水平思考クイズ〜探偵の後継者争い番外編〜

晴坂しずか

水平思考クイズ〜探偵の後継者争い番外編〜

 季節が春めいてきた三月の下旬。三年ほど一人暮らしをしていた千晴ちはるが、突然実家へ帰ってきた。何があったのかたずねると「仕事やめた」というだけで詳しく話そうとしない。

 幸いなことに部屋はそのまま残していたし、父の探偵事務所が忙しいおかげで金銭的な余裕もある。急に長男が戻ったところで困ることは特になかったため、家族はそのまま受け入れた。

 しかし千晴は以前と違って部屋に引きこもりがちになっていた。呼べば出てくるが、常にどこか浮かない顔をしている。

 千雨ちさめは双子の片割れとして気にかけていたものの、部屋で引きこもっていたいのは自分も同じだった。


 父が仕事で遠くへ行き、母も妹の万桜まおと出かけてしまった休日の午後だった。

 リビングでソファに座り動画を見ていた千雨は、飲み物を取りに来た千晴を呼び止めた。

「千晴、そろそろ何があったのか教えなさいよ」

 千晴はちらりと彼女を見てから冷蔵庫を開けた。

「何のこと?」

「ごまかさないで。どうして急に仕事やめて戻ってきたのかって聞いてるの」

 あいかわらず気の強い妹に千晴は背を向けたまま、サイダーのペットボトルを取り出してグラスへ注いだ。

 沈黙だった。どうしても話そうとしない兄にしびれを切らし、千雨はリモコンを手にすると動画を止めてテレビも消した。

「教えてくれないなら、勝手に推理するわよ」

「……推理したところで当てられないよ」

 ペットボトルを冷蔵庫へしまい、千晴はグラスを手に一人がけのソファへ腰を下ろした。

「やっと話してくれる気になったのね」

「うん、千雨にはいつか話さなきゃって思ってたから」

 そっとグラスに口をつけていくらか飲み、千晴は言う。

「でも、推理したいならそうしよう。水平思考クイズってやつ」

「いわゆるウミガメのスープね」

 にやりと千雨が笑い、千晴も少しつられて口角を上げた。

「僕はある日、プロデューサーに呼ばれてホテルの部屋に行った。その結果、僕は仕事をやめた」

「喧嘩でもした?」

「ううん、喧嘩はしていない」

「プロデューサーと話をした?」

「うん、した」

「その話っていうのは、千晴にとって衝撃的なものだった?」

「いや、そうじゃないね。話は関係ないかも」

 千雨が難しそうに眉を寄せ、千晴は黙ってサイダーを飲む。

「それじゃあ、プロデューサーは男性だった?」

「うん」

「まさか、とは思うのだけれど……プロデューサーに肉体関係を迫られた?」

 千晴が表情を沈ませ、千雨はため息をついた。

「断っちゃったのね。それで仕事が来なくなって、結果的にやめてしまった。はい、これで解決」

 千晴は大学在学中に所属していた劇団の公演で評判となり、業界の注目を集めて芸能界入りした。背が高く柔和な顔立ちで女性ファンを獲得し、近年は深夜ドラマで主人公の友人役までやっていた。このまま行けばそのうちにドラマの主役を任され、一躍スターの仲間入りをするだろうと思われていた。

「あの夜はびっくりしたよ。今の時代にまだこんなことがあるのかって信じられなかった。しかも、たった一度の選択で、僕はテレビに出られなくなっちゃったんだ。ひどい話だよね」

「でもテレビ局なら他にもあるでしょう? また劇団に戻ったってよかったのに、何でやめちゃったのよ?」

「うん、なんて言うかな……俳優っていう仕事の裏を見たことで、嫌になっちゃったんだ。事務所の人は気にしなくていいって言ってくれたし、もっと他の仕事を探そうって言ってくれたけど、もういいやって気になっちゃってね」

 自嘲する千晴の目は泣いていた。涙こそ流さないが、夢を絶たれた悲しみがまだ彼の中に残っていた。

 千雨は再びため息をついて言う。

「それじゃあ、次はあたしの番ね。先週、あたしは遠距離恋愛をしていた彼氏と別れた。何ででしょう?」

「その出し方だと、水平思考クイズにならないよ」

 と、千晴は苦笑しながらも考えた。

「彼氏に浮気でもされた?」

「惜しい」

「それじゃあ、えーと……あ、彼氏に好きな人ができた」

「そう、それ。好きな人ができたから別れよう、って。まったくもう、二年も遠距離恋愛してたのが馬鹿みたいだわ」

 千雨が怒りをあらわに文句を言い、千晴は気付く。

「そっか、千雨も落ち込んでたんだね。自分のことしか見えてなくて気付かなかった」

 はっとして千雨は千晴を見た。

「べ、別にそういうわけじゃ……はあ、どっちにしても似たような時期にフリーになっちゃったわね、あたしたち」

「僕は仕事で、千雨は恋愛で、ね」

 双子だからというわけではないが、ほぼ同じ頃に同じような状態になってしまったと思うと、何だか不思議なものがある。

 千雨は膝に頬杖をつきながらたずねた。

「それで千晴、仕事はどうするの?」

「しばらく休みたいと思ってるよ。僕のことを知ってる人がどこにいるか分からないからね」

「ああ、SNSであっという間に情報が拡散されるものね。テレビに出ていたあの俳優がコンビニでアルバイトしてた、なんて書かれたら面倒だわ」

「さすがにコンビニでは働かないよ。できれば顔を見られない仕事がしたいな」

「そうね。じゃあ、うちで事務でもやったら?」

「事務か、父さんが許してくれるならやってもいいかも」

「千晴が事務をやってくれるなら、あたしは探偵として外に出られる。新しい出会いが待ってるかも」

 と、千雨がわずかに口調を明るくし、千晴は苦笑した。

「それが狙いか。まあ、何でもいいや。もう少し休んで、働く気になったら話してみるよ」

 そう言ってグラスに残ったサイダーを飲み干した。炭酸が抜けかけていて甘かった。

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