影喰らいと呪いの少女

小紫-こむらさきー

1:いきなり嫁入り1

「あれ、なんだろう……」


 わたしの髪の毛が、まだ母様や父様とそっくりな金色だった頃のこと。

 真っ黒な炎が、空から落ちてきたことだけ、まるで昨日のことのように覚えている。

 庭に植えられたアザレアの低木の上に、音も無く落ちた黒い炎はきらきらしていてとても綺麗だった。


「ハウラ? そちらに気になるものがあるのですか?」


「アザレアが綺麗に咲いていますものね。お嬢様はお花が好きですから」


 両親にも使用人にも、炎は見えていないみたいだった。

 幼いわたしは、草木を焼かない黒い炎を不思議に思って手を伸ばして触れたところまでは覚えている。熱を持たない炎は、代わりにわたしの体温を吸い取ったみたいな感覚がした。


「なんでハウラが呪われないといけないのでしょう……」


 次にわたしが目を覚ました時、母様も父様も枕元で泣いていた。


「ハウラはどうなったんだ?」


「具合が悪いのかしら? 可愛い妹のお見舞いをしたいのだけれど」


「お二人とも、このお部屋に近寄ってはいけません」


 わたしの太陽色の髪の毛は燃え尽きた後の暖炉の灰みたいな色になっていて、兄様と扉の外からこちらを見ていた兄様と姉様が侍女長に叱られていたのを思い出す。

 自分が、どうやら良くないことになったのだということだけわかった。


「これは強力な呪いです。わたくしの手ではとても……」


「おそらく、精霊の怒りを買ったのでしょう。このままでは長くない」


「珍しい症状ですね。薬草を煎じて飲んでみましょう」


 あの頃は毎日毎日、誰かが来ていたのをぼんやり覚えている。

 呪い師だけではなく、魔法管理議院マギカ=マギステルから直々に錬金術師や魔法使いが派遣されていたのだと十六歳大人になってから知った。


「嫌よ。だって、ハウラ様の部屋ったら夜だというのに昼みたいに明るいままなのよ?」


「ハウラ様は影を食べてしまうって噂よ。影を食われてしまったら命が削られるんだとか」


 両親も部屋に来なくなってしばらくしてから、使用人たちにすらそんな噂をされていたのを耳にして、酷く悲しかったことを覚えている。

 わたしが一日の大半を寝て過ごしているからって、何も聞いていないわけではないのにね。

 わたしの灰色だった髪色が、すっかり深い新月の夜みたいな色になった頃……寝ているわたしの部屋へ変わった肌の大きな男の人が入ってきた。お化けなのかな? って内心思ったのを覚えている。


「Ti yw'r ffwl caredig wnaeth fy helpu」


 聞き慣れない言葉でそう言ったあと、その人はわたしの額に手を触れた。

 恐ろしい刃物みたいに鋭い爪先が頬を掠めたときは怖かったし、炎の様にゆらめく髪はあの時触れてしまった黒い炎を思い出して気が遠くなりそうだった。

 怯えて泣きだしたわたしに対して、表情一つ変えないまま、ヒトではない彼は背を向けて部屋から出て行った。

 その日の夜、わたしの部屋が昼間みたいに明るくなることはなかったし、わたしの影も周りの人の影も消えなくなった。

 ただ、わたしの髪の毛だけは元に戻らなかった。

 それからは、部屋で寝る時間も減って少しは普通の子供みたいに外に出られるようになったんだと思う。相変わらず、両親はわたしとあまり関わってくれなかったし、使用人たちも不気味に思っていたと思うけれど。


 六つになった時、多少魔力があるということで魔法管理議院マギカ=マギステルが経営する学院に通うことになった。

 立派な学院のローブも買って貰ったし、家門の入った馬車で学院のある白い塔まで送って貰ったけれど、父様も母様も見送ってはくれなかった。

 でも、家から出られるのがうれしかった。

 でも、残念ながらわたしに魔法の才能はなく、そこで覚えてきたのは、魔石の加工くらい。

 在学中に周囲の闇を魔石に吸い込ませるランプを制作したときは、少し褒められたけれど、それ以外に実績らしいものはない。


「この魔石ランプは素晴らしいね。既存のランプとは違って周りが明るい時に出力の調整をしなくてもいいなんて」


「この屑石に……わたしの魔力を込めたんです。周囲の暗闇を集める魔石を作って……」


「出来は素晴らしいが……氷や炎の魔法と違って大量生産に向かないのが難点だね」


「そう、ですよね」


「しかし、君の技術は素晴らしいよ。このまま高等部に進学すればきっと……」


 先生から褒めて貰えたのはうれしかった。魔石加工は好きだったし、貴族の娘が職人になるなんて相応しくないかもしれないけれど……少しでも人の役に立ちたかったから。

 高等部へ進学するために先生方に相談をしようとした帰りだった。ちょうど学舎の向こう側に兄様と姉様がいるのが見えた。

 普段なら話しかけることもしなかったのに、浮かれていたわたしは、仲睦まじく歩いている二人に大きな声で話しかけてしまった。


「シャヴィ兄様、アーザ姉様! まさか、学院で会えるなんて思いませんでした。こんにちは」


「え……と、誰だったかしら?」


「僕たちのファンか何かかい?」


「あの、ええと……その、妹の……ハウラです。髪色が呪いのせいで……その」


「ああ、ハウラ! ええと……本当にごめんなさい。ねえ、シャヴィ兄さんもなにか言ってよ」


「長く会っていなくて……本当に見違えたよ。えっと、元気になったようでよかった、本当に」


 卒業をする前日、たまたま高等部にまだ在学している兄様と姉様に会ったときの表情が忘れられない。長年会ってないからとはいえ、わたしのことを知らない人を見るような不可思議そうな目で見ていたから……。

 気まずそうに一言だけ会話を交わして、兄様と姉様はそのまま二人で去って行った。

 そのあとすぐに、家から連絡が来て高等部への進学は諦めるようにと告げられた。だから、わたしは十六歳成人になる年で卒業した。

 生まれた家に戻ってきたその日のうちに、父様はわたしを私室へ呼び出した。


「ハウラ、お前には精霊様の元へ嫁いで貰うことになっている」


 十年ぶりに出会った父様は、表情をあまり変えずにそう言った。魔法管理議院マギカ=マギステルの学院を卒業した祝いの言葉もないどころか、そんなことを言われるなんて思えなくて何か話そうと思うけれど上手く言葉にならなくて、空気を求める魚のように口を開閉させることしか出来ない。

 父様は、ぼうっとするわたしに対して言葉を続ける。


「黙っていたことは申し訳ないと思っている。しかし、これは契約なのだ」


「そんな」


 ようやく言葉を絞り出したけれど、それは勢い良く開いた扉の音にかき消された。


「お迎えが来たようです」


「え? なに?」


 なし崩し的に庭園へ連れて行かれたわたしの目の前には、細かな細工を施されている立派な馬車と、鈍い光を放つ銀の鎧を着たたくさんの騎士たちを引き連れている。

 馬たちはみんな冬の空の色みたいなくすんだ灰色をしていて、いなないたりもせずに静かに佇んでいた。

 庭園に先に来ていた母様はわたしの方を見たけれど、無表情のまま視線を逸らす。

 わたしが庭園へ来たことがわかると、御者が馬車の扉をノックしてから開いた。クチナシの花が彫られた扉が開いて、姿を現わしたわたしの結婚相手という相手はほんのりと光る暗い菫色をした揺らめく髪を持つヒトではない存在だった。


「籠の鳥は確かに貰い受ける」


 白目の部分が黒い彼は、真っ黒な前髪を揺らして父様に近寄ると、鋭く伸びた爪先に小さな黒い炎を灯す。

 炎は父様の手の上にふわふわと飛んでいくと、そのまま身体の中へ溶けていった。

 母様と父様は深くお辞儀をして礼を述べるだけでわたしのほうを見てくれない。


「あの……あなたは」


「……夜闇のあるじ。もしくは、闇喰らいと呼ばれていた」


「ええと……」


 金色の虹彩がわたしのことをじっと見つめている。

 なんて呼べば良いかわからないまま、無言のまま差し伸べられた彼の手につい自分の手を重ねてしまった


「あの……せめて、準備の時間をもらえませんか?」

 

 ああ、断れないんだなということは、両親の態度を見てもわかった。

 きっと、呪いが解けないとわかったその時から、わたしはこの家にとっていらない子だったのだ。

 きっと、死ぬようなことにはならないだろう。だって、そうなら父様に加護を与えたそのときに、わたしの命は奪われているはずだから。

 とっさに頭に浮かんだ加工途中の魔石やせっかく作った魔石ランプたちのことを思い出して、準備をなんて思ってもないことが口から飛び出した。


「必要ない」


 大きな手がわたしの手を包み込んで、暖炉の火にあたったみたいに肌が重なった部分が温かくなる。

 いきなり言われたので驚きながら、好きな服や魔石の加工道具、数少ない学院時代の友人からもらったメッセージカード……魔石のランプを思い浮かべると庭園から見えるわたしの部屋の扉が大きく開いた。扉からは菫色の光りに包まれた球体がこちらにむかって近付いてくる。

 その光は、目の前まで来ると綺麗な荷馬車の形に変わった。


「え?」


 彼に手を引かれたまま、荷馬車の扉の前に連れて行かれる。自然に開かれた扉の内側を見ると、わたしの魔石の加工道具も、魔石のコレクションも、まだ加工をしていないクズ石が入った籠も、魔石のランプも……大切なものが並べられて綺麗に積み込まれていた。


「あ、あの」


「問題ないはずだ」


 魔法なんて万能のモノじゃないって思ってた。

 学院に行っても、こんなお伽噺のなんでも出来る魔法なんてみたことがなくて、水滴をたくさん集められるだとか、焚き火をつけるときに小さな火種を発生させるとかそういう子が優秀な才能ある魔法使いだって言われていたから。

 これが、妖精の魔法なんだ……。

 驚いている隙に、わたしの手を優しく引いていた彼の言葉に思わず頷いてしまい、わたしは馬車に乗った。

 厚みのある分厚い絨毯みたいなものが敷かれている馬車の椅子は、今まで座ったどんな椅子よりも心地よくて、そこにも驚いてしまう。


 御者の声がして、馬と騎士団たちが静かに進み始める。遠ざかっていく両親と生家を眺めて心を落ち着けようと窓の外を見たときには、わたしの視界は菫色の煙に染まって何も見えなくなっていた。

 雲の中みたいな空間を静かに馬車は走り続けている。


「Rydw i wedi blino'n fawr o geisio bod fel bodau dynol.」


 なんて言っているかわからないけれど、小さな頃に聞いたことのある響きな気がする。

 前髪をかきあげながらつぶやいた彼は、そのまま遠くを見つめている。


「あ」


 なんで気が付かなかったんだろう。急に、自分が忘れていた物事を思い出す。

 この人は、あの日、わたしの部屋に来て、苦しかった呪いを弱めてくれたあの人だ。

 微かに光って炎のように揺らめく暗い菫色をした髪、鋭く伸びた爪は、あの日、部屋に来た男の人そのものだった。

 わたしにはぼんやりとした光や黒いモヤが見えるだけだから、彼みたいにはっきり見える妖精というのは他にいるのかもしれないと思っていたけれど、彼の話した不思議な言葉を聞いてはっきりと思い出した。


「あの日、わたしを助けてくれたのはあなたなの?」


おい、あんたHei, ti!オレのことを覚えているのか? Ydych chi'n cofio fi?


 両手を握った彼の金色をした虹彩がキュッと小さくなって持ち上がっていた眉尻が下げられて、不思議な言葉が再び彼の口から放たれた。でもさっきとは違って、今度は彼の言葉の意味がわかる。

 首を縦に振ると、彼が慌ててわたしの手から自分の手を離して姿勢を正すと、コホンと咳払いをした。


「驚かせてすまない」


「いえ。無口な方だと思っていたから驚きはしましたが」


「……口数が少ないと嫌なのか?」


 彼は驚いたように体を仰け反らせ、それから首を傾げた。


「ええと……まあ、そうかもしれないです」


「そうか。もう少し後にしようと思っていたが、それならばこちらの方が都合がよさそうだ」


 わたしの右手を取ると、彼は自分の大きな左の手のひらをわたしの手の下に重ねるように置いた。

 それから、右手でジャケットの内ポケットを探って取りだしたのは細い銀のフレームで作られたバングルのようだった。春の空に似た色の宝石が不規則に並べられているそれを、彼はわたしの腕にそっと嵌める。

 大きいと思ったけれど、バングルはわたしの手首に嵌められたと同時にほんのりと光り、一回りほどキュッと縮まってちょうど良いサイズに調整をされた。


「すごい……」


「オレの言葉をあんたにわかるように翻訳してくれる腕輪アミュレットだ。なるべくヒトの言葉を使おうと思ったが、逆にあんたを不安にさせたみたいだな」


「あの、そんなことはないです」


「言葉が重なって聞こえていたのも、ヒトには負担だろう?」


 急に表情も口調も柔らかくなった彼は、眉尻を下げて、照れくさそうに笑った彼はわたしから手を離して説明をしてくれた。


「これがあれば……他の妖精さんとも話せるんですか?」


「いや。あいつらは何を話すかわからねぇし、嘘は吐かないがいたずらにヒトを陥れる甘言を吐くからな。今のところオレの言葉だけがあんたに聞こえるように調整されている」


 少しだけ残念……そう思って、あらためて右手首に嵌められたアミュレットへ目を落とす。

 宝石は、綺麗な色の水を閉じ込めたようで手を軽く動かすとゆらゆらと光が揺れる。


「それと、な」

 

 わたしが宝石に見とれていると、彼は声を落として口を開く。少しだけ鋭い犬歯が見えて、鼻先に鋭い爪がスッと突きつけられた。


「妖精って言い方は、あいつらを怒らせちまう。隣人さんだとか、お隣さんって呼んでやった方がいい。言葉がわからなくても、単語だけは聞き取れたりするからな」

 

「わ、わかりました」


 知らなかった。確かに、学院にいた頃も耳長族の人たちや先生たちはそんなことを言っていたような気がする。

 靄が晴れてきて徐々にまわりの景色が窓の外に表れてくる。

 外にあるのは深い深い森だった。まだ明るい時間のはずなのに、太陽に光が届かないのか鬱蒼としている。

 青みがかった木たちは風もないのにゆらゆらと揺れいてるし、あちこちでふわふわとした光がゆっくりと明滅を繰り返している。


「きゃ」


 あまり振動を感じなかった馬車が大きく揺れた。前につんのめりそうになったわたしの肩を彼の大きな手が支えてくれた。

 何が起きたのか外を見ようとして、金属のぶつかり合う音に気が付いた。

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