちゃいました?」


 工芸なんかに興味があるわけじゃない、またあの言葉が頭に浮かんでため息が出る。


「いいんじゃないですか、別に♪」


 同じような事を言う椿だったが、尾形とは違いどこか楽しげだった。


「······ねえ、せんぱい。こうやって、ふたりっきりで作業してると、前みたいですね♪」


「そうだな」


「せんぱいも来年は受験だし卒業しちゃうし、わたしも多分もっと忙しくなるし······」


 そこで言葉を切って、椿は「あ~あ」とこぼしながら漆を濾している吉野紙をぎゅっと絞った。落ちる漆の流れが一瞬、とぷん、と太くなる。


「ホントは鳴湖漆器なんか放っといて、いつまでもせんぱいとこうしてただ漆触ってたい、毎日イチャイチャしてたい」


「イチャイチャはしてないが······でも、もっと忙しくなるって、椿は決めたんだろ?」


「うん······実は、ホットドックマンさんの事務所でご当地アイドルグループを作る、って企画が上がってるみたいで······」


 聞くところによると椿工房の取材の後、椿のような伝統工芸の女性後継者に可能性を見出した会社が各地の工芸産地を調べたそうで。すると家業に細々と勤しむ女性後継者が少なからずいると分かり。そして工芸PRに特化したアイドルグループを作る事で衰退産業の活性化になるのでは、と企画が持ち上がったらしい。



「······実現したらすごいな、CD買うよ」


「CDというか動画配信とかかな。そもそもやるか分かんないですよ? それに、あの······わたし、歌とか苦手で恥ずかしくて」


「ん······じゃあ練習しよう」


 僕は片手で吉野紙を支え、ポケットからスマホを取り出す。動画アプリを起動して曲名を入力するとすぐに前奏が始まった。


「え、練習って!? やだやだ、歌いませんよ!」


「この歌分かるだろ? ほら、僕も歌うから。いくぞ『空を〜♪』」


 動画に合わせて僕が歌い出すと椿は目を丸くして僕を見つめた。自分でだってそうしたい気分だ。でも僕は、椿がこれからも鳴湖漆器や工芸の為にもっと先に進む事を決めたように、椿を応援する事を決めたのだ。これくらいが何だって言うんだ。


「こんなの全然せんぱいっぽくないです······でも」


 そう言って椿は僕と一緒に小さな声で歌い始めた。恥ずかしそうに頬を染めて。伏せ目がちに睫毛を震わせながら。

 僕も、椿だって対して上手くなかったし、歌詞も2番になるとうろ覚えだった。

 そもそも僕らの間には漆を濾している吉野紙と丼ぶりあって、があってちっとも格好がつかなかった。


「「······100年、続きますように〜♪」」


 それでも僕たちは歌い終わって笑った。こんな日がずっと続けばいいのにと思いながら。



 そして、この日を最後に椿は工芸部を退部した。

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