2:いきなり嫁入り2

「来い」


 彼がわたしの腕を取った。馬車から飛び降りた瞬間、真っ黒な姿をしたナマズみたいなものが地面から湧き出してきて尾びれを思いきり地面へ叩き付ける。

 舌打ちが聞こえたと同時に、ふわりと身体が浮いた。思わず閉じていた目を開くと、わたしは彼に抱えられて空高く飛んでいた。

 わたしたちが乗っていた馬車はぺちゃんこに潰れているし、隊列を組んでいた騎士たちは何人か馬ごとつぶされてしまっている。


「そんな」


「やつらはダヌの子たちだ。こちら側の世界で身体が欠損しても痛くも痒くもないから心配するな」


 思わず両手で口を覆ったけれど、彼は平気な顔をしている。痛くも痒くもないと言われても、ケガをしている人を見るのは苦手だった。

 少し高い木の上に降り立った彼は、わたしを抱いたまま黒いナマズのような生き物を見下ろしている。


「ねえ、あれはなんなんですか?」


「異界から運ばれてきた厄災ってオレたちは呼んでいる」


 説明を聞いてもよくわからない。学院で習った気がするけれど、実物を見たことが無いから確証はない。でもアレは魔物……って呼ばれている何かでいいのかな。

 騎士たちが振り下ろした剣は硬い外皮に弾かれているようだけど、ナマズはおもしろくないのか身体を捻ったり尾びれを振ったりして暴れている。


「……闇よ」


 彼が右手を前にかざした。森の木々がざわざわと音を立てたかと思うと、影と暗闇が一箇所に集まり始めた。

 杭のように尖った形に変化した影が、馬車があった場所の近くで体を捩って暴れているナマズの魔物を目がけて隆起し始める。

 地面からいくつも突き出てきた影の杭が、バキバキと音を立てながらナマズの魔物の身体を貫く。

 けれど、ナマズの魔物は体を幾分か捩っただけで、暴れる体の勢いは弱まった気がしない。それどころか、逆に彼の魔法に巻き込まれた騎士たちがハラハラと光の粒になってその場から消えていく。


「きゃ……騎士たちが……」


「チッ……軟弱者共が」


 さっきも心配をしている様子はなかったし、実はあのダヌの子たちと呼んでいた人たちとは仲が良くなかったりするのかな。それでも、まだ残っている騎士たちは、杭にうがたれて動きが制限されているナマズの魔物に相変わらず立ち向かっている。

 いなくなった仲間を気にしていないあたり、本当に消えたりしても死んでしまったわけではなさそうだけれど……。


「あの」


 わたしを抱えたまま、なにか考えている様子の彼に対して声をかける。


「アレ、魔物ですよね。それなら、わたし、倒し方がわかります」


「Mewn gwirionedd?」


 ちゃんと聞き取れなかったけれど、本当に? とかそういう感じの言葉だと思う。

 わたしが頷くと、彼は小さく咳払いをしてから「教えてくれ」と口を開いた。


「その……多分どこかに心臓のようなものがあるはずです。身体の内側に……。それを壊さないと、動きが止まらないはずなんです」


 小さな声で「聞いただけの知識なんですが」と付け加える。間違えていたときに失望されたくないから。でも、彼は唇の片側を持ち上げてニヤリと笑いながらわたしの髪の毛を撫でてくれた。


「心臓が出るまであいつの身体を壊してやればいいってことだろう」


「そ、そうですけど……。あんなサイズの魔物……魔法使いが何十人いても倒せるかどうか……」


「ふ……」


 わたしの言っていることがおかしかったのか、彼は目を細めて笑ってから、わたしを抱え直す。

 片腕で軽々と担がれていると、改めてこの人と自分の体格差は大きいんだなとか、男の人(人ではないけれど)って力が強いんだななんてことをこんな大変な時なのに考えてしまって、なんだか顔がアツくなる。

 体に突き刺さっている杭を力尽くで追って、再び大暴れをしはじめたナマズの魔物に向かって彼が再び手をかざした。


「オレが夜闇のあるじと呼ばれていた理由を、見せてやる」


 そういうと彼のかざしている方の左腕が大きく光ったように見えた。よく見ると彼の後ろ髪みたいな菫色をした炎が彼の腕を覆い尽くしている。

 熱を持たない黒い炎は、彼の指先から肩までを覆い尽くして、ゆらゆらと静かな光を湛えながら燃えている。


「壊すだけなら得意だ」


 彼の左腕を覆っていた炎が大きくうねり、鬱蒼としていた森全体が明るくなった。明るくなったとは少し違うかもしれない。森中の影が、彼の左腕に集まっているみたいだった。

 縦に伸びた黒い渦を左腕にまとった彼は、そのままナマズの魔物に向かって手の甲を凪ぐようにして動かした。

 轟々と音を立て始めた真っ黒な影の竜巻は、ナマズの魔物の姿を全て飲み込んでいく。空気が狭いところから漏れるような甲高い音がして、硬い陶器が割れるような音が続いて響いてくる。

 その痛々しい音に思わず耳を塞いでいると、彼が開いていた手をそっと握りしめた。それと同時に黒い渦は消えて、外皮が剥ぎ取られて紫色の体液を流して動きが鈍くなっているナマズの魔物の姿が現れる。


「あ、あの赤い球体です!」


「承知した」


 彼の左腕を覆っていた黒い炎が、大きな鎌の形に変わった。地面に下ろされたわたしを生き残っている騎士たちがそっと囲み、彼は単身ボロボロになったナマズの魔物へ向かって走っていく。


「危ない……!」


 最後の力を振り絞ったのか、ナマズの魔物が持ち上げた頭を彼に向かって振り下ろした。

 大きな音の後、土煙が真ん中から二つに割れて、周りが明るくなる。


「籠の鳥、あんたのおかげだ」


 土煙の中からは、傷一つついていない彼が笑って立っている。

 鎌の形になった左手の先端には、ナマズの魔物を動かしていた球体の心臓が突き刺さっていた。

 カラカラとよく乾いた瓦のような音を立ててナマズの魔物が崩れていくのを見ながら、わたしは改めて自分の夫になった相手が人間離れした存在なのだと実感する。


「魔物の外皮や骨格は……誰かが回収すると思うのですが」


「それならオレたちは、さっさと家に帰るとしよう」


 彼はわたしを抱えたまま、残っている騎士の方へ顔を向けた。


「残ったダヌの子たち、警護を頼むぞ。そういう契約だ」


 わたしを守っていた騎士たちは再び隊列を組み始める。最初にいたときよりもずいぶんと減ってしまったけれど、特に文句を言ったりこちらに怒っている様子はなさそうで不思議な気持ちになる。


「そうでした……馬車が」


 彼に抱きかかえられたまま、すっかりぺしゃんこになった馬車の前まで戻ってきた。あまりにも完膚なきまでにつぶされているので、修理も出来なそう。騎士たちの馬でも借りて近くの街にでも行くのかな? でも、こんな森の中から街へいくのは時間がかかってしまいそう……。不安に思っていると、彼がわたしの顔を覗き込んで眉尻を下げた。


「この通り、すぐに直せる。それに」


 彼が指を振ると、ぺちゃんこになっていた馬車がみるみるうちに直っていく。まるで時間が遡っているみたい……。

 そういえば……わたしの荷物は……。


「あんたの荷物は無事だ」


 心を読んだように、彼が言いながら視線を騎士たちの後ろへ向けた。綺麗な荷馬車がそこにはあって、胸をなで下ろす。


「ありがとうございます……」


 馬車に駆け寄って中を見ても、あんなことがあったなんて嘘みたいに整然とした空間が広がっていた。

 彼がわたしを見守っている中で、わたしは荷馬車の中に入って一つだけモノを持ってきた。

 闇を吸い取る魔石を使って作ったランプだ。これを持っていると落ち着くから、手元にないのは心配だった。

 ランプを抱えて彼の所へ戻ると、いつの間にか彼の左腕は元の人に近い姿の形に戻っていた。

 そのまま彼に手を引かれて馬車に再び乗り込んだ。


「怖かったか? 耳を塞いでいるのが見えた」


 動き出した馬車の中で、彼が眉尻を下げてわたしの顔を覗き込んできた。そっと伸ばされた手がわたしの乱れた髪をそっと整えてから、離れていく。鋭く尖っている爪先は、もうあまり怖くない。


「大丈夫です。痛いのは苦手で……声を聞いたらわたしまで痛い気がしてしまって」


「それなら、次からは苦しませないようにすぐに片付けることにする」


 隠しても仕方がない。それに、殺生は苦手なので正直に答えると、まじめな顔をして彼はそう答えた。

 違うような気はするけれど、わたしを案じてのことだとわかっているので強く否定する気にもなれない。


「大丈夫だ。オレがあんたのことを絶対に守ってやるから」


 夜に浮かぶ満月のような眼が、まっすぐにわたしのことを見つめてくる。白目であるはずの部分が黒いことは、彼が人とは違う存在なのだと伝えてくるのに、その眼差しは、わたしの周りにいたどんなよりも温かなことが複雑に感じられて、驚いて言葉が出なくなった。

 会話が止まってしばらくしてから、森の中を静かに走っていた馬車がゆっくりと止まる。

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