第30話 色違いの抽斗
さて、工芸や漆などちょっと普通というには少数派な世界に身を置きかけている僕ではあるけども。そんな僕だって果たしてただの男子高校生であるわけで。
なのでお互いに憎からず思っている異性をクリスマスという日に自分の部屋に誘う、となればそれなりの進展を意識していない、と言うのは嘘になる。
というか意識している。めちゃくちゃ。
だから今日まで何度も部屋を掃除したし、何度も家族の予定を確かめた。他にも、まあ、色々。
同時に頭の中ではシミュレーションを繰り返し余念はない。
例えば「友達と約束してますので♪」とか「毎年家族で過ごすんです♪」とか無邪気に断られるパターン。
例えば「······え?」とか「······は?」とか「うーん」とか引かれてしまうパターン。
どんなパターンが返ってきても「ふむふむそっかじゃまたの機会にー」くらい軽く続けられるよう誘い方もシミュレーションしたのだが。
「ク、クリスマス······僕と、その、一緒に、その·······」
実際は、といった有り様だった。だから椿が頬を染め伏せ目がちに答えた時、安堵と期待を覚えた。
「その······嬉しいです。えっと、一緒にイルミネーション見に行きましょう、ね?」
絶対にイルミネーションには行かない、と言ってなかったっけ? と思ったのはまた後のことで。
迎えに行った駅の改札に現れた椿はとても、その、良かった。厚手の茶色のワンピースに淡いピンクのコート。ちょっと踵のあるブーツに少し巻いた髪。
「せんぱい」
「えっと、アレだ。三角の苺チョコみたいで」
「······やっと感想聞かせてくれたと思ったらそれですか」
そう言って口を尖らせた椿はコツコツとブーツを鳴らし僕の腕に手を回した。
僕の家に近づくに連れ椿の口数は少なくなって、遂には一言も喋らなくなってしまった。全く同じ事が僕にも起きていて、そうなってくると組んだ腕からお互いの緊張と動悸を交換しているような時間がやってくる。
相手の緊張が伝わるものだから、もう、ひとりでふたり分をそれぞれ受け持つようなもので、当然言葉も出ない。
玄関のドアの鍵を開けるために腕を離して、ようやく何とか言葉を発する余裕ができた。
「あ、上がって。今誰もいないから」
「み、皆さん、今日はお仕事ですか?」
お互いにわざわざ緊張を高めるようなやり取り。夕方に街までイルミネーションを見に行く予定だけど、それまでは僕の家でふたりきり。
「け、け、け」
僕たちしかいないはずの家の玄関で、不気味な笑い声のようなものが聞こえたが、それは椿から発せられていた。
「ケ、ケーキ、作ってきましたのでっ」
「あ、ありがとう。お茶入れるから、先に部屋に上がってて」
椿を2階の自室へ上げ僕はキッチンへ一時避難。スイッチを入れた給湯器の赤いランプを見ながら、コップ一杯の水を飲み干し息をつく。
さして効果もないかと思ったが、それでもちょっとは落ち着く事ができた。
トレーの上のカップの紅茶を溢さないくらいには。
椿は何故かコートを着たままローテーブルの前に正座していた。紅茶のカップを前に置きながらハンガーも手渡すと椿は慌ててコートを脱ぐ。引っ掛けそうで怖かったので今置いたカップを少し引いた。
「ケ、ケーキ作ってきましたのでっ」
「えーと、ありがとう、さっきも聞いた」
「あうう」
「一回落ち着くか、僕もだけど」
「そ、そうですね。一回深呼吸で」
窓を開け、12月の冷たい空気で頭を冷やすと、僕たちはいくらか落ち着いてお互いの有り様を笑た。
椿が「じゃーん」と言って持って来た白い紙箱を開けると、そこには長方形のチョコレートケーキが入っていて。
「これ、椿が作ったの?」
「さっき言いましたよね?」
「ああ、そう言えば2回聞いたな」
もう、と口を尖らせる椿が作ったチョコレートケーキを改めて眺める。全体はチョコレートクリームで覆われていて、そこに同じく濃色のチョコレートクリームや板チョコで錺金具や引き手が描かれていた。
「すごい、千台箪笥だ」
「ふふふっ♪ 頑張りました♪」
「これは、写真撮って自慢せねば」
「へー、誰にですか?」
昨日の自分にか? まあ、そのあたりだ。
「あと、コレせんぱいに♪」
椿がバッグからリボンで留められた小さな包を取り出し手渡してくれた。開けても? と目で聞く。
「開けて下さい。というか開けないと食べられませんよ♪」
開けないと食べられません、と言われた包の中は成る程、漆塗のスプーンだった。濃い茶褐色の奥に薄っすら木目が見える。
「ありがとう。これ、木地呂?」
「鳴湖の木地呂です♪」
「成る程、これでケーキを食べるわけだな。あ、もうひとつスプーンかフォークか持ってくるから待ってて」
「大丈夫、いりませんよ」
僕が立ちかけると椿が止めた。
「いりませんって。椿は食べないの······」
そこまで言いかけて気づく。椿は目を三日月みたいにして笑いをこらえているようでもあり。
つまり、ひとつのスプーンでふたりでケーキを食べる······というか食べさせ合う、というわけか?
僕が黙っていると遂に椿が吹き出して笑った。
「ふふふっ♪ 意識しちゃいました? 残念、マイスプーン持ってきました♪」
「くっ」
「ふふっ♪ わたしは全然構いませんよ?」
「······まったく、さっきまでの周章ぶりは何処へ行ったのやら」
千台箪笥ケーキはもちろん漆の味がするわけはなく、お世辞抜きに美味しい物だった。加えて漆塗のスプーンの舌触り、唇を過ぎる感触も心地良く。
今年の春にはまだ料理が上手くない、と言っていた椿は今や食器まで
さて、椿に翻弄されタイミングを失った僕だったが、ケーキを食べ終わる頃を見計らって部屋の収納から自分で包装した小箱を取り出す。
「ケーキとスプーン、ありがとう。これ椿に」
椿の花が綻んだ。想像した以上のその表情に僕の心が震える。そんな笑顔だった。
「あ、ありがとうございます。嬉しい······あの、開けても?」
「気に入ってくれるかわからないけど」
「ふふっ♪ 気に入らないわけ·······わあぁ!!」
最後まで言わないまま、椿は小箱からそれを取り出し部屋のライトにかざした。鏡面仕上げに光が反射してキラキラ光る。同じくらい椿の瞳がキラキラして僕は胸を撫で下ろした。
「髪留めですね!? これって·······」
「千台木地呂、一応」
「あはっ♪ すごい! ねえ、クリスマスに自分で塗った木地呂を送り合う高校生って他にいます!?」
「どうだろ、輪島とか京都にはあるいは?」
「ねえせんぱい! 着けて着けて♪」
そう言って椿はせっかく綺麗に結ってきた髪を解いて僕に背を向けた。
いつもの髪型はハーフアップというのだろうか、左右の髪を緩く編んで後で留めているが、僕にそんな器用なことはできない。どうしようかとオロオロしていたら椿が少しだけ後を振り向く。
「せんぱい、わたしが髪持ってるトコで縛って♪」
見かねたのか、椿が自分で左右の髪を手で漉いてから纏め、親指と人差し指で作った輪っかで持つ。僕はそこに髪留めのゴムを2重3重と通し。
出来たと思って離すと位置が悪かったのか押さえていた髪が緩み形が崩れる。
それでも椿は、にへへへっ♪と蕩けそうな笑顔で僕を振り返った。
「せんぱい、髪留めを千台木地呂にしたって事は······」
「ああ、うん。抽斗塗った」
「わあ! 見たい、ああ、でもっ!!」
椿は少しの間目を瞑り、ぐっと何かを堪えるような表情をした後ゆっくり僕を見て口を開いた。
「ねえ、せんぱい、今から学校行きません?」
職員室で冬休みの当直の先生に事情を話し許可をもらった。明日からは学校も年明けまで完全に閉まってしまう。僕と椿はもう薄暗くなった廊下を進み工芸部の部室にいた。
「イルミネーション良かったのか?」
「ふふっ♪ 帰りに少しでも見られますよ。それより、せんぱいの千台木地呂の抽斗が箪笥に収まってるところ見たかったし、せんぱいも見たかったでしょ?」
祖父の箪笥の右中央、「観音」の錠を開け、持ってきた小抽斗を静かに入れ込んだ。
「観音」の中の三つの小抽斗。
何十年も前の職人が塗った千台木地呂。
十数年前に祖父が塗った千台木地呂。
そして僕が塗った千台木地呂。
「やっぱり、全然色合わなかったな······」
この色違いの抽斗を見て、のちの人は何を思うのだろう。
僕や椿や尾形、僕の祖父や杉野さんや名も無い職人達、そして幾人かの箪笥の所有者達。
この箪笥を巡る僕らの想いや、願いや、出来事や、過ごした時間はこの箪笥を受け取った人達には伝わらないかも知れない。
でもそれは確かにあった事としてこの箪笥の中に積もり重なって、残る。
これまでの100年と一緒に、100年後まで。
しばらくふたりでこの色違いの
カチッという音は静かな廊下にまで響いた。
─ 第三章 完 ─
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