アピール

 手始めに、真面目な晴輝に一番効きそうな、頭の良さをアピールしてみた。


 日曜日、晴輝が町の図書館で勉強していることを知っている私は、晴輝の隣の席に座り、課題を進めた。

 ひと段落付いたのか、晴輝が興味深そうに私が勉強している所を眺めている。普段、晴輝の前で勉強する機会などないから、きっと物珍しいのだろう。

 ここまでは作戦通りだ。私がすらすらと課題を解き、勉強が出来ることを見せつけ、『あ、紫雨って頭いいんだな。これなら彼女にしても恥ずかしくないな、むしろしたいぐらいだ』と思わせる。我ながら完璧な作戦だ。

 そんなことを考えながら課題を続けていると、小さな声で晴輝が話しかけて来た。


「紫雨、そこ……こうじゃないか?」


 自分のノートに書きこんだ数式を私の前に差し出す。


「……あ、ほんとだ」

「それと、2ページ前の問題、多分それも間違ってる」


 ページを捲って、晴輝が言った問題を改めて解き直してみると、確かに一回目とは違う答えが出た。


「あ、あれ?」

「ほらな。一回、式見直してみろ」


 晴輝の言う通りにすると、すぐにどこを間違っていたのかが分かった。

 その後も、数か所間違いを指摘され、分からないところを晴輝に解説してもらった。


 私の作戦は完全に瓦解していた。晴輝は腐っても大学生、それに、一般で入学したのだから、高校生より学力が高いのは当たり前だ。それを完全に失念していた。

 そんな晴輝に、勉強で認めて貰おうなんて、甘い考えだった。


「うう、失敗した」


 帰り道、私は思わずそう呟いてしまった。


「何を?」

「晴輝に私が頭いいってことを見せつけて惚れさせる作戦」


 隣を歩いている晴輝はため息を零す。その雰囲気から、きっとまた同じことを言うのだと予想できた。


「言っただろ、お前が俺を好きな理由は――」

「違う。私は、晴輝が好きなの」


 だから、真っ向からそれを否定する。


「私は晴輝のことが好き。だから、振りむいてくれるか、私のことを嫌いって拒絶しない限り、諦めないから」


 真っすぐ晴輝の瞳を見つめながらそう言い切る。晴輝は少し面食らったのか、表情を強張らせ歩みを止める。しかしすぐにいつもの様子に戻った。


「勝手にしろ。でも、進学先はちゃんと考えろよ」


 まだまだ、アピール一回目。これくらいじゃめげない。


 気を取り直して、私は次のアピールへと移った。


 ♦


 次は身体能力。やっぱり、活発な女の子は魅力的なはず。

 土曜日、陸部時代に使っていたスポーツウェアを着て、ランニングに出かけた。目的地は、晴輝のバイト先であるガソリンスタンド。家から片道3キロの所にあり、往復で6キロ。久しぶりの運動としては十分な距離だ。

 

 と、まあ余裕なつもりで走り出したはいいものの、流石に2ヵ月近く走り込んでいなかったのも相まって、3キロ走っただけで、かなり息が上がってしまった。晴輝の所へ行くと言う目的が、ランニングのペースを乱したのもあるかもしれない。


「ちょっと……一休み」


 ガソリンスタンドの中にある自販機へと向かう。どれにしようかと悩んでいる間に、私の背後から、自販機へ小銭が入れられる。


「好きなの選べよ」

「うえ、晴輝!?」


 ガソスタの制服姿の晴輝が背後に立っていた。


「ここは俺のバイト先なんだから、そんな驚くことないだろ?」

「そ、そうだけど……さすがに、後ろからはびっくりするよ」


 晴輝のお金でスポドリを購入。おつりを返し、自販機のとなりにあるベンチへ腰掛ける。


「ここまで走って来たのか?」

「うん、まあね」

「凄いな。家まで大体3キロぐらいあるから、往復6キロか……高校の持久走以来、そんな距離走ってないな」

「えへへ、元陸部にしたら、これくらい朝飯前だよ」


 現役の頃ならそうだっただろうが、今となってはかなりバテバテだ。ただ、それを必死に隠そうと、無理やり呼吸を落ち着かせる。

 せっかく晴輝が褒めてくれたのだ、情けないところは見せたくない。


「それで、なんで走ってるんだ? 部活はもう終わってるだろ?」


 ここで、『晴輝に、私は運動が得意だってことを魅せたいから』なんて言おうものなら、前回の二の舞だ。それを考え、慎重に言葉を選ぶ。


「ずっと進路のこと考えていても、何も浮かばないかなって思って、気晴らしに軽く運動しようと思ったの」


 6キロを軽くと言い運動が出来ることをアピールしながら、ちゃんと進路のことも考えているアピールが出来ている……我ながら完璧な回答だ。


「そうか……ちゃんと考えているなら結構だ」


 晴輝は、私から少し離れて会話する。なんだかぎこちない。


「どうしたの? 晴輝?」


 気になって聞いてみると、晴輝は言いにくそうに言葉を零す。


「いや、その……汗の匂いとか気にするかなって思って、あんまり近づかないようにしてたんだけど……」

「っ!?!?」


 ばっと、私は自身の身体に顔を近づけスンスンと匂いを嗅ぐ。確かに、3キロ走り込んだ分の汗のにおいがびっしり染みついていた。それに気づいた私は、残っていたスポドリを一気に飲み干し立ちあがる。


「わわわ私もう帰るね! バイト頑張って! じゃあね!」


 運動ができるアピールは、私が自分の汗臭い臭いを晴輝に嗅がれることを恥ずかしがってしまったため、中途半端に終わった。

 しかし、諦める訳にはいかない。ここまで来たら、もう恥はない……こともないが、少し大胆にアピールしてみてもいいだろう。


 ♦


 今度は可愛さと女性の武器を使ってみる。

 お父さん曰く、私は可愛いらしい。特段女優のような美貌ではないが、けして残念な顔ではないと。お父さんが言っているだけなら、ただの親バカとして流していたが、同級生に告白されたこともある以上、おそらく、私は可愛い方なのだろう。


 その可愛さと女性の魅力を意識させれば、きっと晴輝も考え直してくれるはず。相合傘すら恥ずかしがっていたのだ、少なくとも晴輝は、私のことを異性として見てはくれている。そこに、私の可愛さを教え込めば『ああ、なんて可愛いんだ、是非彼女にしたい』と思うはず。


 ということで、翌週の日曜日、晴輝をデートに誘ってみた。隣町のショッピングモールで、服を買うのに付き合ってもらった。


 駅からの帰り道、いつもより半歩近い距離を歩いている。ほんのり香水も付けて、胸元が緩い服も着て来た。デート中も腕に触ったり、体を寄せるなどして、接触回数を増やした。


「なあ、なんか距離近くないか?」

「んー? そんなことないと思うよ」


 そう言いつつ、また半歩近寄る。それに呼応して、晴輝は半歩私から遠ざかった。


「……いや、近い」


 どうやら晴輝の中で確信に変わったようだ。


「私が近くにいるの、嫌?」


 どうだ、必殺上目遣い。晴輝は169センチ、私は155センチ、男女の身長差では理想に近い。


「嫌ではない、が……」


 お、これは手ごたえがあったか? 少し調子に乗った私は、思い切って晴輝の腕に抱き着いてみる。あまり大きくはないが、しっかりとそこにある二つの柔らかい山を押し当てる。

 きっと照れて顔を逸らし、ちょっと怒りながら離れるよう言うだろう。そしたら、そこからはずっと私のターンだ。


「……紫雨」


 だが返って来たのは、本気で晴輝が怒ったときに発する、低い声だった。


「お前、それも俺へのアピールのつもりか?」

「……そうだけど」

「バカ野郎!」


 晴輝の大きな声に、思わず私はビクッと体を震わせ、一歩後退る。


「付き合ってもいない男に、そうやってべたべたと引っ付いて……軽率すぎる」


 真剣な目で私をそう叱る晴輝。だが、そんな目に私は反発を覚えた。

 思わずカッとなって、大きな声で反論する。


「こんなこと、晴輝にしかしない! 誰にでもしている訳じゃない!」


 晴輝は強く唇を噛んで、絞り出すように言う。


「何度も言わせるな。お前が好きなのはおやじさんだ。俺はお前が本当に好きになった人間じゃない。そんな相手に、そうやってすり寄るのは辞めろ、後悔するのはお前だぞ」

「後悔なんてしない……どうして、どうしてわかってくれないの?」


 ここまでやっているのに、晴輝は私の好意を素直に受け止めてくれない。拒絶されるのではなく、好意自体を認めてくれないことが、私は悲しかった。


 晴輝に持って貰っていた荷物を強引に返してもらい、家へと走り出す。後ろから晴輝が声をかけた気がしたが、私は振り返ることが出来なかった。


 ♦


 あれから数日経って、荒ぶっていた気持ちが落ち着いた私は、家の車庫へとやってきていた。


「久しぶり、スカイライン」


 そこに眠るのは、《スカイラインR34 GT-R Ⅴ・specⅡ Nür》第二世代GT-Rの最終モデル。お父さんの愛車だ。

 今日は、1年ぶりにこの車を磨くことにした。お父さんが死んでから、定期的に晴輝はこの車をメンテナンスし、常に綺麗で走れる状態にしていたから、私がこの車に触れることはなくなっていた。

 お父さんが生きている間はよく洗車を手伝っていたから、やり方は覚えている。そればかりか、上手だと褒められていたぐらいだ。

 

 この前のアピールの時、晴輝は私に『軽率すぎる』と怒った。あの時は、かっとなって反論してしまったが、今となっては晴輝が正しかったことが分かる。晴輝は、私のことを心配して怒ってくれたのに、私は自分の感情を優先して、反発してしまった。


 今日の洗車は、その反省も込めている。晴輝が日頃してくれている車の整備を手伝うことで、私の誠意を見せようと思ったのだ。

 どう磨けばお父さんが褒めてくれたかを思い出しながら、私は洗車を続けた。

 その最中、私の頭の中ではずっと同じ言葉が巡る。『お前が俺のことを好きなのは、父親に重ねているだけだ』、最近ふとした瞬間に頭をよぎるようになった。

 私は、ずっとそんなことないとアピールを続けてきたが、ここにきて、それに自身が持てなくなったのだ。


「……結局どれも、お父さんが褒めてくれたことなんだよね」


 スカイラインのヘッドライトを撫でながら、そうぼやく。

 私がこれまで自身のアピールポイントとして上げたのは、結局全て、『お父さんが褒めてくれたこと』だった。身近な男性がお父さんしかいなかったから、そう自分の中で勝手に納得していたが、もしかしたら違うのかもしれない。


 私は晴輝に一体何を求めているのか、自分でも分からなくなってきてしまった。

 洗車を終えた私は、車庫の壁に付く四桁ロックの小さい扉を開け、車のカギを取り出す。今ではほとんど見なくなった、鍵穴に差し込んで回すタイプの鍵だ。持ち手にはGT-Rのロゴが描かれている。


 鍵を開けて座るのは助手席。ここが、お父さんの存在を一番感じられる場所だからだ。

 決して快適とは言えないシート。右を向けば、運転するお父さんの横顔を思い出せる。そこに、一瞬晴輝の横顔が重なり、ハッとして視線を背ける。


「私が好きなのは……晴輝なの? それとも――」


 車の中で呟いていると、車庫の扉が開いた。そこには、作業着を着て、工具箱を持つ晴輝が立っていた。


「紫雨? 何してるんだ?」


 いそいそと車から降りる私を、不思議そうに見つめる。

 言えない。お父さんと晴輝のどっちを好きなのか確かめていたなんて……。


 普通に洗車していただけだと言えばいいものを、急に現れた晴輝に動揺して、頭が回っていなかった。


「って……随分綺麗だな……もしかして、紫雨が洗ってくれたのか?」


 晴輝は車に近づくと、バンパーを撫でながらそう聞いて来る。


「え? うん、そうだよ」

「そうか……ありがとう。こいつもきっと、紫雨に洗って貰えて喜んでるよ。なんだか、俺が洗うよりきれいな気がするな……」

「そ、そうかな?」

「ああ、紫雨は洗車が上手いんだな」

『紫雨は洗車が上手いな。これからも、こいつを洗う時は頼むよ』


 晴輝に褒めて貰えた嬉しさを感じたのも一瞬。昔、お父さんに言われた言葉を思い出した。思い出してしまった。


「わ、私この後用事あるから、じゃあね!」


 お父さんと晴輝を重ねてしまっていることを認めたくなくて、私は車庫を飛び出した。

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