第6話 職人ですから、ね

 スギやヒノキの薄い板をお湯で煮て柔らかくして曲げる『曲物まげもの』で作られた曲げわっぱの弁当箱。

 椿が僕に、と持って来た弁当を断るつもりでいた。しかし曲げわっぱでの、しかも漆塗りの弁当箱となればどんな味になるのか是非この身で体験したい。

 というわけでありがたく頂戴することにした。


「いただきます」


 ふたりで手を合わす。僕が曲げわっぱの身の方を、椿が蓋にご飯とおかずを少々。

 足りなさそうであれば僕のソーセージパンもある。


 頂こうと箸を手にして、それも漆塗りの箸だと気づいた。滑らかな手触り、そして持ち手上部には椿のマーク。


(自分のものとかに椿のマーク入れるんです)

 

 ん? ということはこの箸は椿のもの······えっと、間接キ······。


「こっここ! こっち使ってください!!」


 僕が固まっている意味に気づいたようで、椿が慌てて自分の持つ割り箸と僕の塗り箸を交換した。塗り箸の使用感も試したかったが、こればかりは流石に、またの機会に。


 

 ······うまい。毎日ソーセージパンで、特に食にこだわりもない僕でも一口食べてそう感じた。となりで椿もニコニコとおかずを口にしている。


「いいな、曲げわっぱ」


「中学生の時とかみんなにイジられるので、普通のお弁当箱も使ってみたんですが。やっぱりこっちのが美味しいなーって」


「冷めても美味しい、とは聞いていたがホントだな」


 実際プラスチックの弁当箱より美味しい。

 木が余分な水分を吸うので、と聞いたことがある。

 漆を塗った場合、吸水力は落ちるかもしれないが使用後には食器洗剤とスポンジで普通に洗えるし、カビなどにも強そうだ。

 そしてそもそも、どのおかずも油っこくなく、それでいて味はしっかりとして美味しい。


「えっと、実はあんまり料理とかした事なくて。ほとんどママ······お母さんに手伝ってもらったんです」


 お母さん、料理上手で。

 椿が言うには自宅に客を招く機会が少なからずあり料理を振る舞っているそうだ。


「椿の家って······」


「あ、鳴湖なるこ温泉で漆器と食事処のお店やってるんです♪」


 なるほど、と僕は納得した。

 県北部の鳴湖温泉と言えば、今でこそ規模は小さくなったが鳴湖漆器とこけしの産地。

 そういえば尾形の実家も鳴湖の木地屋さんだったはず。

 椿にしろ尾形にしろ、幼い時から工芸品と職人に囲まれて育ったわけで。

 椿の漆の扱いについての謎が解けた気がした。


「あ、あの。お母さんに手伝ってもらったけど、わたしが作ったのもちゃんとありますのでっ」


 と、椿は言っているが正直どれもホントに美味しい。人参にごぼうの肉巻き、芋の煮物、特に玉子焼きは出汁と砂糖で甘口に作ってあって、かなり好みの仕上げだった。

 普段全く気を使わず同じパンばかり食べていた僕であったが、こうして一度でも丁寧に作られた美味しいご飯と、丁寧に作られた道具で食べるとそれが味気なく感じてしまう。

 椿と分けた弁当は若干少なかったが物足りないということはなく、このあとソーセージパンを食べる気には今日はなれなかった。


 「ごちそうさまでした」


 食べる時と同じようにふたりで手を合わせる。空になった曲げわっぱを見て椿は嬉しそうに笑った。


「せんぱい、胃袋掴まれましたぁ?」


 正直また食べたい。

 しかしまた作ってくれ、などとも言えず。

 それに鳴湖からの通学であれば朝はかなり早いはず。迷惑はかけられないしな。


「ギリギリ。耐えてみせる」


 とは言ったものの、かなり心が揺れ動いている。表情は変えていないつもりだが筒抜けだろう。


「ちなみにちなみにっ。どれがいちばん美味しかったですかぁ?」


 ふふふん♪ と椿はご機嫌な様子だ。

 どれもとても美味しかったが一番と言えば。


「······玉子焼き、かな」


 僕がそう言うと、椿は鼻歌を止め、呆気にとられたような表情で僕を見ていた。

 しかし、すぐに少し身震いしたかと思うとみるみる真っ赤に頬を染めて俯き、制服のスカートをギュッと握った。

 僕の言葉に対する椿の反応に、ひとつ鼓動が鳴った。


「······わ、わたしが作ったんです······わたしで······玉子焼き······」


「あ······」


 ひとつ鳴った鼓動は今、高鳴りへと変わった。顔が熱い。

 客に振る舞うくらいの腕前という母親の料理の中で、あまり出来ないと言う椿の作ったただひとつの料理を僕は一番に上げたのだ。

 そして椿がそれを喜んでいる。いつものように茶化したりせず。

 身震いするほど。

 頬を赤く染め顔を上げられないほど。

 言葉も辿々しくなるほど。


「······あ、ありがとう······美味しかった······ホントに······」


 そして椿が喜んでいることを僕自身も喜んでいる事が、分かった。


「せ、せんぱい······顔まっか······」


「そ、そんな事は、ない。そっちこそ······」


「わ、わたしだってそんなこと、ない、です」


「······職人だから、な」


「······職人ですから、ね」



 上気した顔の熱を冷ます様に、僕はゆっくり廊下を戻った。

 教室に入ると尾形と目が合う。

 尾形は親指を立ててニヤけ顔だ。


 くそっ。職人の勘、侮りがたし。

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