第37話 工芸は共鳴する

 工芸分野の人間国宝や、それを目指す工芸作家達の作品が集う工芸展の最高峰。東京を皮切りに各都市を回って人々を魅了し、今月僕たちの住む街でも展示がスタートした。

 日本最高峰にも関わらずこの工芸展の維持も危機的状況に陥り、クラウドファンディングに頼るほど工芸そのものの衰退は著しい。


 雪こそまだ降っていないが、どんよりとした雲がすっかり葉の落ちたケヤキの枝の隙間から見える。

 ふたりで出歩くようになってから何度も来たケヤキ並木、今日もまた僕と椿は遊歩道を歩きながら工芸展の会場に向かっている。


「せんぱい♪ 今日はいっぱい勉強しましょうね♪」


「デートでなくて?」


「工芸の勉強です♪」


 勉強がこれほどワクワクしてポカポカして、それでいてドキドキするものなら何て楽しいだろうか。まったく、語彙もない。


 早いものではや2月、杜のまち工芸展まで1ヶ月だ。作業そのものは順調に進んでいる。

 皮肉な事に、誰も来なくなった放課後の部室は集中を妨げるものがない。

 椿に聞けば「忙しくて」と退部の理由を話すだろうし実際忙しくしている。それでもこの状況を作るため、椿に退部を選ばせてさせてしまったんじゃないか、と胸が痛んだ。


 工芸展開催されているケヤキ並木沿いの百貨店に入ると、ホワッと暖房の暖かい空気に包まれる。中央エスカレーターに乗り僕はマフラーを外し畳んで手に持った。


「入れておきましょうか?」


「ああ、ありがとう」


 椿は僕の手からマフラーを受け取り背中のリュックに自分のマフラーと一緒にしまう。


「最近はどうだ?」


「変わらずですね。あ、でもなんだろう、ひーくんがめちゃくちゃ優しいです」


「ふーん、なるほど」


 僕はコートのポケットに手を入れ、横を流れるエスカレーター脇の広告ポスターを眺めた。椿はリュックの左右の肩紐をそれぞれ持って、そんな僕の顔を三日月の目で覗き込んだ。



 最上階催し物会場、工芸展はなんと入場無料だ。それでも若者の姿はほとんどなく、見たとしても明らかに作家や職人、または工芸系の学生という感じ。


 会場を入るとまずは陶磁の作品並ぶ。出品点数の多さからもわかるように工芸の中でも花形の位置にあるんだろう。


「それにしても······」


「思ったより、ちょっとでっかいですね······」


 そう、最初に思うのはその大きさ。茶碗や皿、花瓶と言ったレベルではない。よく言われるのは、小さい作品は展示した時に埋もれてしまうのである程度の大きさが必要だと言うこと。

 それとは別に陶磁は大きい物を歪みや割れもなく作るのは難しい。なので敢えて大きく作り技術を競っている、と聞いたことがあるがそのあたりは門外漢。


 陶磁を過ぎて壁沿いを見ると染織の作品が壁や衣桁にかかっている。藍で染めた物、京都の友禅、沖縄のつむぎ紅型びんがたと個性豊かだ。織り目や文様を目で追っていると椿が横でニヤニヤと笑っている。


「せんぱい、相変わらず着物とか好きですね♪」


「いや、普通に見てるだけだろ」


「そうですか〜? ずいぶん熱心でしたよ?」


「後ろ詰まるから行くぞ」


 会場は開放的で特別順路も強制はされていない。会場に入ってだいたいの配置は分かっていたので、木竹、金工、七宝や人形の作品をゆっくり鑑賞した。そして最後に漆芸作品の前に辿り着けるよう時間や順路を意識した。


 漆芸作品は他の作品たちに比べてこじんまりとしている。その代わり「凝縮している」と僕は感じた。

 漆芸では特に加飾しない部分、「間」を重んじる。限られた大きさの素地に十分に「間」を開け加飾された部分には、各技法が幾重にも重なって凝縮する。

 漆はすぐには乾かないので当然一手ごとに日を空ける。それを思うと途方もない時間と工程数で。それこそ1年がかり、時には数年かけてひとつの作品となる様子はまさに結晶、という感じだ。


「すごいな······凄すぎて今作ってる物に自信なくなる」


「あらあら」


「人と比べても、ましてや人間国宝と比べてもしょうがないんだけどな」


「そうそ♪ 一緒くたにされがちですけど美術工芸は美術工芸、生活工芸は生活工芸。それぞれ役割が違いますから。ま、それだけ漆の許容範囲が広いって事ですよ♪」


「そう、だな。まあ、限られた時間で出来る事をやるしかないな」


「そうですね。限られた時間で」


 それは杜のまち工芸展までの時間を示していたのだけれど、その時僕も椿もなんとなく僕らが一緒にいられる卒業までの時間が頭に浮かんでいたんだと思う。


「レッスンまで時間あるので少し散歩しませんか?」


 


 工芸展会場の百貨店を出て僕らはケヤキ並木の遊歩道に足を向けた。椿に預けていたマフラーを受け取って首に巻き、2月の冷えた空気を吸い込む。


 「マフラー、せんぱいの匂いがします」


 同じ事を思っていたらしい僕たちは同じように頬を赤くして、白い息を吐いた。


「かき氷も七夕も花火もたった半年なのにすごく前みたいな感じですね」


「かき氷か、やってるかな······食べる?」


「いえ、さすがに」


 結局かき氷屋も冬季休業だった。僕らは自動販売機でミルクティーを買って夏に結婚式場の専属カメラマンに写真を撮られたベンチに座る。

 ミルクティーをひと口飲んでホッと息をつくと、椿からラッピングされた包みを手渡された。


「せんぱい、ちょっと早いですけどこれ。ハッピーバレンタインです。残念ながら手造りじゃないですけど······」


 椿は何だかんだ申し訳なさそうな顔で俯く。でも手造りかどうかは問題じゃない。忙しいだろう椿がわざわざ時間を割いて選んでくれた、その事が僕は嬉しかった。


「ありがとう、嬉しい」


「ほんとは手造りしようと思ったんです」


「そんなこと、気にせず」


 ほんとなんです······繰り返す椿の声は消え入るようで、俯いいたままで。

 俯く椿の顔を少し下から伺うと、その目からは大粒の涙が溢れていた。椿の急な変化に僕はぎょっとしてしまった。

 嗚咽も上げず椿は泣いている。溢れた涙がポタポタと落ちて、椿が両手で握ったペットボトルに当たって音を立てた。


「手造り、しようと思ったんですけど、時間もないし、疲れちゃって。せんぱいは京都行っちゃうし、もう諦めようかなって、せんぱいの邪魔しちゃダメだって。そしたら作れなくて、無理じゃなかったのに」


 辿々しく話す椿は少し笑いながら、でもポタポタと涙を流し続けた。何だかちぐはぐで、とても不器用な泣き方に思えた。


「な、泣く事はないって」


「ふふっ、こんなんじゃ、蒔絵先輩に負けちゃう」


「いや、勝ち負けとかじゃ······」


「でも、せんぱい京都に行っちゃうんでしょ? 蒔絵先輩は、せんぱいのために自分の好きを我慢するのに、わたしは京都に行かないでなんて、言えないじゃないですか······」


 僕には返す言葉もなくて、椿と同じように手の中のペットボトルのフタに目を落とした。


「せんぱいは寂しかっただけで、わたしだってちょっといいなってだけで。だから、もういいかなって······でも、ずっと楽しくて、すごく嬉しくて、今は、ほんとに悲しくて。だから、ほんとなんです······」


 鳴湖漆器のため、工芸のため、そのために頑張る椿の負担が少しでも減るように、少しでも我慢しなくてもいいように、僕は上手く立ち回りたかったんだ。

 だけど、くそっ。そう言って椿に一番我慢させていたのは僕だったんだ。

 


 それから暫く僕たちはそのままベンチに腰掛けたままだった。椿は不器用に涙を流してて、僕はずっとそんな椿にかける言葉を探してて。


「······こ、工芸展」


 何か声をかけたくて口をついた言葉がこれだった。


「工芸展の作品、貰ってくれないか。日にちはズレるけど、ホワイトデーのお返しに」


 もっと他に言うことがあったんじゃないか、とも思う。でも僕に何が言えたんだろう。その時にはもう物を作るしかない、物に託すしかないと思っていた。


「で、でも、わたしの手造りでもないですし······」


「バレンタインのチョコの意味、『あなたと同じ気持ちです』なんだってな。手造りでもそうじゃなくても、その、なんだ、椿の気持ち貰ったから」


 ああ、どうしてこんなに僕は不器用なんだ、と思う。いや、僕だけじゃない椿だって。物を作ってる奴は器用だなんて言われるけどそうじゃないんだ。


「せんぱい······」


「工芸展の作品で椿と同じ気持ち、『あなたと同じ気持ちです』って返すから。だから見に来て、受け取って欲しい」


 僕も、椿も蒔絵先輩も、尾形や、杉野さんや僕の祖父だって、僕らはみんな不器用なんだ。

 

 

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