第8話 お婿さん、来てもいいですよ?

 鳴湖なるこ駅に降りると、すぐに硫黄の臭いがしてきた。駅のすぐ脇には温泉の源泉が湧いていて湯気が立ち上っている。

 紅葉の時期になると混雑するらしい小さな駅も、今日は人も疎らだった。

 駅の控えめなロータリーを挟んで最初に見えるのは土産屋。特産の鳴湖漆器やこけしを販売している。

 ショーウィンドウにはマーブル模様の龍紋塗の大皿、今日の目的だ。


「せんぱい♪」


 日曜日、鳴湖の駅で待ち合わせ。椿は4WDの軽自動車の横で僕に手を振っている。

 運転席にいる椿の母親らしい女性が、柔らかく微笑んで迎えてくれた。


「いらっしゃい。いつもなつめがお世話になってます」


 肩までのまっすぐな黒髪は椿のやや茶色い髪とは違うが、面影はやはりどことなく似ている。


「こんにちは。なつめさんと同じ工芸部の原です。」


 僕が挨拶すると、ふむふむ♪ と椿の母親の目が三日月型になる。

 それは椿が僕を誂う時の目とそっくりで。


「髪染めたりお化粧したり、最近なつめが色気づいて来たのはこう言うことなのね♪」


「ちょっと! ママ!!」


「えーっと。今日はお世話になります」


 なんだか気恥ずかしくなり、僕は椿家の工房があるという山の方を眺めていた。


 

 急勾配とカーブを繰り返し車道は少しずつ細くなる。秋には赤や黃に飾られる山の木々も今は濃い緑だ。


「いつもお弁当ありがとうございます」


 後部座席から運転席の椿の母親に声をかける。


「いえいえ〜。お店で出す料理のついでだったし、最近はなつめが自分で作ってるしね」


 椿の母親が椿をちらっと見る。今度は椿が僕をちらっと見て目が合う。頬を染めて俯く、ふたりして。

 うーん·····どうにも調子が狂う。

 部室ではだいぶ気安くなってきた僕らではあったが、第三者が入るとなんだか意識してしまう。


 そうこうしてる間にも車は山を登り続け、車道を覆っていた木々がパッと開けると、そこに和風の建物が見えた。


「いらっしゃい、ようこそ」


 迎えてくれたのは物腰の柔らかそうな男性、椿の父親であり正真正銘の鳴湖漆器の職人である。


「原です。今日はお時間頂いてありがとうございます」


「原君ってあれかな? 箪笥の塗り屋さんやってた原さんの······お孫さん?」


 職人の世界は横の繋がりも強い。特に漆塗りの職人となると今となっては人数も少なく、直接面識がなくともどこで何をしているかなど、割と話が通ってたりするのだ。


「跡継ぎはいないと聞いてたが、君のような若い子がいれば原さんのところも安心だね」


「あ、いえ。祖父も引退して工房もたたんでしまったので、跡継ぎとかって事ではなく」


 小学生の時分、遊びに来る僕に色々手ほどきしてくれた祖父であったが、今は体調を崩して工房は手放し施設でお世話になっている。


「うーん、それは残念だね。あ、そうだ。だったらウチも娘だけで跡継ぎないし、なつめと結婚してお婿においでよ」


「なっ!!」


「ちょっ!!」


 い、いやいや、結婚って。僕も椿も驚いて同時に声を上げた。椿の母親はその横でくすくす笑っている。


「パパ!! せんぱいも忙しいんだからっ。立ち話してないで工房に案内して!」


「えー。いい話だと思うんだけどなー。それじゃあ、まあまあどうぞ中に」


 椿の父親の先導で工房兼食事処という建物に招かれた。

 最初に見えたスペースには漆で塗られたテーブルと椅子が4席、客を迎える食事スペースなのだろう。

 壁にはこれも漆塗りの棚。お椀、皿、重箱と特産の鳴湖漆器が綺麗にディスプレイされている。

 そして奥の壁、数段の階段を登った先の、大きなガラス戸の向こうが漆塗りの工房のようだ。


 ふとシャツの袖を引かれて振り向くと、斜め後ろから椿が僕に耳打ちする。


「せんぱい、普通にお話できるんですね」


「······僕をなんだと思ってるんだ?」


「ふふん♪ 可愛い後輩ちゃんには低温低湿度なのはアレですかぁ? 照れ隠し?」


 にやにやと笑う椿。椿家総出で誂われる僕。目的がなければお暇したいところだ。

 いいようにされるのも癪なので僕は少し反撃する。


「僕と話す時はお父さんお母さんなのに、家ではパパママなんだな」


「そ、それは」


 子供っぽいかなと思って······と椿は頬を赤くしてごにょごにょと口籠る。

 よしよし、軽く反撃成功。

 ところが思いがけない方向からもっと大きな攻撃が飛んできた。


「さあさあ、イチャイチャしてないでおいで」


「してません」


「パパ!!」


 工房へと続く扉の前で、椿のご両親が笑っている。うう、精神が削られる前に作業に入って集中してしまおう、と工房へ進む僕。

 そんな僕の横を追い越しながら、椿が耳元で囁いた。


「お婿さん、来てもいいですよ?」


 僕が何か返す前に、椿は工房への小さな階段をとんとんとん♪ とリズミカルに登っていった。

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