第10話 わたし前世が漆なので♪

 ひとりで帰れると言う僕に、半ば強引に椿がついてきた。

 今日一日の龍紋塗りの指導、そして美味しい料理のお礼を椿の両親にして工房を後にする。

 帰り際には「お婿さんの件考えておいてね〜」とまた言われ「考えておきます」と返した。

 日はまだ落ちていなかったが、標高が高いせいか少し肌寒い気がする。


「今日は助かった。ありがとう」


「いえいえ」


 何かを察しているのか、椿にいつものテンションの高さはない。僕も口数多い方でないし、自ずと会話なくただ坂を下る時間が続いた。


「あ、あのっ」


「どうした?」


 意を決したような椿の声で僕は立ち止まった。


「せんぱいに塗って欲しいもの、あって」


 椿が手提げから取り出したのは15センチ位で、片方の先に木の玉がついた棒状の物だった。


かんざしか?」


「そ、そうです♪ あのあのっ、実は文化祭で茶道部のお手伝い頼まれちゃって。着物着てお茶出しするので、その時に着けたいなって♪」


 なんとなく重くなってしまった空気を変えたかったのだろう、椿がいつもの調子で話す。

 しかし僕は簪の木地を見て、心のモヤモヤを思い出してしまった。


「その木地、誰が作ったんだ?」


 僕が聞くと椿が小さく息を呑んだ。

 今の言い方は流石にないか、と僕も思い居心地悪く頭をかいた。


「いや、悪い。でも椿が自分で塗ったらいいんじゃないか?」


 僕より腕のある椿が塗った方が綺麗に仕上がる、と単純に考えたのだが椿の返答は思ってもない方向にズレた。


「あの······ひーくん、尾形先輩はただの幼馴染ですからね?」


「ん?」


 僕は目を丸くした。

 どうしてここで椿と尾形の関係についての説明をされた?

 あと、尾形のことひーくんって呼んでるんだな。それは、まあ、いいけど。

 椿も会話のズレを感じたのだろう、首を傾げたり視線を巡らせたりして最後に腕を組んだ。


「あれ?·····せんぱい、やきもち焼いてるんじゃ?」


「やきもち? 僕が? どうして?」


「尾形先輩とわたしが仲が良いって聞いて?」


「何でそれで僕がやきもち······ああ、なるほど!」


 僕と椿の会話のズレの原因が分かって、僕は思わず吹き出して笑った。

 今度は椿が目を丸くする番だ。

 

 職人たるもの顔色ひとつ変えない。

 そう思っていたが全然出来てなかったようだ。

 そして、僕は僕の中のモヤモヤの正体が椿の言うように、やきもち······嫉妬である事に気がついた。

 僕は、椿や尾形の技術力に、それがすでに人に認められていることに嫉妬している。

 椿は、幼馴染であるという二人の関係に僕が嫉妬していると思っている。

 このズレが誤解を生み会、話がチグハグになってしまった事が可笑しくて、僕は思わず笑ってしまった。

 その事を説明すると椿は僕によく見せる拗ねた表情になる。


「もう、せんぱいやきもち焼いてくれたのかって期待して損しましたっ」


「嫉妬はしてる。椿の思ってる方じゃないけど。僕は思ってたより負けず嫌いだったみたいだ」


 拗ねたままの椿から僕は簪を受け取った。

 話の流れから、この簪を作ったのは尾形で間違いないだろう。

 滑らかな手触り、反りや歪みもなく尾形の旋盤技術が高いことがすぐ分かった。


「いい木地だな······どうして僕なんだ? やっぱり椿が塗った方が良いんじゃないか?」


「······好きだから、えっと、せんぱいの塗り」


 ぼそっと言う椿を横目で見ると、拗ねた表情のままだが頬を染めている。ころころ色を変える椿の表情と、僕に向けられる感情に気恥ずかしくなり、視線を戻した。

 返事をしない僕に椿が言葉を続けた。


「せんぱい、新歓の部活紹介の事覚えてますか?」


 新歓······4月の新入生歓迎会の部活紹介で尾形に押し切られた僕は工芸部代表として1年生の前に立った。人前に立つ事が得意ではなかったので酷く緊張した事を覚えている。


「せんぱい一言だけ挨拶して、残り時間ずっと漆捏ねてたじゃないですかぁ」


「あー」


 そう、他の部活が様々な挨拶で笑いを取ったり、パフォーマンスで盛り上げていた中、僕は挨拶もそこそこに、黙って地味な作業をする事に逃げた。

 まあ、新入部員は初めから期待してなかったが、尾形は大爆笑で今でもたまにイジられる。


「すぐみんなは飽きちゃって、欠伸したりお話したりしてたんですけど。でもわたしは、その、良いなって思って······そしたら目が離せなくなっちゃって」


 ちょっとした僕の黒歴史に触れられ、それを良いと言ってくれる事が恥しく黙って聞いていた。


「所作がキレイだなーとか、無表情なのに目だけキラキラさせて漆触ってて。ああ、この人ホントに漆が好きなんだなー、わたしと違って、って思って······」


「わたしと違って?」


「その時はあんまり好きじゃなかったんです、漆。ほら、手は汚れるし、お休みの日はパパの手伝いだし······触るとかぶれるってからかわれたり」


 なるほど、職人の家に生まれたからといって必ずしも家業を好きになるとは限らない。


「でもせんぱい見てたら、やっぱりわたしも漆が好きだなーって思って。えっと、なんかわたし、ひとりで喋りすぎてません?」


 それはいつもの事だろう、と僕が言うと椿はえヘへっ♪と髪に手を触れた。

 椿家を出てから、なんとなく続いていた重苦しい空気が、部活の時のような気安さに少し戻った気がした。

 椿も同じように思ったのだろう、前を行く僕にとととっと追いつき並ぶ。ふふふん♪と椿の鼻歌が近い。


「とにかくとにかくっ。この人に塗ってほしいなって思って、わたし


「わたし? 」


「そうです♪ わたし前世が漆なので♪」


「ははっその設定、生きてたんだな」


 めちゃくちゃだけどその設定も悪くないな、僕はそう思った。

 僕も、椿も漆が好きなんだ。

 笑っていると横を歩く椿が僕のシャツの袖をちょん、とつまんで言った。


「せんぱいの好きな色に塗っちゃってください。簪も、わたしも♪」


 やれやれ、僕は今日覚えた龍紋塗の配色を考え始めた。

 鳴湖駅まであと数分、僕たちはシャツと指先で少しだけ繋がったまま並んで、駅までの坂を下った。


ー 第一章 完 ー

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