第2話 ギャラ飲みとお持ち帰り

 待機していたのは王冠のマークが付いている黒塗りの国産車だ。脇に立っている運転手の名は三条俊さんじょうしゅん。190センチ以上ある大男で頭はスキンヘッドにしている。黒のスーツに身を固めた彼はマダム専属の運転手なのだが護衛役も兼ねている。

 本来、私とマダムに護衛は必要ないのだが、こういう役どころの人物は必須らしい。


 俊がドアを開いた後、私が先に後部座席に座る。そしてマダムが優雅に乗り込んだ。優しくドアを閉めた俊が運転席に座ってスタートボタンを押すとエンジンが始動した。振動も排気音も極めて小さい。


「じゃあお願い」

「はい」


 俊がシフトレバーを操作し静かに車が走り始めた。このショックを感じさせない上品な走りは、俊の高い運転技術によるものらしい。まあ、マダムの雑な運転と大違いなのは免許を持っていない私にもよくわかる。


 私たちが向かった先は一等地にある高級なタワーマンションだ。こういうところの最上階の家賃は百万単位だとマダムが話していたのを覚えている。今夜はこの一室で開催されるホームパーティーに招待されたのだ。もちろん、いかがわしいパーティーだろう。


 このマンションにはコンシェルジュが常駐している。彼女に案内されエレベーターに乗り込み、そのまま最上階へと上がる。エレベーターの出口には黒服が待機していた。その黒服に案内され部屋の中へと入った。


「遅くなりました」

「大丈夫だよ、マダム・エレーナ」


 中から出迎えたのは中年の紳士だ。やや背が低く小太りだが筋肉質の良い体格をしている。彼はマダムと熱い抱擁を交わしたあと、私の手を握ってから微笑んだ。


「リリィちゃん。今日はよろしく」

「こちらこそよろしくお願いします」


 製薬会社役員で名は仁科康人にしなやすひと。この度のパンデミックで法外な利益を上げている会社で、彼は何やら怪しいプロジェクトに関わっている……と、手を握っただけだがこんな情報が分かった。相当にどす黒い性根をしているようだ。


 到着したのは私たちが最後だったらしい。

 私たちはリビングのほぼ中央にあるソファーの席へと案内された。部屋の中には男が5名、女は私たちを含めて12名いた。ダイニングテーブルと隣の和室、私たちのローテーブルを囲むソファーに分かれ席についている。他の女は皆20代の美女で思い切り着飾っている、いわゆる港区女子というやつだろう。金持ちの男と遊び歩いて金をせしめる腹黒さは、そこにいる男と同じようなものか。しかし、彼女達の内に、日本人特有の西洋系外国人に対する嫉妬の火がチリチリと燃え上がっているのに気付く。それこそがルッキズムの奴隷に成り下がっている証拠だというのに、自らがその位置を固持しているのは笑える。


「さあ乾杯しようか。今日はドンペリですよ」


 家主の仁科と他の男三名が一斉にスパークリングワインのコルクを飛ばした。そして皆のワイングラスに注いでいく。ボトルにはDOM PERIGNONドンペリニヨンと記載してある。高級シャンパンとして有名なブランドだが、私は酒の味など分からない。


「リリィちゃんはロゼでいいかな? ピンク色は素敵でしょ?」


 私は静かに頷く。家主の仁科がマダムと私のグラスにロゼを注いだ。確かに、このピンク色の弾ける液体は美しいかもしれない。しかし、見た目が中学生の私に平気で酒を注ぐのはどうなのだろうか……。


「じゃあ乾杯しよう」

「乾杯!」

「やっぱりドンペリは美味い」

「凄くフルーティーですね」

「最高!」


 今夜のシャンペンは本物の高級品のようだ。


「シャンパンの他にもワイン、ウィスキー、焼酎もありますよ。お好きなモノをどうぞ」

「お食事の方も遠慮なく。寿司は銀座の大鷹たいよう、洋食オードブルは六本木のラングレーです」


 仁科と若いイケメンの案内に周囲がどよめく。どうやら平民では手が出せない高級店のようだ。


 今夜の男たちは若い港区女子には見向きもせず、私とマダムに絡んで来ていたのは面白かった。代わるがわる料理を運んできたし、シャンパンを注いでくれる。この構図は滑稽だ。これは優越感などではなく、自らの欲望をコントロールできず、獲物を奪い合おうと争っている愚民の痴態が面白いのだ。


 どうやら、この場のルールは誰が誰を持ち帰るのか、それを男同士の話し合いで決めるらしい。男の序列で好きな女を選び、変に争わないようにするのが話し合いという事のようだ。


 選ばれなかった女も相応の報酬……ギャラ飲みと言うらしい……を貰って帰される。一晩、食事を奢ってもらい金銭も貰えるのだから、それはそれで美味しい仕事なのだろう。


 高級寿司に高級なシャンパン。どこかの料理店の高級なオードブル。こんな物で舞い上がるような人間たちに憐れみさえ感じるのだが、私だってもう二日も食事をしていない。こんな寿司でもそれなりに美味しく頂けるし、空腹状態なら尚更だろう。


「リリィちゃん、お寿司が好きなの?」


 さっきの若い男が声をかけて来た。高身長でロン毛を後ろでくくっているイケメン。私は静かに頷くのだが、寿司よりも若い男の精気の方が好きなどとは言えない。


「僕は海乱鬼かいらぎ世紀せいき。IT系のCEOです」


 本名は堀川誠二ほりかわせいじ。IT系企業ではなくホストクラブの経営者だ。海乱鬼とは倭寇の事だが、わざわざこう名乗っているのは海賊を英雄視しているから。奪う、殺す、嘘をつく。そんな背徳の精神性を尊ぶとは恐れ入る。私は手が触れるだけで相手の思考が読めるのだが、こういう嘘つきは必ず後でバレる嘘をつく。何故そのような行為で高揚しているのか理解に苦しむのだが、それは私にとって味わい深い事でもある。


「ほら、あっちのオードブル取り分けて来たよ」

「ありがとうございます」


 どうやら、この海乱鬼が私の相手のようだ。他の女は海乱鬼に対してねっとりとした秋波を送っているのだが、彼がそれに応じる気配はない。そして当然、そいつら嫉妬が私の肌に突き刺さるのだが知った事ではない。見た目は劣っていても金持ちではなくても、誠実な男を掴まえた方が幸福になれると思うのだが、ここにいる女は嘘つきで金持ちの男と繋がる事に熱中している。


 ふと気づくと、男が気に入った女をお持ち帰りして抜け出していた。三人もだ。残った男は家主の仁科と海乱鬼の二人。海乱鬼はあぶれた女に現金入りの封筒を渡して部屋から追い出していた。


「さあ、これからが本番だ。今夜は思い切り楽しもうね」


 下卑た笑みを張り付けた海乱鬼の声が部屋に響いた。

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