#16 - 溺没

 アタシは美雨みうと待ちに待ったライブに来た。久々にSHUシュウに会えると思うと昨晩あまり眠れなかった。色違いでお揃いのワンピースを着たアタシ達は前の方を陣取った。前回同様、後輩バンドが前座を務め、うっすら赤い光の中メンバーが現れ、いつもお決まりのミディアムテンポのラブソングから始まる。

SHUシュウは黒いタンクトップに黒のデニムといった軽装で、少し筋肉質の腕がむき出しで右上腕と左の肩辺りにタトゥーが入っているのがわかった。ベースの弦をはじくたび、筋肉が波打ってセクシーだった。

肩から掛けたベースを腰より下に構える。テレビなどでギターやベースをこんなに下で弾いてるのを見たことがない。

これはきっとSid Viciousシド ヴィシャスなど、好きなバンドやミュージシャンの影響だろうと察しがついた。

アタシは無心に彼のプレイに見入って、瞬きする間も惜しんで彼を目に焼き付けた。

1音も漏らすことなくベース音に聴き入って、息をすることを忘れなそうなほど彼の音に溺れた。この瞬間がずっと続けばいいのにと願った。


 メンバーがステージから去っても興奮が冷めないアタシ達は、まわりの観客たちが出口に向かって歩きだしたがその場で立ち尽くし一息ついていた。アタシは右肩をトントンと叩かれたのでそちらを向くと莉愛マリアだった。

アタシたちは壁際の方へ連れていかれ小声で話し出した。

「打ち上げ連れて行きたかったんだけどさ、未成年はダメって言われちゃって……連れていけなくなっちゃった。厳しくてさ、最近、ごめんね」

と、莉愛マリアは謝った。アタシは少し残念ではあったけど、彼らに直接会ったところで何を話してどんな顔していたらいいかもわからないから、不思議なことに少し安心した。ライブに参加しただけで満足だったアタシは莉愛マリアに謝るほどのことではないと伝えようとすると彼女の方が先に話し出した。

「代わりにさ、楽屋行こ、今!」

と、莉愛マリアはアタシの手を引っ張った。アタシは美雨みうの顔を見て彼女と手を繋いだ。美雨みうはもうすでに戸惑った顔をしている。結局どう振る舞ったらいいかもわからないまま手を引かれる方へと歩いた。

 莉愛マリアに連れられて楽屋に入った。

想像よりも狭く汚い部屋に何人もの人がいて騒がしかった。

「最近ライブ来てくれてる子、私の高校の後輩なんだよ」

と、莉愛マリアがアタシ達を紹介すると注目が集まった。

「おまえ、後輩って。どんだけ後輩よ」と、声がして笑いが起こった。

声の主はギターのKIYOTOキヨトだった。サービス精神旺盛な彼はアタシ達に近寄って来て「よろしくね」と言って華奢な手で握手をしてくれた。

嘉音かのんちゃんっていうんだけどさ、強引にライブ誘っちゃってさぁ。美雨みうちゃんは定期的に来てくれてるしね」

莉愛マリアはアタシ達の事を説明しながら、メンバーに色紙を回しサインを書いてもらっていた。そしてアタシ達は次々とメンバーと握手をした。

ヴォーカル・Uユーのファンである美雨みうが彼と握手してる時彼女を見ると、頬を赤く染めながら現実を受け入れられていないような表情をしていた。

「いつもありがとうね」

と、Uユーから声をかけられた美雨みうは今にも泣きだしそうな表情に変わり「はい」としおらしく答えていた。

 アタシにもそんな瞬間がやってきた。

SHUシュウは左手に缶ビールを持ちながら「どーも」と、言いながらさっきまでベースを弾いていた大きな手でアタシの右手を握った。それはほんの数秒だったが数分間握られていたような感覚だった。彼の体温がアタシの手に伝わり、それが何倍にも熱くなって体中を駆け巡り脳みそが火傷しそうなほどで、アタシは何が起きているか理解できないまま彼を見上げていた。アタシを見ているSHUシュウの鋭い目が少し柔らかくなったのがわかった。アタシは結局何も言えず彼はアタシの前から立ち去った。


 サイン入りの色紙をもらったアタシ達は今さっき起きた重大な出来事について話しながら駅に向かって歩いた。

「私、手、一生洗わないよ!」

「アタシも!」

抑えきれない気持ちを発散するようにアタシ達のおしゃべりは止まらなかった。

すると歩道の真ん中で急に立ち止まった美雨みうはポツリと言った。

「生きててよかった」

1歩先に進めていたアタシは振り返って彼女を見ると、自分の涙で溺れ死にそうな程の沢山の涙を流し始めた。

アタシもそれにつられて

「ね、生きててよかったね」

と、言って美雨みうの手を握って泣いた。

 年若き女の子が2人手を握り合いながら歩道の真ん中で泣いている光景は通行人にはどのように映っただろう。

でもアタシ達にそんなことは関係なかった。

ただただ喜びに身を任せ歩道の真ん中でむせび泣いた。


 家に着いたアタシは早速ノートに今日のことをつづろうと思い机に向かった。ライブの感想を思うがままに書き殴った。続けてその後の楽屋での出来事を書こうとしたが、思うように文字が書けない。どう言葉にしていいのかわからない。

なんでアタシはSHUシュウと握手した時、「応援してます」とか言えなかったのだろうと後悔していた。彼に伝えたいことは沢山あるはずなのに。ノートには『応援してますと言う』と、書いた。

今思い返してみればメンバーの中でSHUシュウはあまり愛想はよくない方だった。それも想像通りだった。そんな彼が低い声で発した「どーも」というフレーズが頭の中で何度も繰り返される。アタシの手を包み込んだ大きくて暖かい手の感触がまだ残っている。

 それらを思い出す度、心臓をグッと掴まれたように痛くなる。息も苦しくなる。

彼のベースを弾く姿を見たい。早くまた彼に会いたい。彼の声をもっと聞きたい。彼にもっと触れたい。

アタシは実感した、やっぱり、これは恋だ。

美雨みうに指摘された時から自問自答してきたが、やっと核心に変わった。

一般的な恋愛と違うかもしれないが、アタシは彼に恋をしている。

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