9:影喰らいと呪いの少女1

 素朴な素材で作られた棚の数々、天井から吊るされている草花、少し散らばった作業台の上にはよくわからない道具が置かれている。

 部屋の中には、ちいさなふわふわとした妖精の光が瞬いているけれど姿までは明確に見えないから、わたしの家ではないことは確かなのだけれど。

 目覚めてすぐに木製の扉が開いて、癖っ毛の気味の短い金髪が目に入る。


「ああ、目を覚ましたんだね。どうやら魔法の影響で深く眠っていたようだけれど」


 扉から入ってきた小柄な男性は穏やかな声でそう尋ねてきた。わたしに害を与えるつもりはなさそうだけれど……穏やかな声と表情にそぐわない男性の鋭い目付きに警戒をしながら、首を縦に振る。


「俺はフリソス。妖精に子供が攫われたと聞いてね。君を助け出したんだ」


「わたしは攫われてなんか……!」


 思わずわたしが声を荒げると、フリソスと名乗った男の人はつり目がちな紅い目を細めて、眉尻を下げた。胸元に一角馬ユニコーンの紋章が描かれている金糸で縁取られたローブは学院のものだ。なんで学院の人が?


「君の親御さんから訴えがあってね……。君の兄姉は学院でも優秀で ペカトール家は学院に寄付もたくさんしていただいてるものだから」


 言いたいことが顔に出すぎていたのか、フリソスは、少し離れた位置にある木の椅子を引き寄せてから腰を下ろしてそう言った。そして、上半身だけ起こしているわたしの顔を見る。申し訳なさそうなのは声色だけで、口元は微笑んでいるように思えて首を傾げると、フリソスと視線がぶつかった。


「っていうところまでは建前でね。全部事情は知っているんだけど、断れない仕事なんだ」


 かぶりをふって、芝居がかった様子で肩を落としたフリソスはにっこりと笑って見せる。どうにも掴みにくい人だなって思う。

 悪い人でもなさそうだし、わたしに直接害を与えるつもりもなさそう。こういう人のことをどう言うんだっけ……。確か、うさんくさいっていうのだろうか。


「まあ、すぐに迎えが来るはずだから」


「迎えが来る?」


 全部事情を知っているのが本当かもわからない。どう答えようかとか、フリソスが知っていることが真実と違っていたらどうやって「わたしは好きでレゾといる」って信じて貰おうか悩んでいた。でも、この人はわたしに迎えが来ることをまるで当然のことのように言ったので驚いて、思わず同じ言葉を返してしまう。


「その腕輪アミュレット、ある程度の魔法や物理的な衝撃に対しての防護魔法、精神操作への魔法への加護に居場所を知らせる魔法が重ねがけしてある」


 フリソスは、わたしの手首に嵌められている腕輪アミュレットを指差してそう述べた。居場所を知らせる魔法については、深夜の来訪者に攫われたときに見当はついていたけれど……。

 不思議な輝きを放つ腕輪アミュレットの宝石部分を指で撫でる。それから、なんでそんなことを知っているのにこれを破壊しなかったのか気になった。


「まさか、わたしを囮にして彼を捕まえる気ですか?」


「確かに君を人質にして、影喰らいと取引をしろとは言われたが……俺にそのつもりはないから安心していいよ」


 つり目がちな目が妖しく細められる。空気に飲まれてしまいそうになりながら、わたしは首を縦に振るのを耐えて、フリソスを睨み付ける。

 この人は、嘘は言っていない気はするけれど……本当のことも言っているかわからない。だって、わたしを攫ってこうして閉じ込めておくくらいだから。

 どうにか脱出できないか部屋中を見回す。フリソスの横を通り過ぎて扉から出たとして、外に仲間がいない保証はない。防御魔法や加護が腕輪アミュレットにかけられるとはいっても、痛めつける方法になら詳しいのかもしれないって考えて、身が竦む。


「信用できないのは仕方ない。まあ、信用して貰うため……とまでは言わないけれど、よければ俺が知っている限りの君と影喰らいに関わる話をしてあげよう。君の体に刻まれた呪いと、それを解く方法も」


 フリソスは、組んだ足の上へ両手を乗せてにっこりと優しく微笑んだ。呪いと……それを解く方法と聞いて、思わず首を縦に振るべきか悩んでいると、わたしの返答を待たずに薄い唇が開かれる。


「庭に落ちてきた黒い炎に触れ、君は呪われた。俺はそういう呪いの専門家でね。ちょっとだけ隣人妖精たちの事情に詳しいんだ」


「人を攫ったり、拷問する専門家ではなく?」


「クックック……俺はそこまで悪いやつじゃないさ。今のところはね」


 肩を揺らして笑うフリソスの金色の髪が揺れる。それからそっと左腕を出すと黒い手袋をした手がわたしに髪に触れて、すぐに離れた。


「君の髪は、元々は夜に浮かぶ月の色だったんだろう?」


 再び話し始めたフリソスの話は、どうやら本当にわたしの事情を知っているものらしかった。この話は、限られた人しか知らないはず。


「闇や影を体に溜め込んでしまう呪い、代わりに得た祝福は大きな魔力……でも、呪いの力が強すぎて君の心身を闇は蝕み始めた」


 ゆっくりと話すフリソスの話に引き込まれてしまう。わたしにかけられた呪い……レゾが助けてくれてからは楽になったけれど、髪の色は戻らないし、真っ暗闇ではわたしは闇を集めて仄かに光ってしまう。


「その呪いはね、君が常若の国から追放された隣人妖精の一人を助けてしまったことによるものだ。もちろん、君は無意識だったと思うけれど」


 ここからは知らない話だった。なんで呪われたのかなんて、誰も話してくれなかった。お父様もお母様も……。もしかして、知らなかったのかもしれないけれど。


「肉の殻に囚われ、永遠の苦しみを味わうはずだった存在は解放された。普通なら、肉の殻から解き放たれた隣人妖精は自由に人間こちら側の世界で暮し、呪いを引き受けた君が死んでおしまいだったが……」


「わたしは、あの人に助けて貰ったんです。あなたが影喰らいと呼ぶ人に。だから、攫われたなんて嘘なんです」


 そう。これは大切な話だった。ここまで知っているのなら、きっとレゾがわたしを助けてくれたことも知っているのだろうけれど。わたしは感謝をしているし、レゾがわたしを無理矢理に攫う事なんてしないって、わたしが自分の言葉で言う必要がある。


「まあ、話は最後まで聞いてくれよ。君の呪いを緩和させたのは影喰らいだが、そもそも君が呪われたのも影喰らいのせいなんだ」


「え」


「黒い炎、それがあいつ本来の姿さ。何故か君を助けるために人間の姿を真似しはじめた」


 わたしの髪の毛が、まだ母様や父様とそっくりな金色だった頃のこと。

 真っ黒な炎が、空から落ちてきたことだけ、まるで昨日のことのように覚えている。

 庭に植えられたアザレアの低木の上に、音も無く落ちた黒い炎はきらきらしていてとても綺麗だった。

 あれが……あの綺麗な炎が……レゾだったなんて。だってアレは炎で、長くてすらっとした手足も、するどい爪のような指先も……夜空の空に浮かぶ月のように綺麗な目もなかったのに。

 不思議と恨むような気持ちは浮かんでこない。ただ、彼を助けられたことを安堵している自分がいた。


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