第33話 工芸は愛を叫ぶ

「さて、じゃあ工芸展の方だけどさー」


「いやいやいやいや」


 そう言えたのは尾形だけで、僕と椿は口を開けて固まっているばかりだ。


 青天の霹靂、寝耳に水、藪から棒、その他諸々似たような言葉を集めて煮詰め、蒔絵先輩の口を通せば以下のような言葉になる。

『そしたら、今頃あたしが羊一の彼女だったのにー』



「蒔絵先輩、なっちゃんの応援してたんスよね」


「んー、まだその話するの?」


「なっちゃんと羊一、くっつけようとしてたんスよね」


「え、それ確認いるー?」


「蒔絵先輩、羊一の事、す、好きだったんスよね」


「だったじゃないわよー、今も好きよ」


「······」


「でさー、締め切りも近いしさ、工芸展の」


「······駄目だ、交代」


 尾形は乗り出していた体をソファーの背もたれにどかっと預けると、ファミレスの天井を仰いだ。

 ここは尾形の勇気を称えるべきだろう。なにせ相手は蒔絵先輩なのだ。

 蒔絵先輩とまともにやり合おうと思ったら忍耐強く付き合うか、蒔絵先輩の突飛な思考について行くしかない。

 

 交代を告げられ僕と椿は、顔を見合わせ目配せだけで会話する。どうする、行こうか? と僕から椿に。いえ、わたしが、と椿が僕に。

 コホン、とひとつ空咳をして椿は話し始める。


「ま、蒔絵先輩はわたしとせんぱいが、その、お付き合いする事になってもいいんですか?」


「ん? まだ付き合ってないの?」


「ま、正式には······じゃなくて、蒔絵先輩のお気持ちはどうなんですか?」


「んー。いい、かなー」


「せんぱいの事、す、好きなのに?」


「その方が羊一も寂しくないし、作品にも華が出るじゃん♪」


「さ、作品?」


「寂しい時に構ってもらえると好きになるでしょ? 好きな人出来ると寂しくないでしょ? 」


「え? えっ?」


「好きとかの『楽しい』とか『ドキドキ』って作品に出るじゃん? それに好きな人の為に何か作るとか、好きって気持ち込めて作るってモチベ上がるしー」


「せ、せんぱい〜」


「頑張れ椿」


「そうそう♪ だからなつめには頑張って彼女になってもらって、羊一に漆続けさせて欲しいんだよねー」


「······ギ、ギブアップで」


 椿も頑張った方だと僕は思う。少なくとも椿は蒔絵先輩に質問に対して答えさせるところまでは来たのだ。


 すっかり困り顔で僕を見上げる椿に頷き返し、いよいよ蒔絵先輩に対峙する。


「おっ♪ 羊一が真打ちってわけね」


「真打ちは最後に登場、らしいですからね」


「ぬふふふ♪ 師弟対決ね」


 にぃっと蒔絵先輩が笑いながら僕の目を真っ直ぐ見つめる。僕の内面を見透すような「いつもの」蒔絵先輩の癖だ。


「······蒔絵先輩、ありがとうございます。なんというか、恐縮です。その、気付きませんでした」


「いいよいいよ、あたしの表現力不足だもん」


 表現力不足とは言葉の事か、それとも作品の事か考える。まあここは作品の事だろう。蒔絵先輩は僕以上に漆に全振りしているわけで。


「再確認ですけど、どうして蒔絵先輩は椿の応援を?」


「なにー? みんなしておんなじことー。だから、羊一が寂しいんじゃないかなって思って。あたし卒業しちゃって寂しかったでしょ?」


 そんなことは······と言いかけて思い直す。だって正月なんだ。椿曰く僕はイベントやら記念日やら軟化するらしい。だから言ってもいい。


「寂しかった、ですね」


「今は?」


「寂しくない、ですね」


「ぬふふふ♪ 素直な羊一がめんこい♪ でも分かってたよ、夏になつめの簪を見た時に分かってたから。なつめをけしかけて正解だったわー♪」


 これでひとつ、蒔絵先輩が椿の応援をした理由が分かったような気がする。僕のためだったんだ。

 蒔絵先輩が去った工芸部、思うように行かない漆との関わり、焦り、祖父の死。そういった僕を取り巻くものの中でいつも椿がそばにいてくれた。それは確かに僕にとって拠り所だったわけで。



「ん? そういえば、あの時何も言ってないのに椿の簪だって当てたの·····」


「あー、バレたかー♪」


 蒔絵先輩は悪戯がバレた子供みたいに笑った。まあ、あの時にはとっくに蒔絵先輩に情報は筒抜けだったわけだしな。


「ねえねえ、なつめ、今してる髪留めも羊一塗ったんでしょ? 見せて見せてー」


「は、はい!」


 僕と蒔絵先輩のやり取りを見ていて急に名前を呼ばれたためか、椿は勢いよく椅子から立ち上がる。「ホレホレ」と手招きされ近づいた椿を蒔絵先輩は膝の上に乗せ、後から抱くように手を回した。


「おお〜♪ 木地呂? 時期的にクリスマスプレゼント?」


「ええっと、はい······」


 椿の返事は少し歯切れが悪いが無理もない。蒔絵先輩が、まあ、その、アレだと言う僕からもらったとは言いづらいだろうし。


「あたしには何にも塗ってくんなかったのにー」


「う······」


「ぬふふふ♪ 冗談。なつめにだから、ちゃんと気持ち込めて塗れたんだもんねー。羊一はこうやってもっと自分出して塗ったほうがいいよー」


「······それも、椿を応援した理由、ですか?」


「そうそう♪ 好きな子の為に何か作るって最高にパワー出るじゃん? それに、誰かの為に何かを作るって事と、自分を殺して作るって事は違うと思うんだなー。それじゃあモノ作りは続かないじゃん? 羊一にはそれを分かって欲しかったわけ」


 誰かの為に物を作ること、作り続ける事。それは椿に作った簪や髪留め、祖父の千台箪笥の塗り直しを経た今では漠然とだけど分かる気がする。


 すると序盤でリタイアしたまま黙っていた尾形が「蒔絵先輩は?」と言った。


「蒔絵先輩は羊一が、その、好きって気持ち、なっちゃんや羊一の為に殺してないんスか?」


「んへ? むしろめちゃくちゃ込めてるわよー?」


「込めてるって、作品にってことですか?」


 蒔絵先輩膝の上に抱かれたまま、椿が首だけ振り向いて聞く。


「そうよー、学校では高台寺の世界感はショボいって散々言われるけどさー。あたしにとっては今も、高3の部室だけが世界の全部だもん。キラキラした羊一との毎日だけが」


 「キラキラ」と椿が小さく口にして、蒔絵先輩も「キラキラ」と続けて笑った。


「あたしはこんなだから、友達もいなかったし工芸部もずっとひとりで。でも羊一が来てから毎日が本当にキラキラしてさ。羊一もキラキラした目であたしの作業見てくれてさ。あー、このために漆やってたんだなーって思って」


 そう言って蒔絵先輩は、椿に回した手に少し力を込めたみたいだった。その手が本当にちょっとだけ震えてるのを僕も尾形も、もちろん抱きつかれてる椿も気付かないわけはなく。


「だから、誰に何を言われても込めるよ。。あたしの作る物で世界に向けてあたしの気持ちを」


 ああ、そうか。蒔絵先輩だって怖くないわけじゃないんだ、と僕は思った。それでも蒔絵先輩は物を作る事を辞めない。叫ぶ事を辞めないんだ。それこそが蒔絵先輩なんだ。


「羊一にとって師匠であり続けられるように、あたしはあたしを研ぎ澄ますわよー。だから羊一には見てて欲しい。ずっと漆を辞めて欲しくないわけ。んで、京都であたしと一緒にまた漆やろ?」


 蒔絵先輩は膝に乗せた椿の肩越しに、にぃーっと頭を傾げながら笑った。

 

 京都に、卒業したら蒔絵先輩のいる京都の工芸大学へ。そこでは今より段違いに漆の修行ができると思う。京都には勉強しつくせないくらい歴史も、文化も、工芸もあって、蒔絵先輩もいる。

 京都に、でもそれは最低4年はこの街を離れることでもあり。


「まー考えといてよー。あと工芸展も実績あると有利だし、今からでも頑張んなねー」


 やっと工芸展のこと言えたわー、と蒔絵先輩。


「蒔絵先輩、俺は?」


 すっかり蒔絵先輩に気圧されてしまった様子の尾形が聞く。


「光はいいかなー。全然部活来てくんなかったしー。名前の割にキラキラしてない」


「え、ひどい。師弟愛ヤバすぎて入れない」


「そりゃ、あたしの可愛い愛弟子は羊一だけだもん♪」


 そう言う蒔絵先輩の笑い顔は、確かにキラキラしていた。

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