第27話 蔵の中
街の中心街から街の中央を流れる川沿いの旧道をバスで数十分。バス停を降りて少し歩くと田畑の中に「いぐね」と呼ばれる屋敷林が見える。そのいぐねに囲まれた千台箪笥職人、杉野さんの住居兼工房を僕と椿と尾形の3人で訪ねた。
「やあ、いらっしゃい」
「今日はお世話になります」
先日、家具屋の千台箪笥コーナーで合った際に、壊れた抽斗の話や職人だった祖父の話をすると杉野さんは「あの原さんのお孫さんか!」と言った。そして相談に乗る、と工房に招いてくれたのだった。
「適当に座って。みんなコーヒーでいいかな?」
杉野さんに礼を言って作業台の脇のスツールに座り工房内を見渡す。収納に使っているらしい古箪笥の上には木工機械が並び、壁にはいくつもの鉋がかかっていて職人の作業場、といった感じ。
椿も尾形も目がキラキラしているあたりさすが工芸部員、と思うがまあ僕も同じだろう。
コーヒーカップを乗せたトレーを手に戻って来た杉野さんは早速本題、と壊れた抽斗を僕から受取り見てくれた。
「話だと野郎型の小抽斗だったかな? うん、本欅に手塗りの千台木地呂。いいね」
「······直りますか?」
「塗装は一度全部落とさないとだけど。抉れた部分もささくれてるから少し大きく彫って、木目がよく似た別のケヤキを埋め込む。大丈夫、直るよ」
木工修理の作業内容を聞いて、同じ木工に携わる尾形が一番興味ありげだ。
「杉野さんは木工の職人さんなんですか?」
「いや、ほんとは塗装メインだけど、まあ何でもやるかな。ちょうど塗装するものあるからちょっと見てく?」
そう言う杉野さんに案内され作業場奥の塗装部屋へ入る。作業台には塗装途中と思われる小箪笥が数個置かれていた。
「この合板木地は県外の木工産地で作ってる。産地だと設備が整ってて安く大量生産できるからね」
県外? 杉野さんの説明に違和感を感じた。そんな僕らの様子を見て、何故か杉野さんは楽しげに続ける。
「これにポリウレタン系やポリエステル系の塗料をエアスプレーガンで吹付け塗装する。研磨して平面を出したらそこの塗料で上塗りをする」
指差した棚には漆を買う際にもよく見る紙の桶、あとは円柱の缶や四角い缶なんかもあって。
「上塗りは業者やお客さんの予算に合わせて色々だね。漆にウレタンを混ぜた吹付け用漆、漆によく似てる合成樹脂塗料、あとウレタンクリア。家具塗装は表記が甘いから漆が一滴でも入ってれば『漆塗装』になる、って言う業者もあるからその時は指定通りに。そしてこれが塗装に使うスプレーガン」
杉野さんが壁にかかった銀色の器具を持たせてくれた。アルミ製らしい銃型のボディの脇に、塗料を入れるらしい同じくアルミ製カップがついている。
スプレーガンは冬の空気に冷やされ、持つとドキッとするほど冷たかった。
「塗りやすいように塗料は全て有機溶剤で希釈してコンプレッサーのエアで噴射する。吹付けた塗料の半分以上は物に付着しないから有圧換気扇から外に排出される。外のいぐね見たでしょ。シジュウカラなんかもよく鳴いてる。そこに排出する」
僕らが言葉をなくしていると、少しバツが悪そうに杉野さんは「ごめん言い方に悪意があったね」と言った。
「最後に金具。これも県外の工場でプレスして作った既製品をカタログから選んで取り寄せている。金具が華と言われてる千台箪笥と同じ金具が、日本全国何処からでもカタログ注文できる。そうやってできたのが、この前見ていた箪笥です」
(こんなの、千台箪笥じゃないでしょ?)
あの時そう言った杉野さんの言葉を思い出す。
「言い訳に聞こえるかも知れないけど、今説明した事は『悪』じゃないよ。伝統工芸って言ったって工業なんだから、これは技術の進歩です。その辺の家具よりも手をかけてるくらい。問題はこういう事をみんな知ってるか、ちゃんと知らせてるかだと思ってます」
そう言われてボクは考える。県内の伝統工芸として、千台箪笥は度々メディアにも取り上げられる。販売店のホームページへ行けば解説動画なんかも見られる。
そこでは伝統の技術と紹介されて、熟練の職人が手作業でケヤキの無垢材に鉋を掛け、刷毛で漆を塗り、錺金具金具を打つ。
そして店頭やホームページに並んだ千台箪笥もそう作られてると思う。
「それって詐欺なんじゃ······」
突然業界の裏側みたいなのを聞かされて困惑気味な僕たちは顔を見合わせた。言葉も出ない僕と椿だが尾形は臆面のない感想をこぼす。
「いや、ホームページなんか見ると『欅突板合板』とか『プレス成型金具』とかちゃんと表記してある。塗装はさっき言った通り少しでも漆が入ってれば『漆塗装』。でも、その意味は聞かれなければわざわざ言わない。普通のお客さんにわかるわけない。騙してないけど誠実じゃないよね」
「がっかりしたでしょう?」と言う割に杉野さんは笑っている。
「がっかりというか······どうして、それをわたしたちに教えてくれたんですか?」
「知って欲しかったんだ······昔はもっと酷かった。時代のせいにしちゃいけないけど、ホントに詐欺まがいの時代もあった。今はそういう時代じゃないし、もっと変えていかなきゃいけないと思ってます。だからボクはせめて、ボクのところに直接来てくれたお客さんには全部包み隠さず説明する事にしてます。その上でどうするかお客さんにちゃんと選んでもらいたい」
もうひとつ見せたい物がある、と杉野さんは僕たちを引き連れて敷地内の蔵まで案内してくれた。「これカッコいいでしょ」と蔵の戸の鍵と大きな錠前を指差すと尾形が「写真いいっスか?」とスマホを出す。
蔵の戸を開け中に入り杉野さんが照明をつけると、リノベーションされた空間に千台箪笥がいくつも並んでいた。
その数はあの家具屋の千台箪笥コーナーよりも多く「すごい······」と僕らは無意識に呟いた。
「この箪笥は老舗相馬屋に昔いた青木さんって指物職人さんが作ったもの。こっちは宮城さん。こっちは幕末の金具師の名工菊正······」
杉野さんの口から次々出てくる先人の職人たちの名前。職人の名前は残らない、そう思っていた僕はその事に驚いた。
「誰が手掛けたか、それも箪笥の歴史だからお客さんにわかる範囲で伝えるようにしてるんだ。合板の箪笥と合わせてお客さんには蔵の中も見てもらって、むしろこっちをおすすめしてる」
「え、じゃあこの箪笥たちは売り物なんですか?」
「そう、不要だと捨てられたり売られた古箪笥を集めてるんだ。このまま買ってもらう時もあるし、完全に修理して引き渡す時もあるね。実は新品の箪笥とそんなに値段変わらないんだよ。さあ、ほら原くんこっちに来て、見て」
手招きされて呼ばれた先に一本の野郎型の千台箪笥がある。
「原くんのお祖父さんが塗った千台木地呂の箪笥だよ」
その箪笥は照明に照らされ赤く輝いていた。
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