5:夜の来訪者2
「籠の鳥、オレはあんたを悲しませていないか? オレが怖くないか?」
「なんでそんなことを聞くんですか?」
眉尻を下げて悲しげな表情を浮かべている彼に対して、驚いたわたしは質問に対して質問で返してしまう。
「あんたが……何も聞いたり、騒いだりしないから。不思議に思ってるはずだ。いきなりオレなんかの妻にされたこと」
しっかりわたしの顔を見つめていた夜空の満月みたいな瞳が空を泳ぐ。もしかして、彼も不安なのだろうか。でも、何故だろう。
わたしなんかを引き取ったのは、何か明確な理由があるからでわたしの行為の有無なんて関係ないと思っていたけれど。
「今聞いたら、答えてくれますか?」
少し、いじわるなことをしたのかな? と思う。
わたしにそう聞かれて、彼は一瞬だけ眉を寄せてから明るい金色の瞳を横へ逸らした。
「それなら、無理に聞こうとは思いません。わたしは、今でも十分幸せなので」
あまり期待はしないでおこう。こうして飼い殺しにされるとしても、生家とちがって好きなことをしていられるのなら、わたしのことを見ない振りをされないのならば十分なのは本当だ。
息が詰まるような空気を思い出してから、息を吸い込む。それから少し困ったような表情を浮かべている彼の手を握って微笑んだ。
都合の良いお飾りの妻でいい。それが、もし求められていないのだとしても、こうして大切にしてくれるフリをしてくれるのなら……。
「……いつか話す。本当だ。約束する」
「わかりました。待ってますね」
わたしを自室へ送ってくれた後、彼はそう言って去って行った。
「奥様、お食事の時間です。旦那様は用事があるとか言っておりますが、よろしければ食事はこちらの部屋へ運びましょうか?」
扉がノックされた。でも扉の外にいたのは彼ではない。
あまりにも眼に見えるくらい落胆しているわたしを見て、ポリーリャは気の毒そうに笑ってからそう聞いてくれた。ポリーリャは、口調こそ砕けているが、本当に細やかな気遣いをしてくれる。
「そう……。じゃあ、部屋にお願い」
ポリーリャはすぐに温かい食事を部屋へ運んでくれた。
この屋敷に来てはじめての一人きりの食事は、おいしいはずの食事なのに、なんだかいつもよりも味気ないものに感じた。
すっかり日も暮れて、妖精たちが放つ光のようなものが目立つようになってきた。蝋燭も
格子窓の隙間からは細い銀の光が漏れてくる。銀色をした三日月が空高く昇っているのだろう。
「ここへ来て七日ほど経つけれど……あの方をなんて呼べばいいかすらまだわからないなんて」
夜に顔を合わせられなかったからだろうか。やけに彼のことが気になる夜だった。自室で屑石に魔力を込めながら考え事をしていると、妙な音が外から聞こえてくることに気が付いた。
何か乾いたものが擦れ合う音……
格子窓を開いてみると、二階だというのに裏庭に咲いている花の香りが夜風によって運ばれてきた。
夜に寝る妖精ばかりではないみたいで、裏庭にはまだ起きている妖精たちが踊ったり歌ったりして楽しそうに瞬く様子が見える。
「外から音が聞こえたと思ったのだけれど」
危ないとは思ったけれど、窓から身を乗り出して外を見てみた。だけど、変なものは見当たらない。
ただ、乾いたものを擦り合う音だけが近くから聞こえている。
「気のせい……ではないはず」
窓から乗り出した身を退いて部屋へと戻る。夜の風に冷やされた暗い部屋の中央では、わたしが作った魔石ランプがぼんやりとしたやわらかな光を放っている。
窓を閉めて、眠ってしまおう。それから、朝になったら彼に今夜のことを聞いてみよう。もしかしたら、わたしの知らない妖精がなにかお仕事をしているのかもしれないし……。
考え直して、窓を閉めようとしたその時わたしの真上から例の音が聞こえてきた。
視線を音の方へ向けると、ぼんやりと明るい部屋の中央へ、毛むくじゃらの何かが静かに天井から下りてくる。
「……こ、こんばんは」
喉まで出掛かっていた悲鳴を飲み込んで、目の前に現れた異形の存在へ挨拶を返す。
暗いからなのか青色じみた肌の色をしていて、背中から濃い灰色の毛に覆われた蜘蛛の脚のようなものが生えている。どうみてもヒトではない訪問者は、冷ややかな視線をこちらへと向けていた。
「悲鳴をあげなかったことは褒めてあげよう。影喰らいの妻として最低限の度胸は備わっているようだ」
薄らと光る衣を身に纏っていて、下半身は黒い毛皮の脚衣を身に付けていた。小窓から差し込んだ月の光りが、銀色の尖った足先をギラギラと反射している。爪なのか靴なのかは判断が出来ない。
「あの、何か御用でしたら明日の朝にでも、出直してくれませんか?」
「お嬢さん、それは無理な相談だ。君には今からこちら側の世界に来て貰うんだからね」
夜闇でも光る長い彼の白銀の髪は、緩く編まれている。体を少し反らした彼の肩から垂らされている三つ編みが絹のように細くしなやかに揺れた。
何か飛んでくることに気が付いて身を捩ったけれど、どんくさいわたしに急に飛んできた物が避けられるはずがない。あっさりと彼の手から放たれた粘着性の糸に両手首が囚われてしまう。そのまま糸をたぐり寄せられて、わたしは名前も知らない来訪者に抱きすくめられてしまった。
どことなく甘い果実酒のような香りに酔ってしまいそうになりながら、わたしは四つの目でわたしをじっと見ている彼に話しかける。
「どういうことですか? あなたは誰なんですか?」
「ボクは
「常若の……国って……物語の」
神話だとか、お伽噺に出てくる国の名前を出されて戸惑う。彼がヒトではないと思っていたし、妖精たちの世界はあると思っていたけれど……。
「君がこちらへ来てくれれば、あの偏屈な男も故郷へ舞い戻ってくれると思うんだけれど」
腰と膝の裏を支えられて、わたしは軽々と持ち上げられた。
そのまま窓を乗り越えた訪問者は、二階から飛び降りたにも拘わらず平気な顔をしてそのまま裏庭を駆け抜けていく。
楽しそうに踊っていた光の集まりたちからざわざわとした声が聞こえて、夜風に紛れて空を舞っている夜の何かを司っていそうな妖精たちが目を大きくしてこちらへ視線を向けていた。
どうしよう。声をあげようと思うけれど、喉が張り付いたように上手く声が出なくて、月明かりに照らされた鋭い蜘蛛の足先を見ると体がギュッと強ばってしまう。
森の鬱蒼とした木々を掻き分けて訪問者が駆け抜けていった先に、柔らかなオパール色に輝いている扉がポツンと立っている。
「こちら側に来ても死ぬわけじゃない。なによりその呪い、こちらの世界では不便だろう?」
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