第13話 逃げんなよ
「あちぃ〜······羊一ぃジュース買ってきて〜」
「暑いなら離れてください」
と僕は腿の上の黒髪に向かって言った。
正座する僕の足の上には、長く真っ直ぐな漆黒の髪が。いわゆる膝枕状態だ。
「おはようござい·····まっ!?」
部室のドアを開けた椿が、僕と僕の足に頭を預け、スマホをポチポチしている女性を見て固まっている。
「おはよう。先に言っておくと、この人と僕は何の関係もないからな」
「ちょっと羊一ひどくない? あたしと羊一の仲じゃん。
また誤解を招くような言い方を、と思っていると椿が涙目で僕の制服を掴んでグイグイ揺らす。
ひどいですひどいわたしというものがありながらこのうわきものわたしだってまだてもにぎってないのにずるいですひどいですわたしもひざまくらしてください〜っ!
前後に激しく揺すられる僕の頭をギリギリかすめ、大きく足を上げたかと思うと下ろす反動で勢いよく起き上がる漆黒の髪。
「キミが噂の可愛い後輩ちゃんかー!」
と蒔絵先輩が僕の制服にしがみついた椿に言った。
女性にしては長身、背中の中程まである真っ直ぐな黒髪は漆塗り艶を思わせる漆黒。対照的に陶器のような白い肌に、切れ長の目が印象深い、所謂「誰もが振り返る美女」というやつだ。
大学の夏休みを利用して、母校工芸部を訪ねてくれたこの美人の先輩と僕がなんの関係もない、と言ったことは訂正しておこう。
蒔絵先輩はこの学校に工芸部を作ったその人であり、前部長であり、僕のもう一人の師匠でもある。
蒔絵先輩が3年生の時僕は1年生。職人としてのあり方を祖父に教わり、実際の漆の基礎は彼女に教わった。先輩風に言えば手取り足取り、だ。
「ぜんぶひょーひゃんれひたかー」
蒔絵先輩に頬を軽くつままれ、ぐりぐりされながら椿が「前部長さんでしたか」と言った、多分。
「ちょっと羊一、なつめのほっぺヤバい! スベスベのプニプニ〜めんこい〜!」
「ありひゃとうごひゃいまふ〜♪」
初対面にして下の名前を呼び捨て、そして男女問わず遠慮のない過剰なボディタッチ。
一見日本人形を思わせる容姿、その中身はまさに天才と何とかは紙一重、を地でいくタイプだ。
僕がこの高校に入った年の新歓の部活紹介にて、蒔絵先輩は挨拶もそこそこに、時間いっぱい漆を練った。
僕もこれに倣って部活紹介を行ったわけだが、彼女は斜め上を行く。
まだ練り上がらない、と時間を延長したのだ。
再三中止を促され、最後は引きずられ喚きながら強制退去された蒔絵先輩であった。
しかし、漆に関しては秀でた才能を惜しみなく発揮し、県内の工芸展では高校1年生にして入選、その後2回の入賞を果たした。
そして現在も大学にてその腕前を研鑽している。
「というわけで茶行こ、茶。ダベろ?」
「なにがというわけで、ですか。仕事あるので行きませんよ」
「ちょー、いつからそんな冷たくなっちゃったのよ。昔はちょっと手が触れただけでも真っ赤になって可愛かったのにー」
「ほうほう♪ 興味ありです♪」
「よし、なつめ行こ。秘蔵コレクション見せてあげる。初々しい羊一の写真」
それは阻止せねば、と腕を組んで部室を出て行ったふたりを追いかけ、校舎裏の来客用駐車場まで来た。
ふたりは軽トラックに乗り込むところだ。
美女と軽トラック、一見ミスマッチに感じるがこの先輩の場合何故か納得してしまう。
見ていたらピンと来るものがあった。
「あれ先輩、ひょっとして尾形と木材運んでくれました?」
「そうそう、シブいでしょあたしの車。あ、光も呼んどいてね、いつもんトコで〜」
と蒔絵先輩は軽トラックのエンジンを掛け、2度3度アクセルを吹かした。マフラーを変えているのか大きめの重低音で白煙を吹いた。
わたしも歩いて行きます、と言う椿に無理やりシートベルトを装着する。
「ダメダメ、なつめは人質なんだから。羊一が逃げないように」
それじゃまた後でねー逃げんなよ、との言葉と白煙を残し、ふたりを乗せた軽トラックはタイヤを鳴らすと駐車場を結構なスピードで出て行った。
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