3:いきなり嫁入り3

「さて、オレの城……とまではいかないが、それなりに立派な屋敷だ。これからここがあんたの家になる」


 馬車の扉が開かれて、先に下りた彼がわたしに手を差し伸べてくれた。彼の大きな手に自分の手を重ねて馬車から降りると綺麗な庭園が目の前に広がっていた。

 塀ではなく生け垣で囲われた庭園には、蔓薔薇に、クチナシの花、ラベンダー、チューリップ……季節に関係なく様々な花が咲いている。まるで、お伽噺の国に迷い込んでしまったのかと錯覚するくらいに美しい。


「ここは……妖せ……ええと、隣人たちの国ですか?」


「いや、ヒトの世界だ。ただ、少しだけ向こう側からの影響を受けやすい場所ってところだな」


 手を引かれて、庭園の整えられた芝生に置かれた枕木の上を歩いていると明るい灰色を基調とした石造りの屋敷が見えてきた。

 花の蔓や蝶が彫られている両開きの白木の扉は、わたしよりも頭二つ分ほど大きい彼の背よりも高く、百合をもした銀のドアノッカーがついている。

 黒ずんでいない銀のドアノッカーに触れる前に、内側に扉が開いた。


「ご主人様、迎えを待ってくれなきゃ困りますぜ」


 声が聞こえるけれど、目の前には誰もいない。不思議に思って辺りを見回していると、彼が少し低い位置を指差している。

 視線を向けると、わたしの腰ほどの高さに小さな少年がいた。彼は人懐っこそうな丸い茶色い瞳でこちらを見つめている。


「ああ、奥様、はじめまして。あっしみたいなのを見るのは初めてです?」


 少年の言葉に頷くと、彼はうやうやしいお辞儀をしてから頭を上げた。

 動物の皮を鞣したベストを素肌に纏っていて、膝の出る丈の短いズボンを履いている彼は、後ろで括っている髪を揺らして笑う。


「あっしはポリーリャ。ええと、ヒトの仔の世界ではええっとなんて呼ばれてるんだっけな? 茶色い家事妖精ブラウニーとだかなんだか呼ばれているが、そんな無粋な名前で呼ばねえでくだせえよ」


「ああ、ポリーリャさん、よろしくお願いしますね」


「へっへっへ……奥様、あっしみたいなもんに敬称なんてつけねえでくだせえ。あっしたちは屋敷の主に仕えるのが性なんで、そんな風に呼ばれたらむずがゆくってたまらねえよ」


 鼻の下を人差し指で擦ったポリーリャはそういうと、ぺたぺたと裸足のまま歩いて行く。

 こんな大きいお屋敷に使用人はどのくらいいるのかなと思ったけれど、どうやら彼が一人で色々なことをしているらしい。魔法を使えるから、人数が必要ないとかなのかな……と思いながら、ホコリ一つ見えない長方形のホールを見回す。

 ホールの奥にある階段を登ると、長い廊下が続いていた。

 光沢を放つ真珠色の扉の前で、彼は止まる。扉には月と太陽と飛び回る鳥たちが彫られていて、椋鳥がリングを咥えるような可愛らしいドアノッカーがついていた。


「ここがあんたの部屋だ。荷物もここに運び込んである。それと……必要な部屋があれば言ってくれ。少し時間は必要だが、用意しよう」


 そう言いながら、彼が扉を開いた。

 扉を開くとふわりと甘くて爽やかな香りが広がっていて、その香りの正体は部屋にいる花を逆さにしたようなドレスを着た妖精たちのせいだとわかる。

 くっきり姿が見える妖精なんて彼が始めてだったのに、立て続けに色々な姿の妖精を見て驚いていると彼は「ここはヒトの仔にも隣人の姿が見えやすいんだ」と説明してくれた。


「こいつらは、あんたの侍女のようなものだ。ヒトを着飾らせることが好きな者たちを選んだ。あいつポリーリャに世話をされるのは気まずいだろうと叱られちまってな」


 一人は竜胆ゲンティウスの花、もう一人は青っぽい蛇目花トケイソウの花をそれぞれドレスのように着こなしている。それともこの服の部分まで彼女たちの身体の一部なのかな?


「よろしくね」


 なにかヒソヒソとした声で話していることはわかるけれど何を話しているのかまではわからない。

 それでも、彼女たちがとても楽しそうな様子は伝わってくる。

 わたしが差し出した腕を中心にしてくるくるとまわった二人の妖精たちは、満面の笑みを浮かべてドレスと同じ色の髪を揺らしている。


「あんたの家と同じように……とはいかないが、不便のないようにする」


「ありがとうございます」


 最初は確かに少し不安だった。でも、すでにここが生家よりも居心地が良く思ってしまっているわたしは、情が薄いのだろうか。

 こうして誰かに関心を持って貰えて、関わって貰えるだけで心の中にあった肌寒さのようなものが消えていくような気がする。

 その後に、わたしの机も用意された書斎、浴室、彼の私室と寝室と案内された。

 一階にはちょうど浴室の下にあたる場所に厨房があるのだという。魔法で作るにしても厨房は必要なんだとか、火がいるんだななんて考えながらわたしは一度彼と別れて私室へ一人で戻った。


「ねえ、とても怖いところだったらどうしようと思ったけれど……ここは素敵な場所ね」


 わたしの言ってることがわかるのだろうか? 二人の妖精たちはわたしの周りをくるくるとうれしそうに回る。

 革張りの長椅子に腰掛けて窓の外を見た。雲一つ無い青空が広がっていて、少し目線を落とすと裏庭が広がっている。表の庭園も綺麗だったけれど裏庭には野菜の畑や、鶏を飼っているらしい小屋があり、牧歌的な美しさが広がっていた。

 少し離れにある塔のようなものはなんだろう……。


「かわいいかわいい隣人さんたち、これからよろしくね」


 棚からリボンを持ち出して、勝手にわたしの髪を結い上げ始めた可愛い花の妖精たちに対して、伝わっているのかはわからないけれどそう告げる。

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