第26話 家具の町

 この街の中心街の一区画に通称「家具の街」と呼ばれる場所がある。全盛期にはこの狭い区画に何軒もの家具屋が立ち並んでいたそうだ。

 しかし大型量販店や低価格輸入家具店に押され、今は数件が残るのみ。

 休日、僕はこの区画を歩いている。隣にはちょっとおしゃれした椿。


「久しぶりのデートです♪」


「デートなの?」


「デートです。そろそろ無駄な抵抗は諦めてくださいね?」



 尾形の借りてきた工具で、錠のかかったままの壊れた抽斗を抜いたのは数週間前。

 中から出てきたのは「塗手板ぬりていた」と呼ばれる木の板だった。

 一枚の板に漆塗りの工程を最初から最後まで、ストライプ状に表した見本板。ひとつの工程を行ったら少しずらして、それが見えるように残し次の工程を行う。

 そうする事でひとつの塗りの工程が段階的に分かるのだ。

 壊れた抽斗からこの塗手板が出てきた時は狐に包まれたような感覚だった。

 なんでこんな物のために綺麗に仕上げた抽斗を祖父は壊したのか。

 しかし塗手板の工程を目で追ううちに気づいた。


「これ······千台木地呂の塗手板だ······」


「せんぱい、わかるんですか?」


 僕は塗手板を抽斗に当てる。手板の工程最後の部分は抽斗の塗りと一致する。


「赤みがかった透けのいい木地呂。同じですね」


「ということは、これ手本にやれば羊一も塗れるってことだな!? この抽斗塗り直せるんじゃね!?」


 祖父はこれを見せたくて? 僕に?

 それでもまだはっきり祖父の思いはわからなかった。そんな僕に椿が遠慮がちに口を開く。


「せんぱい。ひょっとしてこの塗り直してない抽斗、わざとじゃないですか? 想像でしかないですけど······オリジナルの千台木地呂と」


 椿が扉の中の、塗り直ししていない抽斗を指差す。


「せんぱいのおじいさんの千台木地呂と」


 塗り直ししていない抽斗の下、祖父が塗った抽斗を指差す。


「千台木地呂の塗手板······いつか誰かが·····ううん、いつか千台木地呂を再現する時の為の見本として」


 それは想像でしかなかったし、出来すぎだとも思った。それでも······。


「僕に塗り直せって言ってるのか? おじいちゃん······」


 もう今はない工房の中、眉間に皺を寄せ箪笥を塗る祖父の姿が頭に浮かんだ。




「ちっちゃい時はこういう勉強机欲しかったんですよねー」


 ホワイトにミントブルーが差し色された子供用のデスクを撫でながら椿が言う。


「実際はどんなの使ってたんだ?」


「今も部屋にあるのと同じです······」


「ああ、あれ。栗材の、拭き漆の」


「······ちゃぶ台です」


 口を尖らせ憮然とした表情の椿。僕たちは一軒の家具屋に入っていた。

 

 あれから何度か千台木地呂を練習していたが、あまり上手くいっていなかった。

 塗手板と同じ工程を踏んでも、椿が言うオリジナルの千台木地呂とも祖父の千台木地呂とも似つかない。

 工程と結果がわかっているだけで、例えば道具や材料、もっと言えば使っている漆の産地もわからない。

 また壊れた抽斗を塗り直すとなっても、木地を修理できる千台箪笥の職人を探さないといけない。

 そんな行き詰まっていた僕に何かの参考になれば、と椿がこの家具の町に連れ出してくれた。

 

 僕たちの住む県内には千台箪笥コーナーが常設されている家具屋がいくつもある。千台箪笥の専門店もある。

 ただどちらにも言えるのは、そこに置いてあるのはほとんど新品の現代版千台箪笥で。古箪笥や無垢材、手塗り、手打ち金具の千台箪笥と置いてあるところは限られてくる。

 そんな中、家具の町にある老舗と言われるこの家具屋の千台箪笥コーナーは一際力が入っていた。


「わー。あ、これうちの箪笥と同じ型です!」


 千台箪笥コーナーに入ると最初に目についたのは、時代ごとに並べられた古箪笥だった。

 幕末から明治期の「野郎型」から「大正型二ツ重」、「昭和型三ツ重」。時代順を逆に辿ると、抽斗のバランスが洗練されておらず錺金具もまだ素朴な江戸後期の箪笥、箪笥そのものが生まれる前の収納家具だった長持ちまである。


「震災で古い箪笥はかなり失くなったって聞いたけどあるところにはあるんだな······」


「ちょっとした博物館みたいですね!」


 僕たちは改めて箪笥や説明パネルを時代順にゆっくり眺め。そのまま進むと新品箪笥の販売コーナーへ入った。なるほど、歴史を垣間見せながら販売コーナーに自然に誘導するわけだな、などと家具屋の意図を分析してみたり。

 販売コーナーの箪笥は当然塗装も新品なのだが、色や艶感がそれぞれ違うことが気になった。塗り方や手掛けた職人によって仕上がりが違うのだろう。

 祖父の箪笥に色味の近い小箪笥の前に立って見ていると、後から声をかけられ驚く。


「その箪笥はやめといたほうがいいですよ」


「え?」


 僕たち以外に千台箪笥コーナーに人気はなかったのだが、振り向くといつの間にかひとりの男性が立っていた。

 

「お、新婚さんかな、と思ったけど若い。千台箪笥興味あるの?」


 年齢は40代くらい、スーツではなく私服だったのでの店員ではなさそうだ。


 、新婚さんじゃ······と顔を赤くしてゴニョゴニョ言う椿。またこのパターンか、とため息。


「えーと、やめておいたほうがいいとは?」


 彼は僕たちが見ていた箪笥に近づくと、躊躇なく抽斗を抜き取り縁を指差した。


「わかるかな、抽斗の前板にぐるっと薄板が回ってるでしょ。これは桐の集成材にペラペラのケヤキのシートを貼ったベニアを重ねていて、その接合部を隠すために貼ってある。つまり無垢材の箪笥じゃない」


「合板ってことですか?」


 僕が聞くと彼は一瞬目を開いてこちらを見た後にぃっと笑った。


「合板、わかるんだね。合板が悪いってわけじゃないけど、これは塗装もウレタンだし金具も出来合いの既製品だし、全然おすすめしないです」


 彼の説明に今度はこちらが目を丸くする番だった。一緒に説明を聞いていた椿は、くいくいっと僕のシャツの袖を引き耳元で声を潜める。


「店員さん、じゃないですよね······営業妨害?」


「ふっ、はははは」

 

 椿の言葉に彼が吹き出した。


「ははっ、営業妨害と言えばそうだけど。ふふっ、その箪笥はボクが作った、というか組み立てた? まあ、そんな感じです」


 聞くところによると、この千台箪笥コーナーは箪笥の組合が運営しており、彼は組合員の職人らしい。

 今日は所用でたまたまこの家具屋に来ており、ついでに千台箪笥コーナーを覗いたところ僕らを見かけ声をかけたとのことで。


「自分で作った箪笥なのにおすすめしないんですか?」


 椿が訝しげに尋ねると彼、箪笥職人の杉野さんは爽やかな笑顔で、その表情に似つかわしくない事を言った。


「だって、こんなの千台箪笥じゃないでしょ?」

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