第23話 祖父の箪笥
間口4尺、高さ3尺、奥行き1尺5寸。
左から右まで幅全てを使った一番上の大抽斗には、武士が刀と裃を入れて使用したことから「
押入れの下段に仕込み使用することから、見えなくなる天板や側面は杉や松、対照的に正面の抽斗は木目の美しいケヤキ材。
一族の繁栄を願う吉祥文様を象った豪華な手打ち錺金具は、漆の焼付塗装で程よいつや消しの黒。
そして赤味がかった茶褐色の鏡面塗装は、祖父が最後の仕事として施した『
祖父の入所していた福祉施設の個室から遺品を引き上げる際、この箪笥がどうしても家の車に詰め込めず。
処分するか買い取りしてもらうか、という父親を説得し、施設には無理を言って預かってもらっていた。
という話を椿にしたところ椿の父親にトラックを出してもらい、こうして休日に工芸部の部室に運び込むこととなり。
「ここでいいかい?」
「はい、降ろします。椿は壁見てて」
「はーい」
椿の父親と箪笥を担いで階段を上り、なんとか無事部室まで運び下ろした。日頃特に運動もしない僕なので細腕がプルプルいっている。対して椿の父親の腕は太く、体もがっしりとしていて息も上がっていない。
実に職人らしい体格で羨ましい。
箪笥に傷がつかないように養生した梱包材を外すと「わぁぁ」と、椿がため息交じりに声を上げた。
「いや、これは実にいい箪笥だね。家にも塗り直してない2段の古箪笥があるんだが」
「ああ、大正型二つ重ねですね」
千台箪笥は時代に合わせて形を大きく変えている。
大正時代には真鍮象嵌のシンプルな金具のついた「大正型二ツ重」、昭和に入ると桐箪笥を模した「昭和型三ツ重」など。
祖父の箪笥は幕末から明治にかけて作られた「野郎型」だ。
「100年以上前に作られた箪笥がこんなに綺麗に残ってるなんて、すごいですね!」
「流石に何度か修理してるし、おじいちゃんが塗り直したのは震災の翌年だから」
説明しながら箪笥の天板に触れる。
祖父が塗り直して十数年、実際の生活の中で使用していたので小キズはあるが、まだまだ木地呂塗の艶はしっかりと残っている。
木地呂塗の「木地」は木の木目、「呂」は艶の事を言い、「木目を活かした艶のある塗り」という意味で。
茶褐色の漆の下にケヤキの木目がくっきり見える。そしてその表面は平滑で姿が映るほどの鏡面仕上げだ。
「木地呂と言っても少し赤みがかってるでしょ? 千台箪笥は赤い、って昔は言われてたみたいで」
「これが千台木地呂ですか♪」
箪笥の形や塗りの説明をすると椿の父親が手を叩く。
「いや、勉強になるね。家の箪笥を塗り直す時は原くんにお願いしよう」
「い、いや、そんな。無理ですよ」
「自分の箪笥と思って気軽に。どうせなつめの嫁入り道具として一緒に貰ってもらうんだから」
「え!?」
「ちょっとパパ!? もう帰っていいから!!」
ぐいぐい背中を押され、部室から追い出される椿の父親に今日の礼を伝える。
しかし、気に入ってもらえたならありがたいが、この手の冗談は返答に困るわけで。
「パパがすみません······それにしても」
部室のドアを閉め振り返った椿は、そこまで言って口を手で押さえくすくすっ♪ と笑う。
「なに? 機嫌良さそう」
「ふふふっ♪ 機嫌良さそうなのせんぱいですよ。箪笥とか漆のお話してる時ニコニコしてて」
いや、ニコニコはしてないだろ。
職人たるもの表情ひとつ······と言いかけやめた。
文化祭が終わった当たりから目標が見い出せず、特に祖父の葬儀があってからは椿に気を使わせてしまっていたし。
「せんぱいがニコニコしてて嬉しいです」
だから、そう言う椿がニコニコしてて僕も嬉しい······とは結局口にできず箪笥に目をやると、漆の鏡面に笑う僕らが映っていた。
ふたりで箪笥の点検をする。いくつか錠がかかって開かない抽斗があった。先に施設から引き上げた祖父の荷物の中に、鍵が紛れているかも知れない。帰ったら探さねば、だ。
「せんぱい、これ」
箪笥はほとんど空だったが、ひとつの抽斗から小さなプラスチックの玩具が出てきた。
最初、何だか分からなかったその玩具を手のひらに収めると、急に頭の中に夕暮れの草むらの映像が浮かんだ。
「あ······こんな所にあったのか」
それは幼い頃、母親が買ってきてくれたおやつのオマケの玩具だった。
プレゼントでも何でもない、本当にただおやつについてきただけのチープな玩具。
ゲンゴロウかなにかの昆虫の形をしていた。そして横のつまみに爪をかけて引くと、棒の様な手足が出て人型ロボットになる。
もう全然意味がわからない。
特に気に入りもしなかった。
ある時、手のひらに収まりが良かっただけ、という理由でそれを持って遊びに行った。その先で年上の子供に取り上げられた。
チープな玩具は馬鹿にされて、草むらに投げ捨てられた。
その時急にその玩具が宝物の様に思えた。
プレゼントでもない、選んでくれてもない、ただ母がくれたというだけのそれが。
僕は泣き出し、あまりにも泣くものだから年上の子供も一緒に探してくれ。
見つかってからしばらくの間も、そのおもちゃは僕の宝物だった。
「いつどこで失くしたのかも、失くなった事も気づかなかったけど。こんなとこから見つかるとは······」
夕暮れの草むら、見つからない不安、見つけた時の安堵。
相変わらずチープな手のひらの上の玩具を引き金にそんな記憶が再生される。
恥ずかしい昔話を椿に聞かすと「わたしも見せて」と言って手のひらを僕に向けた。
「すごい、箪笥がタイムカプセルみたい」
渡すと椿にとって何の価値もないはずのその玩具を、大切な物の様に掲げ、丁寧にそっと手で包んでくれる。
そして空いた手で僕の頭を撫でてくれる。そっと丁寧に。
「なに?」
「えへへ♪ 弟いたらこんな感じかなって」
「年上敬えよ?」
そうは言うが、気持ちいいのでそのまま身を任すと幼い頃に母や、いもしない姉にそうやって撫でてもらったような気持ちになる。
そうしていると僕は不思議な感覚に包まれる。
なんでもない、誰も見向きもしないチープなお玩具。
事実このあと、僕だってどこかにしまって、もう気にもしないだろうこの玩具。
この玩具の中に僕の記憶が込められている。
あの時の温度や感情や空気を運んでくれる。
10年経っても変わらず、むしろ瑞々しく。
そして今、それが全く同じと言わないまでも椿に共有され。
なんでもない玩具が、椿にとっても大切な物のであるかのように意味を変える。
すごく、すごく不思議な感覚だった。
「ふふふっ♪ なんか、せんぱいの小さい頃のお話聞いたら、小学校とかの卒アル見ちゃった気分です」
「見せろって言うんだろ? 見せないぞ」
「見せて下さいね♪」
「見せないって」
休日の部室、午後の暖かい陽射し、椿とのやりとり。
祖父の箪笥やこの玩具の歴史に、こんな風景や時間が付け足されるのかな、と思う。
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