6:夜の来訪者3

 森の木々が月光を遮っている夜の森でさえ、わたしの周囲はぼんやりと光って見える。

 暗ければ暗いほど、わたしの姿は浮かび上がってしまう体質を明確に呪いと言われたのは久し振りだった。

 胸に手を当てて考える。彼がわたしを娶った理由はなんなんだろうって。

 わたしの呪われた体に理由があるの? 考えないようにしていたけれど、わたしの代わりに両親に与えた加護って何なんだろう。

 ぐるぐると思考が巡らせていると、訪問者はわたしの手の拘束を解いてくれた。

 扉に手を掛けた訪問者が、二対の目を細めて優しげに微笑んで手を差し出している。無理矢理に連れていくつもりではないらしい。


「……あの、わたしは」


「オレの小鳥を勝手に連れていかないで貰おうか」


 意を決して「それでもあの人の意思を聞きたい」と言おうとした時、静かな声が背後から聞こえてきて振り返る。


「ああ、流石にバレてしまったか。もしかして、この娘に足輪でも付けているのかい?」


 へらへらと笑みを込めた声で、訪問者は彼に対してそう返した。

 いつもは仄かな光を放っているだけの彼の菫色をした髪は煌々と燃え上がるように輝いている。


「……そんなこと、どうでもいいだろ」


「相変わらず、嘘をつくのが下手だねぇ」


 ニタリと笑う来訪者とは対照的に、彼の目が泳ぐ。そんなわずかな動揺が見えたことが不思議で、なんとなく、以前もらった腕輪アミュレットへ目を向ける。これが彼に居場所を知らせるための役割を持っている? でも、それで彼が気まずそうな表情になる理由がわからなかった。


「君の真の姿を見たら、彼女が逃げ出すかもって怯えていたのかい? それなら、彼女と共にへ戻っておいでよ」


「オレは、肉の殻に魂を閉じ込められ、常若の国を追放された身だ。戻るつもりなんてない」


「その肉の殻は、今はもうないんだろう?」


 肉の殻、足輪……色々と聞きたいことが増えていく。

 それに、彼が故郷から追放されたらしいという話も……。ここに来たばかりだとはいっても、わたしは彼のことを何も知らないんだということを思い知らされる。


「ボクの同胞を狩っている人間がいる」


「え」


「お嬢さん、君は本当に優しいんだねぇ。人の仔にしておくにはもったいないくらいだ」


 

 妖精を狩っている人間が? と思わず声をあげると、ぐるりと来訪者の首だけが回り、こちらへ四つの細められた目が細められる。向けられた笑みに思わずゾクッとしたものを感じで身を竦ませると足下から影が伸びてきて、わたしの体をあっと言う間に持ち上げた。


「黙れ。 人の仔が同胞はらからを狩っているのなら、この屋敷にいずれ辿り着くだろう。そこで俺がそいつを殺せばいい」


 影に運ばれたわたしが彼の隣に立つのを見て、愉快そうに肩を揺らした来訪者は肩を竦めて「やれやれ」とでもいいたいように頭を左右に振って見せる。


「今の君には期待を出来ないからなぁ。大人しくへ来てくれよ。旧い友人に手荒な真似はしたくない」


「彼はすごいんです! きっとそんな悪いやつくらい簡単に……」


「人の仔にとっては、まあ彼は強いんだろうけどね」


 予想外の答えが返ってきて、驚きのあまり言おうとしていたことを忘れてしまう。あんな大きな魔物を倒せるくらいなのに……来訪者の言い分では彼は強くないみたいな言い方をしてわたしの言葉を遮った。


「そもそも君のせいで影喰らいは」


悪霊蜘蛛の女王フィーンドアラネウスの息子、黙っていてもらおうか」


「ははは! まだ奥方に大切な話をしていないのかい? ボクから話してあげようか?」


 また、知らない話だ。

 彼がわたしを抱き上げて、腕を前へ翳しながら振り下ろした。地面が少し明るくなってから数秒遅れて、足下にあった影が束のようにまとまっていることに気が付く。

 影の大きな柱が来訪者の方へ叩き付けられた。太い木が何本も折れてバサバサと夜の空に鳥たちが飛び立っていく。

 影の柱の下ではオパールのように綺麗な遊色の光を放っていた扉は無惨にも粉々になっている。


「へえ……まあ、脈なしってわけじゃあないなら、少しばかり期待が持てたかな」


 旧い知り合いらしい相手を殺してしまうなんて……と驚いていたら、急に耳元に声が聞こえて慌てて声がした方へ目を向ける。

 そこにはさっきまで少し離れたところにいた来訪者が、わたしのすぐ隣にいた。

 彼がしっかりとわたしを抱き上げてくれているけれど、またこの人に攫われるんじゃないかと思うと体が強ばってうまく動けない。


「……君は、影喰らいを好いているんだろう? いいことを教えてあげる」


 予想していなかった言葉が、来訪者から放たれた。


を作れば、君や君の家族があいつから奪っているものを補填できるよ」


「奪って……いる?」


「じゃあね、影喰らいと可愛い奥さん。今度は普通にお茶でも飲みに行くよ」


 予期せぬ来訪者は愉快そうにそれだけいうと、彼の蹴りをすっと後ろに体を半歩分下がって避けたあと、夜闇に溶けるようにして消えていった。

 息を荒げていた彼の横顔を見て、肉の殻……彼からわたしが奪っているものについてを効きたかったけれど、今はただ安堵した表情を浮かべた彼に抱きしめられることしかわたしにはできなかった。


「あの」


 部屋へ差し込んだ光が瞼を照らす。

 眩しさに目を覚ますと、わたしはしっかりと彼に抱きしめられていた。どうやら、心配性の彼がわたしをずっと見守っていたみたい。


「もしかして、眠らなくても平気?」


 寝ぼけているせいで、思ったことが口からすぐに出てしまう。すると、「オレだって眠る」と少し恥ずかしそうに答えてくれた。


「なあ、聞かなくていいのか? 昨日のこと」


「それは……、聞きたくないわけではないですけど」


 あなたが話したくないのなら、話さなくていいって言いたくて彼の目を見た。夜の空に浮かぶ満月みたいな目には、わたしの少し疲れた顔が映っている。


「アレはオレの旧い友人なんだ。どうやら心配して様子を見に来てくれたらしいが」


「それは、なんとなくわかります。悪い人ではないんだろうなって」


 心配そうな彼が、言葉に詰まっているのを見て、まだ昨日のことを全ては話したくないのだなってわたしは察してしまう。だから、こちらから一つ提案してみることにした。


「あの、あと、わたし……ひとつだけお願いがあるんです」


「可能な限り受け入れる。なんだ?」


 彼の表情が少しだけ強ばる。眉間に寄せた皺をそっと撫でると、彼の肌は少しひんやりとしていて心地よかった。

 目を合わせてから、わたしは意識して笑みを作る。聞きたくないことを聞くわけでも、離れたいわけでもないと彼に伝えたくて。それから、勇気を振り絞って彼の負担にはならなそうだけれど聞きたかったことの一つを聞くことにした。


「名前を……その」


「名前?」


「影喰らいさんって呼ぶのも、変かなって……妻なのに夜闇の王とあなたを呼ぶのもよそよそしいですし……その、どう呼べばいいのか、迷ってしまって……。ポリーリャさんみたいに名前があると呼びやすいのですが」


「ああ、そういうことか。人の仔は個別の名というものを知りたいものなのだな」


 彼は、優しい声でそういった後にわたしの額に手を伸ばす。髪の毛をそっと指で梳いてからにこりと笑った彼は薄い唇を開いてふっと息を漏らすように笑った。


「名前はないんだ。君が付けてくれ」


「え」


「ポリーリャのように、人の仔に近い営みを送る同胞は親しい相手や親から名を貰うが、オレや悪霊蜘蛛の女王フィーンドアラネウスの息子のような存在には個体を識別する名が存在しない」


 そういって、夜の空に浮かんだ月のような瞳がわたしをじっと捉えた。


「だから、君が付けてくれ。オレと一番親しい相手は君だ」


「ええと……その、名付けなんて大層なこと……えっと」


「君に名付けをして欲しいんだ。名付けてくれるまで離してやらないからな」


 笑いを含んだ声でそういった彼は、わたしの背中に腕を回して少しだけ力を込める。彼の低い体温が伝わってきて、どちらのものかわからない鼓動が響いてくる。ああ、妖精って心臓はあるのかしら? それとも、わたしがどきどきしすぎているのかな? 耳まで熱くなるのがわかる中、必死で素敵な名前を考えようと思考を巡らせる。


「レゾ……わたしの地元にある古い言葉で祈りという意味です」


「良い名前だが……名付けの理由を聞いてもいいか?」


 目を細めた彼が腕の力を緩めてわたしの顔を覗き込む。


「わたしの祈りを聞き届けてくれたから」


 そっと髪を撫でられて心地よい気持ちになりながら、わたしはその名前が頭の中に浮かんだ理由をそう話した。


「わたし、あの家からずっと出たいと思っていたんです。いてもいなくても変わらないのなら、いなくなってしまいたいって毎日思ってた。だから……」


 首を傾げていた彼に、自分の考えを話す。いなくなってしまいたいって思っていたって本当のことを考えるのもやめていたはずなのに、こうして優しく抱きしめられているとつい、蓋をしていた考えが外へ漏れてしまうらしい。


「ありがとう、レゾ」


 泣いてしまうのを見られたくなくて、彼の胸に顔を埋めると背中に回されていた腕に再び力が入るのがわかった。

 彼は何も言わずに、泣き止むまでずっとわたしのことを抱きしめ続けてくれた。

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