ドライブ
「晴輝、シャフトの交換終わった? エンジンは終わったよ?」
「今やってる。もう少し待って」
俺は今、大学の課題の一環で、グループに渡された車の整備を行っている。指定された整備を終えた後、テストドライブのデータを取り、それについてのレポートを書くと言うのを、来週の水曜日までに行わなければいけない。
大学で初めて本格的に車の整備&レポートの課題を言い渡された時はかなり戸惑ったが、今となれば慣れたものだ。
「ねえ晴輝? そう言えば紫雨ちゃんはどうしたの?」
この課題を行う上で同じグループになった同級生、秋山が自身の軍手を外しながら聞いて来る。秋山は異性の同級生と言うことで、紫雨のことを相談していた。
「ん~最近は落ち着いて来たよ」
「えー? あれだけアピールしてたのに?」
最近、紫雨の様子は落ち着いてきていた。9月中、あれほど俺へと好き好きアピールを繰り返していた紫雨だったが、車庫で会った時以来、そういった行動は落ち着き、以前の距離感に戻っていた。
「少し経って、冷静になれたんだろ」
「でも、晴輝の話を聞く限り、その子本当に晴輝が好きなんだと私は思うけどなぁ」
秋山は納得できないと言わんばかりに首をひねる。
「さてな。まあどっちにしろ、俺と付き合ってもいいことなんてないだろうし、早くひとり立ちしてほしいもんだ……よし、交換終わったぞ」
工具を置いて、軍手を外す。車を持ち上げていたクレーンを操作して、ゆっくりとタイヤを地面に接地させる。
「……晴輝はさ、実際紫雨ちゃんのことどうなの? 父親と重ねている云々は一旦忘れてさ」
車の鍵を俺に差し出しながら、秋山は問う。
「嫌いじゃない。むしろどちらかと言えば好きだよ。おやじさんにお世話になってる時から、ちょっと気はあった。だからこうして今も世話を焼いてるわけだし」
目を丸くして、秋山は半分呆れながら言った。
「じゃあ付き合ってあげればいいのに……」
「……ダメなんだよ」
鍵を握りしめ、俺は絞り出すように反論する。
「例えあいつが本気で俺のことを好きだとしても、俺はあいつを幸せにしてやれる自信がない。常に頭の中に、おやじさんの顔がちらつくんだ」
まるで、おやじさんの死を利用して愛娘を奪ってしまったような気がして。死を利用してしまっているような気がして。たとえ付き合ったとしても、罪悪感で一杯のまま紫雨に接することになる。それじゃあ、紫雨に申し訳ない。
もし、もし俺が紫雨の気持ちに答える決心をするとするならば、それはおやじさんを越えられたと自分で思えた時だ。
「おーい、牧野、吉川! テストドライブやるぞー! 計器持ってこい!」
紫雨の話は一旦置き、今はレポートのためのテストドライブに集中だ。グループの後二人を呼ぶ。
車を外に押し出し乗り込む。ハンドルの脇にある差込口に鍵を入れ、回す。
「計測の準備大丈夫か?」
「いつでもいけるぞ~」
「よし、じゃあ始めるぞ」
サイドブレーキを解除し、エンジンをふかした後、クラッチから足を離して車を加速させる。紫雨からの思いを振り切るようにアクセルを踏み込みギアを上げ、車の速度を上げて行った。
♦
何事もなくテストドライブが終了し、後は計測結果とドライブ後の車の様子を基にレポートを書くという段階に移る。全員で片付けた後、適当なファミレスでも入って、そこで終わらせようかと話していた時、スマホが鳴った。
俺はスマホの着信画面を見て首をひねる。そこには、紫雨の名前が表示されている。ふと時計を見ると、今はまだ学校にいる時間だ。
考えても仕方ないと思った俺は、応答のボタンを押した。
『もしもし? 晴輝?』
「ああ、どうしたんだ? お前まだ学校だろ?」
俺の言葉に秋山がピクリと反応する。おそらく電話先の相手が紫雨だと気づいたのだろう。
『ちょうどさっき授業終わったの。今日は職員会議で早下校だったから』
ああそうゆうことか。自分の中で納得するが、新たな疑問が生まれる。
「それじゃあ何の用だ? 何か買って行って欲しいものでもあるのか?」
『そうじゃなくて、今日雨降ってるでしょ? それで、なんか倒木かなんかで電車止まっちゃったらしくてさ。迎えに来てくれない?』
「迎えに行くって言ったって……俺、車なんて持ってないぞ?」
『お父さんのスカイラインがあるでしょ、お願い! 私来週模試があるから、早く家に帰って勉強したいの』
紫雨が自ら勉強したいだなんて、明日は嵐だな。
おやじさんの車を勝手に使うのには少し抵抗があるが、そうゆうことなら、きっとおやじさんも許してくれるだろう。
「分かった。と言っても、小一時間はかかるから少し待ってろ」
『分かった、お願いね』
通話を終えると、三人は既に片づけを終えていた。
「あ、悪い。片付け任せちゃって」
「良いってことよ、紫雨ちゃん待ってるんでしょ? 早く行ってあげなよ」
秋山はそう言って俺の鞄をこちらに投げる。
「レポートは日曜日でも間に合うし、今日は解散でいいぜ」
吉川もそう言ってくれるので、俺は三人に礼を言って、帰路へとついた。大学からアパートまで歩いて20分ほど、少し早歩きでアパートへと戻ると、作業着を洗濯機の中へ突っ込み鞄を置く。
家の鍵を閉めたら、今度は向かいの紫雨の家への敷地へ入り、車庫へと向かう。車庫の中には、紫雨が磨いたピカピカのR34が鎮座している。
「おやじさん、借りますね」
車庫の壁に付く小さな扉に1998と数字を打ち込み開ける。中にはいくつか鍵がかかっており、その中央にはGT-Rのロゴが入った鍵がぶら下がる。
そのカギを取り出すと、大学でテストドライブを行った時と同じようにエンジンをかけ、アクセルを入れる。ゆっくりと重たい車体が動き始め、倉庫から車が出る。
「さて、行きますか」
改めてアクセルを踏み込んで、俺は紫雨の学校へと向かって行った。
♦
ざあざあと雨が降り続ける外を見ながら、私は昇降口で膝を抱えていた。
「まだかな~」
スマホの時計を見ると、そろそろ16時になる。電話してから1時間ほど経った。
「晴輝には、迷惑をかけてばかりだなぁ」
でも、それも全部、今日で終わらせる。
アプローチを繰り返すうちに、自分でも晴輝を好きな理由が分からなくなった。本当に晴輝が言う通り、『晴輝にお父さんを重ねている』だけなのかもと思うようになった。だから、少し距離を置こうと、晴輝の言う通り冷静になろうとした。したけど……。
「やっぱり、晴輝のこと好きだよ、私」
冷静になっても、私の頭から晴輝のことが離れることはなかった。もうどう考えても、どんな理由があろうと、晴輝のことは好きなのだ。
でも、もしお父さんと重ねたうえで好きなのだとしたら、それは晴輝に失礼だし、晴輝も納得はしてくれない。だから私は、それをハッキリさせる方法を考えた。
「お、来た」
私の中で最もお父さんを強く感じる、スカイラインの助手席に乗り、晴輝に運転してもらうことで、はっきりさせることにしたのだ。
「お待たせ、流石に中までは持ってこれないから、路駐してある」
「うん、ありがとう」
少し心臓がうるさい。もしこのドライブで、晴輝を好きな理由に『お父さん』が関係しているとはっきりしてしまえば、もう私は、晴輝への恋を諦めるしかなくなる。高校生時代の気の迷いと、忘れるしかなくなる。
スカイラインに乗ることに、こんなに緊張したのは久しぶりだ。小さい頃、お父さんが初めてこの車を持ってきた時以来だと思う。
「それじゃあ、出すぞ」
私がシートベルトをしたのを確認して、晴輝は滑らかに車を動かし始めた。
いつも歩いて向かう駅前への道が恐ろしく速い速度で流れていく。そのまま駅前を横切り、山を迂回する大通りへと出る。
「……混んでるな」
ぼそっと晴輝が呟く。
確かに、大通りにはバスやトラック、その他乗用車が列を成しており、渋滞が起こっている。一般道でここまでの渋滞はなかなか経験がない。ゆっくり車を進めていると、何やら前から警備員らしき人が車に声をかけて回っている。
「何かありました?」
警備員が私たちの方に来ると、晴輝は窓を開ける。
「この先で、車3台を巻き込むスリップ事故が合って大変混みあってまして。逆サイドの車道を使っていただけないかお願いして回っている所なんです」
雨の日のスリップ事故……。
「でも、確か逆サイドって、山向うの細道ですよね? この量がそっちに回ったら、余計に混みませんか?」
「ここに全車輛が渋滞するよりは早く進むと思います」
晴輝と警備員がそんな風に話している。
「参ったな……」
窓を閉じ、頭をかく晴輝。
「ねえ晴輝、峠なら、誰もいないんじゃない?」
私は、思いついたことをそのまま口にした。
「……確かに、あの道は混まないだろうけど」
晴輝は難しそうな表情を浮かべ、その先の言葉を飲み込んだ。だが、言いたいことは分かっている。
「大丈夫、お父さんのことは気にしてない。それにほら、早く帰って勉強したいしさ」
嘘をついた。あの峠なら、お父さんとの差がよく分かると思ったからだ。
「……いいんだな?」
「うん、お願い」
改めて私に確認をとったうえで、晴輝は車列から車を逸らし、脇道へと逸れて行った。
少し走ると、さびれた看板が、峠道の入り口を指す。
「それじゃあ、行くぞ」
緊張した顔で晴輝はアクセルを踏み、雨降る
水がタイヤと地面の摩擦係数を低下させ、思うように車が前に進まない。カーブでは大きくタイヤが流れ、アウトへと車が流される。
集中している晴輝を邪魔しないよう、一切話しかけることはしなかった。私はただ、峠を進む間、晴輝の運転に身を任せ、その横顔を見つめていた。
どことなくお父さんと似ている横顔。だが、そこにいるのはお父さんではない。アクセルの踏み加減も、シフトチェンジのタイミングも、ブレーキングの間隔も、どれ一つとっても、お父さんのものとは違う。
そう感じる頃、ヒルクライムを終え、頂上の平地を少し走った後、車は
ダウンヒルへ入ったことで、さらにアクセルを踏み込む力を弱める晴輝。心地よいアクセルワークで下って行き、ブレーキによって車体を揺らすことはほとんどない。気を抜いたら眠ってしまうのではないかと思うほど、優しい運転だった。
もうすぐ峠を抜けると言うタイミングで、唐突に晴輝は「あ……」と声を漏らした。
気になった私は、晴輝の見るフロントガラス越しの道路へ視線を送った。
「あ……」
思わず、私も晴輝と同じ声が出る。
真っ黒いブレーキ跡、その跡はカーブを曲がり切る直前でガードレールへと向かっており、跡が消えた先にあるガードレールは大きくへこんでいた。間違いなく、私のお父さんが死んだカーブだ。
そのカーブを、晴輝はアクセルを抜き、軽くブレーキを踏みながら華麗に曲がり切った。
あまり華麗なアクセルワークにハンドル捌き、思わず私は息をのんだ。車体の重心を移動させることでアウトへ流れることを防ぎ、曲がり切った瞬間のアクセルで車体の進路を固定、雨が降っているとは思えないような安定性でコーナーをクリアした。
恐る恐る、改めて晴輝の顔を見る。しかし、そこに父の面影はなかった。ただ一人の、晴輝が居た。それでもなお、私の鼓動は収まろうとしない。
そこで私は確信できた。これは、気の迷いなんかじゃない。
「……やっぱり、晴輝が好き」
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