第32話 工芸は工作する
「それじゃあ進捗聞かせてもらおうかなー」
新年の挨拶もそこそこに、いつものファミレスでいつもの蒔絵先輩が切り出した。
これは不思議な事なんだけど蒔絵先輩と会うと「いつのも」と思う。例えば、工芸部部長だった去年よりも少しその髪が長くなっていたとしても、薄くメイクするようになったとしても、目の前にいるのは「いつのも」蒔絵先輩だ。
少し間延びしたような話し方や、内面を見透そうとするかのように相手の目を真っ直ぐ覗きこむ癖や。
「まだ、決めかねてます。やっぱり作品を作るのにちょっと抵抗あって······」
「ん? そっちじゃなくってさ、なつめとはどこまで行ったのよー」
こういうところも「いつのも」蒔絵先輩なわけで。
「せんぱいとは、その、まだ······」
「いやいや椿、答えなくていいから」
僕はまだ少し顔の赤い椿の口を押さえる。ゴモゴモ言う椿の唇が僕の手のひらにくすぐったい。そんな僕らを見て蒔絵先輩が「んー」と唸った。
「夏ん時よか距離感は近いみたいだけどまだかー」
「蒔絵先輩、だって羊一ッスよ?」
蒔絵先輩の横でスマホをいじっていた尾形が誂うように片眉を上げて僕を見る。
「だって、ってなんだよ」
「だって、だってじゃん?」
眉間に皺を寄せている僕と、片眉上げたまま飄々とした尾形とで視線をぶつけていると、塞がれた手を外して椿が言う。
「そうなんです。せんぱいはだってなんです」
椿、お前もか。そりゃ、だってだけども、さ。
だってだって言っている僕らの横で蒔絵先輩が腕を組み首を傾げる。
「あたしのシナリオだとクリスマス辺りで決まりかな、って思ってたんだけどなー」
シナリオ? 妙な言い回しに一瞬気を取られる。
でも蒔絵先輩のこういった思わせぶりなセリフは毎度の事なので、僕はそれ程気にはしてなかった。慌てたのは尾形だった。
「あーえーと、蒔絵先輩」
「あら、まだ羊一には内緒?」
「ん? 僕に内緒?」
「いや、羊一にはおろか、まだなっちゃんにも·····」
「え? わたし?」
名前を呼ばれ顔を見合わせる僕と椿。先に状況を把握したのは椿で「あっ」と声を上げたあと、ゆっくり僕から目を逸らした。
「えーと、せんぱいにご報告······というか内緒にしていたことがありまして······」
歯切れの悪い椿が、横目で尾形をちらちら伺っているのを見て今度は僕がピンっときた。
「あれだろ? 椿の時間差高校デビューの相談相手って、尾形?」
「う、その言い方。やっぱり分かっちゃってました? その、同じ工芸部のひーくんならせんぱいのこと色々教えてもらえるかなって······内緒にしててすみません」
これは元々予想していた事だったのでさして驚きはなかった。それよりも、だ。
僕と椿が顔を向けると今度は尾形が露骨に目を逸らした。
「でもわたし、ひーくんに教えてもらってたと思ってたんですけど······」
「裏工作の指示を出してたのはどうやら······」
視線を逸らしたままの尾形が顎で指し示す先で、ドヤ顔の蒔絵先輩が「ぬふふふ♪」と笑った。
つまりこうだ。
ある内気な少女がいた。少女には気になる先輩がいて同じ部活に入部する。ところがこの先輩、あまりにも低温度低湿度でまともにコミュニケーションも取れない。
少女は思い悩み同じ部活に所属していた幼馴染に相談する。少女のためにひと肌脱ぎたい幼馴染であったが、正直自分も先輩の事はよくわからない。
そこで思いついたのが卒業した元部長であった。元部長と先輩は師弟関係にあり、幼馴染から見たところかなり仲も良さそうである。というかイチャイチャレベルである。
「いや、待て。イチャイチャはしてない」
「ぬふふふ♪ 蜜月だったわよねー」
「せんぱい、その辺後でお聞きしても?」
「······えーと続けていいか?」
かくして京都にいる元部長にコンタクトを取り、遠隔での「少女改造計画」が始まった。
まずは容姿、これは元部長はまったく当てにならなかった。
「ちょっと当てにならないってどういう意味ぃ? えーちょっと、無視?」
元部長は周りにどう見られているか、余りにも無頓着であった。たとえ寝癖があったとて、頬にひとつニキビがあったとて、素質の良さが上回るなど反則級の美女であって。
幼馴染はクラスメイトの女子に相談した。美容関係の進路を希望する彼女は、快く引き受けてくれ少女にお洒落指導をする。元々真面目で丁寧であった少女はみるみる髪型や化粧を覚え、そして少女は化けた。
この変化を目の当たりにした少女のクラスメイトの男子達が色めき立ったのは、また別の話で。
「ん?今のところ蒔絵先輩何もしてなくないです?」
「バカねー、真打ちは最後に登場するもんなのよ」
「あの、ひょっとして最初の方でその、耳元で囁けとか体押し付けろとかグイグイ行けって指示は······」
「もちろんあたしの指示だよー。グイグイ来られたら羊一チョロいもん、簡単に落ちちゃうからさ」
「誰がチョロいですか」
「わたし、ひーくんの趣味かと思ってました」
「いやいや、なっちゃん?」
とまあそんなわけで、ここから元部長の攻勢が始まる。背中に抱きつき耳元で囁くべし、腕にしがみついて上目遣いで見つめるべし、だーれだすべし、あーんすべし、エトセトラエトセトラ。
根が真面目な少女は羞恥心を覚えながらも確実に実行する。そして邪険にあしらいながらも、赤面したり目の泳ぐ先輩の様子にやがて快感を覚え、見事小悪魔系漆後輩へと進化したのだった。
「だったじゃないぞ尾形。それに椿も。覚えたの? 快感?」
「う······す、少し」
「ぬふふふ♪ わかるわー超めんこいもんね、そういう羊一」
なんともはや、とため息ひとつ。盛り上がる女性陣から目をそらすと、呆けたような顔の尾形と目が合う。
「俺、思ったんスけど。羊一のシラけた態度って蒔絵先輩が原因なんじゃないっスか?」
「んへ? あたし?」
「蒔絵先輩の絡みを躱すために学習したんじゃないッスか? 羊一、蒔絵先輩にはすっかり慣れた感じッスもん」
なるほど、と分析されている側の僕ではあるが他人事のように納得する。言われた方の蒔絵先輩はと言えばテーブルに身を乗り出し、グラスを引っ掛けそうでヒヤヒヤしてしまう。
「なっ!? じゃ、じゃあさじゃあさ、なんでなつめの時は上手く行ったのよー!?」
「なっちゃんの場合きっと天然で押し引きが巧みだったんスよ。蒔絵先輩は小悪魔っていうかダル絡みって感じッスもん」
蒔絵先輩は尾形に飛びかからんばかりだった。
そんなふたりを横目に、蒔絵先輩や椿とのやり取りを思い出していて、ひとつ気になったことがあった。
「椿が最初に言ってた『前世が漆なんですよ』って、あれも蒔絵先輩の指示だったの?」
「あ······あれは······」
僕が聞くと椿は耳まで赤くして愛らしくもじもじと小さくなる。
「あれは、えっと······アドリブ、です」
ぶはっ、と蒔絵先輩に襟首を掴まれた尾形が吹き出した。僕も堪らず笑ってしまう。
あの日、部室を追い出そうとした僕に対する苦し紛れのアピールだったのかも知れない。でも、思えばあの言葉に関心を引かれたのは確かだった。
「えー、インパクト勝ちじゃん·····それならあたしも『漆の化身なのよ』とか言っとけばよかったぁー」
蒔絵先輩は力が抜けたようにソファーベンチの背もたれに体を預けた。
そして続けた言葉に僕も、椿も、尾形も、まさに虚を突かれることになる。
「そしたら、今頃あたしが羊一の彼女だったのにー」
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