第3話 だー、れだっ?
『
何気に隣県が国内最大の漆の産地だったりする。
木製品や金属、布、紙、はてはガラスや陶磁器まであらゆる素材に塗る事ができ、9000年以上前の石のやじりに漆が塗ってあった、という事例もある。
一度乾けば酸性にもアルカリ性にも強く、その塗膜は塗り直しもできホントに100年保っちゃったりする。
さて、一見最強の塗料に見える漆であるが問題や課題がないわけでもない。
例えばそもそもの生産量とか扱い辛いというイメージとか。製作過程でも工程数の多さや技術の難しさ。そういった部分も制作者側としてはやりがいのある部分ではあるが、どうにもならない部分もある。
うるしかぶれ、である。
「む······」
先日最終の上塗りを終えた品。乾かしていた漆室から出し仕上がり確認をしていて僕は思わず唸ってしまった。
ちらっと横目で前世が漆だという後輩の様子を伺うが、指示しておいた色漆作りに夢中のようだ。
「ふっふふふ〜ん♪」
と鼻歌交じりに赤い顔料と漆をガラス板の上で捏ねている。
手元に視線を戻すと、僕の手元にあるのは漆塗りの木軸ペンのボディ。今日も部室には来ていないが、クラスメイトでもある工芸部員が木工旋盤で製作し僕が漆を塗った物だ。
流行りモノに飛びつくのも若干気にはなるが、9月の文化祭で販売して部費を稼ぎ、漆などの材料や道具を購入代に当てる予定だ。
今回黒漆を塗った木軸ペンの内一本、端の方に漆の硬化不良が起きていた。乾いていない漆をとりあえず溶剤で拭き取る。ため息をつきそうになりぐっと飲み込んだ。
職人の手仕事は『見られている』と漆職人の祖父から教わった。
イベントや実演会、依頼主や職人仲間、色々な視線の中で、例えミスがあったとしても大きなリアクションをせず冷静に対処する。そうすることで仕事を任せても良い、という安心と信用を得るのだ。
そういう事を僕も祖父の仕事を『見て』教わった。
職人たるもの顔色ひとつ変えてはいけない。
「だー、れだ?」
「〜〜〜!!!」
僕の視界を覆う手のひらは小さくてちょっとひんやりする。対して耳元での囁やきは生暖かい。
以前の僕のリアクションから味をしめ度々誂われるのだ。
くそっ修行が足りない、なんかいい匂いもするし。
「誰だじゃない離せ。ここにはキミと僕しかいないだろう」
「放課後に部室で可愛い後輩ちゃんとふたりきり······恋の予感がしますね♪」
「しない。それに漆触った手で。かぶれるだろ」
気を取り直して冷静に言い放ち後輩の手をどけると、くすくす笑う顔が間近で。
「手袋してたからかぶれません〜♪」
確かに僕たちは漆の作業をする時薄いゴム手袋をする。手に漆がつかないように、というのもあるが逆に塗るものに手の脂などつくと上手く漆が乾かなかったりするからだ。
今回の木軸ペンの上塗りのように。
「あー。せんぱい、いつものソーセージパン食べた手でペン触ったでしょ。どうするんです?」
硬化不良を起こし既に漆を拭き取ったペンを見て後輩が言う。一度上塗りを研ぎ落として再度塗り直しか、と考えていると僕の肩越しに後輩がペンをひょいっとつまみ上げた。
「えへへ、いいコト思いつきました。貸してください♪」
僕から奪ったペンを指先でくるり、と器用に回しイタズラを思いついた子供のような表情で笑う。
漆はついていないはずなのに、後輩に触れられた顔がなんだかこそばゆい気がした。
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