第4話 椿ちゃんマークですっ♪

「女子高生御用達のマイ蒔絵まきえ筆です〜♪」


 と後輩が通学バッグから取り出したのは蒔絵筆と言って、漆で細い線や細かい模様を描くのに使う専用の筆である。ネズミの毛が最上と言われてるが普及品はネコやタヌキの毛などが用いられる。工芸の道具は面白い素材でできていることが多い。

 どこに蒔絵筆を常備する女子高生がいるか、と思ったが前部長もマイ蒔絵筆を毎日持ち歩いていた。他の女子の持ち物事情は全く分からないので断言できない。


「ふふふん♪」


 何故か鼻歌の多い後輩である。ご機嫌な様子で蒔絵筆を先程まで自分が捏ねていた朱の色漆に筆先を回しながらつける。ガラス板の上で何度か引いて漆をなじませると筆を木軸ペンに近づけた。


 最初の一筆。

 その瞬間、部室の空気が変わった。


 後輩の鼻歌はもう聞こえない。

 まだ生徒が残っているだろう放課後の校舎、グラウンドの音も聞こえない。

 時が止まってしまったかのような空間。

 僕も後輩も瞬きすらしない。


 ただ蒔絵筆だけが動く。

 そこだけ時間の流れが違っているように。

 

 ゆっくり、細く、長く、淀みなく。



「······ふう」


 後輩が小さく息をはいて、僕も息が止まっていた事に気がついた。

 そして不覚ながら前世が漆と自称するこの後輩の集中する様に、所作に、その姿に見惚れていた自分に気がついた。


「じゃ~ん♪ できましたっ」


 見れば木軸ペンの不良部分に上から赤い花が漆で描かれている。


「······椿?」


 朱漆だけなので花弁しか描かれていないが、それが椿の花だと分かるくらいの描画力だ。ここに他の色漆や金銀など入れば間違いなく椿の花に見えるだろう。


「ふふっそうです。椿ちゃんマークですっ♪」


 先程目の前で行われた作業と、それを行っていた後輩の姿を見て狐につままれたままのような僕。

 対照的に今は何やらドヤ顔の後輩である。

 前世が漆、というのはともかく少なくとも漆に関して初心者レベルではない。


「······椿ちゃんマークですっ♪」


「······」


「······椿ちゃんマークです」

 

 三回言った。


「自分のものとかに椿のマークを入れるんです」


「······」


 すると後輩は何かに気がついたように一瞬目を見開くが、すぐに唇を突き出し頬を膨らます。やめろそれ、可愛いから。


「せんぱい、もしかして、わたしの名前覚えてません!?」


「······名前?」


「や、やっぱり!!」


 ひどいですひどいですいっかげつもまいにちふたりきりだったのにかわいいこうはいといちゃいちゃしてたのにばつとしていいこいいこしてくださいぎゅ〜ってしてください〜。

 とぽかぽか叩いてくるがその手には漆のついた蒔絵筆が。せめて筆は置け、かぶれるだろ。あとイチャイチャしてない。


 とはいえ確かにこの後輩の名前に覚えがない。工芸部に後輩がいたことも知らなかったしな。前世が漆、とかいうインパクトで何だったら名前も漆なんじゃないかと思っていたくらいだ。

 漆に全振りしているので、そもそも女子に名前を聞くようなスキルもない。


「えっと······椿なつめ、です」


「椿······なつめ······」


「名前、椿つばきなつめです。ちゃんと覚えてくださいね?」


 椿、と言う後輩はなぜか不安そうにうつむいて自分の名前を告げる。先程喚いていた時の元気もなく語尾に「♪」もない。


「悪かった。覚えた。いい名前だな」


 僕が言うと椿は一瞬びくっとしたあと肩を震わせ顔を赤くしている。

 何かまた気に触ったかと心配したがそれも束の間、顔を上げるといつものように悪戯っぽく目が光っている。


「ふふっ♪ でわでわ、せんぱいにも椿ちゃんマーク入れてあげましょうか?」


「やめろ。あとそのペン、キミのじゃないだろ」


 椿の持つ木軸ペンを取り上げようとするがひらっと躱され。逆の手で朱漆をつけた蒔絵筆をくるくる回しながら僕に迫る。

 ふっふっふっと笑う椿の頬も朱に染まっているように見えた。

 

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