第25話 扉の奥

 千台箪笥の抽斗を飾る錺金具。その表側についた摘みを上げると裏側にある錠がかかる。

 この錠、初期の箪笥は3枚の薄板の一箇所を真鍮ロウ付けした「三枚羽根」と呼ばれる板バネ形状をしており、これに対しては2本歯の鍵を使う。

 三枚の薄板鉄板を2本の歯で挟んで縮め、引っ掛かりを解除する仕組みなわけだ。

 まだ製作方法が安定していなくて錠にバラつきがあり、古い箪笥など鍵が2本3本つくこともあって。


 父親に鍵の所在を尋ねたところ割とあっさり探してくれた。進路について意見の相違はあれど特別不仲なわけではない。

 自主的に塾に通っているのが功を奏したのかも。

 

 そんなわけで、僕的にいちばん、と思っていた難関を突破し紐で括られた2本の鍵を手に入れた。

 鍵を手に入れた、なんてRPGみたいでかっこいいな。


「羊一は鍵を手に入れた!」


 尾形に鍵を入手したことを告げると、どうも同じような事を考えたようでなんとなくその記憶を消したい気分。


「しかし、鍵からしてカッコいいな」


 こちらには僕も同意だ。

 紐通しにもなる持ち手部分は鉄の丸棒を輪っかにしたもの、そこに鉄板を丸めた筒状のパーツがはまっている。さらに先には2本の歯が筒に直角に刺さっている。

 各パーツの接着は真鍮ロウ付けで、製作時には筒の中にホウ酸と真鍮破片を詰め、丸ごと炉の中に入れる。もちろんできるわけじゃなく本などで読んだ知識ではあるが。


(箪笥の鍵入手、放課後部室まで)


(おー♪)

(先輩は鍵を手に入れた!)


 椿にメッセージを送るとこの返信。

 いいだろう、これが我が工芸部だ。



 放課後僕らは部室に集まった。なんとなく足が遠のいていた僕といい、忙しいはずの尾形といい、この箪笥が来てからというものよく部室に顔を出す。

 やはり100年モノの工芸品となると、人を惹きつける力があるのは確かだろう。

 ましてや錠の掛かったままの抽斗の解錠となればちょっとしたイベントだ······と思う高校生がどれくらいいるか分からないが、少なくとも工芸部に置いては全員がそう思っている。


「どうしますか? せんぱい」


 と椿。首にはビニール紐に通した箪笥の鍵がかかっている。

 曰く「鍵っ子みたいじゃないですか♪」とのことだが、下げているのは明治期の鍵。「和鍵っ子」とからかうと「和風好きでしょ?」と返され。

 

 さて、椿の質問に戻ると、現在この箪笥で開かないのは一番下の大きい抽斗と「観音」と千台箪笥では呼ばれる右中央の扉だけだ。

 扉の中にはさらに2つから3つの小抽斗があり、そこにも錠があるはず。

 鍵は2本あり、どの抽斗の錠に対応するかは一度全て錠をかけ、改めて解錠してみるのが早い。

 問題はこの鍵が確実にこの箪笥のものでなかった場合、または鍵が足りなかった場合。

 解錠できなかった抽斗は何かの手段を見つけるまで閉ざされる。


「まあ、その時はその時だな」


 楽観的な尾形は僕たちの意見も聞かないままカッ、カッ、カッと全ての錠の摘みを上げてロックしてしまった。


「ちょっとー、ひーくん」


「一応言っとくとこの箪笥、僕のだからな······まあ、いいけど」


「よし、開けようぜ!」


 全く悪びれる様子もない尾形は椿に手のひらを差出し鍵を催促する。でも椿は動かない。


「なっちゃん、鍵」


「ふふふ♪ 取れるものならどうぞ」


 と胸を張り首にかけた紐の先の鍵をアピールする。


「でも指一本でもわたしに触ったら、ひーくんパパに言いつけますからね?」


「なっ! くそっ」


「というわけで1番はわたしで♪」


「一応僕の箪笥だから······まあ、もう好きにしろ」


 ふふふん♪ と椿は鼻歌まじりで鍵を大抽斗の錺金具の穴に差し込む。


「行きますよ?」


 一度僕と尾形を振り返り、反時計回りに鍵を回す。となりで尾形が唾を飲むゴクリという音が聞こえた。そして······。


 カチャッ。


「開きました!!」


「「おおぉぉ!!」」


 繰り返しになるが、これが我が工芸部だ。



 その後交代で抽斗の錠を開けていく。幸いにもひとつ目鍵で小抽斗まで含め全ての錠が開いた。これは当時の金具師の腕が良かったという事だろう。

 ふたつ目は「観音」の鍵だった。「観音」には引手がなく、解錠したらそのまま差し込んだ鍵を引手替わりに引いて開ける昔ながらのタイプで。

 僕たちは嬉々として錠を開ける。下敷きに使った古い新聞くらいしか目ぼしい物がなくとも、宝探しでもしているようなワクワク感。

 

 ここまでは順調、問題は扉の奥だった。


 千台箪笥の扉の中は大体正方形になっており、上下2つの小抽斗、または上段にひとつ下段に左右2つ計3つの小抽斗が入っている。

 祖父の箪笥は後者であったが、その下段右側の抽斗に錠がかかっていて合う鍵がなかった。そして抽斗を無理にこじ開けようとしたような無惨な傷が。


「せんぱい······」


「鍵はこれだけなんだよな? 羊一······」


 先程までの高揚感は薄れ、椿と尾形の心配そうな顔が振り返る。僕はふたりの間から手を伸ばし抽斗の傷に触れてみる。

 浮き上がった塗膜に爪を立てると木地のケヤキごとポロっと剥がれ2センチくらいの欠損となった。


「わ、わっ。運ぶ時にぶつけちゃったんでしょうか?」


「いや、抽斗も観音も錠かかってたから、それはない。見た感じ錠が開かなくて何か細いものを差してこじ開けようとしたみたいな······」


「だ、誰がだよ?」


「状況的には······うちのおじいちゃん、だろうな」


 僕は剥がれ落ちてしまったケヤキの木片を手のひらで転がす。正直なところ頭が真っ白だった。

 大丈夫、大丈夫だ。

 無垢材の箪笥は何度でも直せる。

 古い塗装を削って何度でも塗り直せる。

 

 


 そうだ、千台木地呂の継承者だった祖父は亡くなってしまったんだ。



「せんぱい、大丈夫ですか?」


 椿の呼びかけで呆然としていた事に気づく。


「だ、大丈夫。とりあえず直すにしても抽斗を抜かなきゃ。何か工具があれば······」


「俺、借りてくるから」


 尾形が慌てて部室を出て行った。特殊な工具がなくても学校の技術室にあるものでなんとかなるはず。


「何だって、おじいちゃん、こんな······」


「何か、大事な物が入ってたんじゃないでしょうか······」


 椿の言葉で福祉施設に入所していた祖父の様子を思い出してみた。

 工房を閉め職人を引退した祖父は急激に衰えてしまい、一日中ぼうっとして記憶も認知も曖昧になってしまった。

 その祖父が箪笥を壊しても取り出したかった大事な物とは?


「せんぱい、見てください、ここ」


 椿が指差したのは扉の中、上段の抽斗。そして僕も気づく。


「せんぱい、この抽斗だけ······」


「······塗り直してない古い木地呂だ」


 漆は塗装後時間をかけてゆっくり透明度が増していく。また塗膜が痩せて木目が凹凸に表面に現れる。その抽斗だけがそういった変化を見せていた。

 なんで? 他は完全に塗り直していたのになんでこの抽斗だけ?

 壊された抽斗と塗り直していない抽斗。

 祖父は一体何を思っていたのか。

 

 尾形が持って来た工具で錠のかかった抽斗開けるまで、その事は想像もつかなかった。

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