第28話 光の道

 帰りのバスの中、僕たちは無言だった。

 自分で塗るなら修理代はいらない、と言ってくれた杉野さんに壊れた抽斗は預けて来た。

 僕たちは何も喋らなかった。でも多分、同じ事を考えてたと思う。

 街の中心に近づく頃には空はすっかり暗くなっていたけれど、バス通りの街路樹は何十万のLEDで飾られまるで光の道のようだった。




「この箪笥と箪笥に託された想いは100年残るんだと思うんだよね」


 杉野さんが僕の祖父が塗った千台木地呂の箪笥の前で言う。


「どんな想いかはもうわからなくても、願った事の証拠として箪笥が100年後に残る。例えば武士が願った一族の繁栄や家内安全とか、両親が願ったお嫁に出す娘の幸せとか。若い夫婦がいつまでも一緒に幸せに暮らせますようにとか? キミ達はだったみたいだけど」


 僕たちに杉野さんがニヤニヤ笑いながら目配せすると、椿は頬を赤くして俯いた。


「それは100年後に箪笥を受け取った人にとってルーツだし、アイデンティティなんだと思うんだよ。どんな想いや出来事があって今の自分があるかっていう」


 目の前にある祖父の千台木地呂の箪笥にはどんな想いが託されたんだろうか、と僕は思う。

 その想いはもうわからなくなってしまったのだけど、吹付け全盛期の中で手塗りをして欲しい、と願うだけの物だった事は伝わった。


「震災ではたくさんの箪笥がなくなってしまった。でもたくさんの箪笥が修理され、新品を買い求められた。色んな想いが託されたはずなのに、ボクたちはそれに応えられなかったんじゃないか、と思う。合板やウレタンじゃあ到底100年持たないからね」


「それでも、さっきの箪笥みたいなのを作るんですか?」


「今言った話はあくまでボクの考えであって、ただの独り善がりなのかも知れない。そんな事を求められていないかも知れないしね。ボクも家族があるし食っていかなきゃいけない。ホントにジレンマだよ」


 杉野さんは頭を掻きながら並べられた古箪笥の前を歩く。名工と呼ばれた職人や、名も無い職人たちの技術が詰まった千台箪笥たち。


「千台箪笥の職人ももう少ない。伝えられた技術も忘れられそう。だからこそちゃんと伝えて、知ってもらって、選ばれるようにしたい。そのためには何としても千台箪笥を残さないといけない。それがああいう箪笥を作ることでも」


 やがて杉野さんは僕と、椿と、尾形の方へ向き直す。その顔はどこか覚悟を秘めたような表情だった。


「ボクたちの世代は変えられなかったから。だから次の世代がこの道に入ってきてくれた時に、少しでも光が差しているように頑張るよ。ボクた達は絶対に千台箪笥を消さない。




 ケヤキ並木の光のイルミネーションはちょうど今日が初日だった。

 実物を初めて見る、と言う椿はバスの窓に額をつけて「うわあぁぁ」と歓声を上げた。その瞳はイルミネーションを反射してるみたいにキラキラと輝いて。

 椿があまりにはしゃいだ様子だったので、僕と尾形は顔を見合わせ苦笑し次のバス停で降りることにした。


 「すごい······光のトンネルみたい!!」


 椿は両手を上げライトアップされたケヤキ並木の真ん中でくるくると回る。

 少し離れた所にいた僕に尾形が「よし、俺先帰る」と言った。

 尾形は僕と椿に気をきかせたわけじゃない。手を動かしたくて、モノを作りたくて居ても立ってもいられないんだろう。

 特に今日みたいな日は。その気持が僕にもよくわかる。


「ひーくん行っちゃったんですね。······わたしも帰らなきゃ」


 白い息を吐きながら僕の元へ駆けてきた椿は、名残惜しそうな表情でイルミネーションを見上げている。


「今日が初日だからまた見れるよ」


「じゃ、じゃあクリスマス! 一緒に来ませんか!?」


 名案! といった感じに椿が頬を赤くして輝いた目で僕を見上げる。キラキラ、椿の瞳にイルミネーションが反射して光る。


「そうだな······」


 と返事しかけたところで、椿が「あー!!」と大きな声を出しながら両手で僕の口を塞いだ。


「せんぱいから誘って欲しかったのに自分で言っちゃった! 今の、なしでっ! クリスマス来ません絶対!!」


「はは、なんだよそれは」


 言いようが可笑しくて椿の手を下ろしながら笑ってしまう。口を塞いだ手を僕に掴まれた椿は口を尖らせて「絶対来ませんから······」と拗ねた声。

 そうしていたら回りの歩行者からの視線に気づく。「ちょっと、ここで?」などの声も聞こえ。

 僕たちはキラキラ光る遊歩道の真ん中で、両手を繋いで向かい合っている。椿に至っては口を尖らせて僕を見上げていたりして。


 当然、お互い顔を真っ赤にして手を離した。



 イルミネーションに照らされたケヤキ並木の遊歩道を、僕たちは黙って駅まで歩いてた。


「せんぱいは······」


 不意に椿の声が聞こえるが、そこまで言って口籠る。僕は気にせず大丈夫、と気持ちを込めて椿の手を握った。それが伝わったようで、椿は僕を見上げ小さく口角を上げる。


「うん、せんぱいは、卒業したらどうするんですか?」


「それは正直、まだわからない」


 卒業までもう1年と少し。工芸部で椿や尾形と活動出来るのはもっと短いだろう。

 普通の大学に行くのか、工芸や美術の大学に行くのか。それとも漆の産地へ、漆の訓練校へ·······。

 何も決められていない僕だったけれどひとつだけ思いはあった。その思いを祖父や杉野さんや名も無い先人たちから受け取った。

 僕は千台木地呂を塗る、それだけは。


「椿は、将来は?」


「わたしは······」


「鳴湖漆器を継ぐの?」


「そう、ですね。鳴湖漆器ももう職人さん殆どいないんです。パパは冗談でせんぱいに、その、お婿さんにって言いますけど。ホントは鳴湖漆器が絶えてしまってもしょうがない、と諦めてるのかもしれません」


 駅が近づきイルミネーションの飾りが途切れるところで僕たちは今来た道を振り返った。


「わたしも、いつかあの家を出て鳴湖漆器とは関係ない暮らしをするのかな、って思ってました。けど今日のお話聞いて、わたしにも鳴湖漆器の職人さんやパパが残してくれた物があるんだって·····」


 ケヤキ並木の端で立ち止まって僕たちはお互いの顔も見ず、ただ真っ直ぐイルミネーションを見つめて話す。


「だから、わたしはお婿さんをもらって鳴湖漆器を継ぐと思います」


 何度もふたりで歩いたケヤキ並木の遊歩道の、ずっとずっと向こうまで光の道が続いていた。


「そのお婿さんが、せんぱいだったらいいなって、思います······」


 最後にそう言った椿がどんな顔をしているかは見ていなかったけれど、同じ景色を見て同じような想いでいた僕と、同じような表情だったんじゃないだろうか。

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