どうやら、アイリは信じてくれているらしい

「……」


 目を覚ます。見覚えのある天井。カーテンの隙間から射し込む朝日。体を起こして周囲を見渡せば壁には愛用の聖杖を立てかけられている。


(王都の、宿……)


 溺死した私はまた【死に戻り】によってやり直した。前は酷く動揺してしまったが、今回はそこまで精神が揺れていない。


 もちろん、溺れた時の感覚は鮮明に覚えている。もう二度と経験したくないと思うほど苦しい経験だった。


 でも、【死に戻り】のおかげで私はまた目を覚ました。普通なら死んでしまえばそこで終わってしまうはずなのに私は奇跡的にやり直す機会を与えられた。


(コール……)


 死ぬ直前に見た必死な表情で私に手を伸ばす彼女を想い、ギュッと胸の前で両手を握る。私のドジのせいでコールには辛い思いをさせてしまっただろう。しかし、【死に戻り】のおかげでそれすらもなかったことになった。前の前のミリーもそうだが、優しい二人のことだ、私が死んだら自分を責めてしまうはずだ。





 ――あくまで私の考えだが、その相手の分までそれを大切にしたいな。





 前のコールが私に言ってくれた言葉。ミリーやコールは何も覚えていないかもしれないけど二人から大切な物を貰った私は覚えている。だから、大丈夫。もう迷ったりしない。


 きっと、この力を手に入れたのにも意味がある。私は私にできることをやろう。それがなかったことになってしまった思い出に対する精一杯の誠意だ。


「……あれ」


 少しの間、前のコールに対する感謝と謝罪を心の中で呟いていたのだが、前の時に来たはずのアイリがいつまで経っても来ないことに首を傾げた。確かあの時は私が朝の支度が遅れてしまったから呼びに来たはず。


(私が行動を変えない限り、皆は同じ動きをするはずだけど……)


 いや、アイリのことだ。勇者の勘というものでその時の行動が変わるのかもしれない。魔王城の時も彼女の動きは少しだけズレていた。


「……よし」


 ベッドから降りて寝間着を脱ぐ。覚悟は決めた。想いも受け継いだ。なら、後は行動に移すだけ。私にできることは少ないかもしれないけど、何かできることがあるはずだ。


(手始めに……ちょっと頑張ってみようかな)


 着替える前に壁に立てかけられた聖杖を見つめる。それは『頑張れ』と応援するように朝日を受けて輝いていた。













 王様から魔王の話を聞いた後、私たちはやっぱり冒険の準備をすることになった。しかし、今回の私はいつも通りにアイリと一緒に行動しようと思い、彼女に声をかけて買い物に出かけた。ちょっと試したいことがあり、その適任者がアイリだったのである。


「ユーリ、どうかした?」


「え? 何が?」


「なんというか……気合いが入ってる?」


 その時が来るまで少し時間があったので買い物を済ませてしまおうとアイリと協力して買い物をしていたのだが、その道中でアイリが少しだけ不安そうに声をかけてきた。私としては普段通りに接していたつもりだったのだが、彼女の勘の前では通用しなかったらしい。


「……突拍子もない話、してもいい?」


「……いいよ」


 正直、アイリには最後まで話さずに協力してもらおうと思っていたが悟られているのなら仕方ない。私は前にコールと一緒に休んだベンチに彼女を誘導して二人で腰掛ける。


「実は……今日、変な夢を見たの」


「夢?」


「うん、この王都で起こる事件の夢」


 私が気になっていたこと。それはミリーの時に私を轢いた馬車。そして、コールが解決した酒場の乱闘と橋で落ちそうになった子供のことだ。


 これらのことに関わらないようにするのは簡単だ。事件が起こる時刻にその場所へ行かなければいいだけの話である。


 だが、もし、私が行かなかった場合、それらの事件はどうなるのだろうか。


 馬車は私の代わりに誰かを轢いてしまうかもしれない。


 酒場の乱闘は死人が出るほどの被害が出るかもしれない。


 橋の方はお兄ちゃんは水路へ落ちて溺死し、弟は自分のせいで兄が死んだと一生後悔することになるかもしれない。


 私には関係ない事件だ。馬車も、乱闘も、子供たちも、私が原因で起きたことではない。


 しかし、それは私がいなくても起きてしまう事件ともいえる。私が関与しなければ何かしらの被害が出てしまう事件。


「ただの夢だから起きないかもしれない……でもね、すごく気になるの」


 正直に話すわけにもいかないので夢と嘘を吐いてこの後に起きる三つの事件の詳細をアイリに話す。


「そっか。でも、ユーリには関係ないよね?」


「っ……」


 アイリの言う通りだ。私には関係ない話。王都は広い。きっと、三つの事件以外にも色々な問題が起きているはずだ。もしかしたら死人が出るほどの大事件が起きていたかもしれない。


 本当なら無視していいことだ。私はとても弱い。【死に戻り】という特殊な力を手に入れていなければすでに死んでいた弱者だ。


 そんな弱い奴にできることなんてほとんどない。全てを守りたいだなんて大それたことは言えない。


「……確かに私には関係ない話だよ。それでも、助けたいって思ったの」


 だが、知ってしまったのだ。馬車に轢かれる痛さも、乱闘が無事に解決して安堵する住民たちの顔も、水の冷たさも。


 全部、知っている。なかったことになったとしても私が覚えている。だから、同じ思いをしてほしくない。苦しい思いをしてほしくない。せめて、私の手が届く場所にある死を取り除きたい。だって、死ぬのは本当に辛いことだから。


「……わかった。私は何をすればいい?」


 私の覚悟を感じ取ったのか、アイリは胡散臭い話なのに信じてくれた。それだけでなく、協力もしてくれるらしい。やっぱり、彼女を連れてきてよかった。勇者である彼女なら私みたいに自分を犠牲にすることなく、事件を解決してくれるだろう。


「アイリ、ありがとう! まずは――」


 具体的に話そうとしたがその前に住民たちが騒いでいる声が聞こえた。そちらを見ると例の酒場の前に人だかりでできている。


「――酒場の乱闘騒ぎを解決しよう」













「本当に助かりました! ありがとうございました!」


「別にいい」


 私の強化バフすら必要とせず、アイリは一瞬で暴れている冒険者たちを伸してしまった。コールも強いのだが、彼女はどちらかというと動き回って相手をかく乱するような戦い方を好む。そのため、酒場という狭い場所だと普段のポテンシャルを発揮し辛いのだ。


 だが、アイリは違う。襲ってくる冒険者を片手でぽいぽいと投げ、無力化してしまった。面白いように飛んでいく冒険者たちを見て私は呆然としてしまい、手伝う暇もなく終わってしまったのである。


(助けてくれるかなってダメ元で話したけど……私がいらなかったかも……)


 助けて欲しいとお願いした私が何もしないのは少し気まずく、ぺこぺこと頭を下げながらアイリにお礼を言う酒場の店長さんから視線を外してしまった。


「ユーリ、次は?」


「あ、えっと……馬車、かな」


 店長さんからお礼を貰ったアイリは私に話しかけてくる。ミリーとあの会話をしたのは買い物がほとんど終わった頃のこと。確か夕方手前の時刻だった。だからこそ、この酒場の乱闘騒ぎを優先しようとこっち側に来ていたのである。


「少し離れてるけど走れば間に合うよ」


「わかった。なら、跳ぼう」


「へ?」


 アイリは荷物をアイテムボックス――勇者に与えられた特別なスキルで荷物を異空間に収納できる――へ放り込んだ後、私を抱き上げた。横抱き。そう、お姫様抱っこである。


「あ、あああああの!? アイリ!?」


「間に合わなかったら大変」


 ほぼゼロ距離で私を見下ろすアイリに私は心の中で悲鳴を上げてしまう。完全に棚に上げていたが私の気持ちは何も変わっていない。ミリーやコールのおかげで多少なりとも落ち着いたものの、いきなり近づかれたら吃驚してしまうのだ。


「しっかり捕まってて」


「……は、ぃ」


 ギュッと私を抱きしめるアイリの温もり。魔王の死の呪いで初めて死んだ私を抱きしめた時と変わらない温かさ。ずっと、包まれていたいと願ってしまうほど居心地のいい、彼女の胸の中。


(でも、恥ずかしいよぉ!)


 そんな私の様子に気づくことなく、アイリはその場で跳躍。近くの建物へ跳び移った後、軽快にその屋根を走り始めた。


 その日、王都では顔を真っ赤にした少女を横抱きにし、王都を跳び回る美少女がいたと噂になったそうだ。誰か、殺して。















「ユーリ、この辺?」


「は、え? あ、はい……」


 アイリの胸の中でカチコチになっていた私だが、気が付けばミリーと買い物した場所へ到着していた。具体的な時間帯まではわからない。でも、騒ぎにはなっていないのでまだ誰かが巻き込まれたわけではないようだ。


「場所は?」


「あっちの方だったと思う」


「わかった」


「あ、そ、その前に降ろして!」


 私を横抱きにしたまま移動しようとしたアイリを慌てて止める。いつも頼りになる彼女だが、少し集中すると別のことが疎かになるところがあるのだ。


「そうだった」


 やはり、今回もその癖が出てしまったようでアイリは私を降ろしてくれた。正直、私ももう少し――いや、何でもない。


「もう、その癖は直すようにシスターに言われてたでしょ」


「面目ない」


 私は注意するとアイリはしゅんと落ち込んでしまう。因みにシスターとは私たちの故郷にいたお姉さんである。協会に務めており、仕事以外にも子供たちに勉強などを教えていた。そのため、常に子供たちに囲まれている心優しい人で私やアイリもシスターから色々と教わったのだ。シスターから『アイリのことをよろしくね』と旅に出る前に言われたのは今でも鮮明に思い出せる。


「とにかく、今は馬車の方を……あっ!」


 説教している時間はないため、視線を彷徨わせたが見覚えのある大きな馬車がこちらに向かってきているのが見えた。前の前と同じように御者が乗っていない。このまま放置していれば大惨事になることは間違いないだろう。


「あれね」


「うん、急いで止め――きゃっ」


 今度こそ強化バフを掛けようとしたが、その前にアイリは馬車の方へ跳んでいってしまった。たった一歩。そのはずなのにすでに彼女は馬車の傍まで移動しており、遅れて巻き起こった風圧に私は転ばないように踏ん張る。


「あ、アイリ……」


 そして、顔を上げると御者が座るべき場所にアイリが腰掛け、興奮していた馬たちを宥めているところだった。馬車はすでに止まっており、騒ぎに気付いた住民たちが何事かとそちらを見ている。


「ああ、ありがとうございます! 馬たちがいきなり走り出してしまって!!」


 遅れて走ってきたのは馬車の持ち主と思わしき男性だった。顔を真っ青にしてアイリに何度も頭を下げている。もう少しで大惨事になるところだったのだ。それをわかっているからこそ、あそこまで必死にアイリにお礼を言っているのだろう。


「次からは気を付けて」


「はい、もちろんです!! あ、もしよろしければこちらを……」


「ありがとう」


 瞬く間に解決してしまったアイリに馬車の持ち主の男性がお礼の品を渡す。そこで周囲の人たちもアイリが馬車を止めてくれたのだとわかったようでわいわいと騒ぎ始めた。


「……」


 住民たちに囲まれるアイリは少し戸惑った様子だが、嫌がることなく対応している。その光景がとても遠く感じた。


 私は、何を思い上がっていたのだろう。そうだ、私は弱い。魔王の攻撃を弾くので精一杯で、ミリーを助けるために自分を犠牲にするしかなく、乱闘騒ぎはコールに全て任せて、最期は結局、死ぬ。


 手の届く範囲で守りたい? 本当に嫌になる。手が届いたとしても守れるだけの力がなければ意味がない。むしろ、私が死ぬことで助けたかった人たちは罪の意識を背負う。


 果たして、それは助けたということになるのだろうか。助けた、と満足して死んだ私の自己満足でしかないのではないか。


 それに比べ、アイリはどうだ? 私の力を借りることなく、一瞬で解決してしまった。誰も傷つけず、悲しませず、自分の身すら犠牲にせず。全てを救ってしまった。


 勇者。魔王から世界を救う存在。本当に、遠い。遠いよ。


「……ほんとに、どうしよ」


 遠くて、遠くて、手を伸ばしても届かない。そんなところにいる人と私はどうなりたいのだろう。


「ただいま……ユーリ?」


「……ううん、何でもない。次、行こっか」


 私の様子がおかしいことに気づいたアイリが声をかけてくれる。でも、あえてその気遣いを無視するように私は歩き始める。幸い、次の現場は宿に近い大きな橋だ。ここから歩いても間に合う。


(どうなりたい、か)


 少なくとも今のまま、アイリに思いを伝えられるわけがなかった。伝えられるほど私は図太くなかった。


















「この橋?」


「うん、そうだよ」


 王都が夕焼けに染まる中、馬車を止めた広場から少しだけ遠回りした私たちは最後の事件である大きな橋に到着した。ここで夕焼けに気を取られたお兄ちゃんが立ち止まり、その背中を意図せず弟が押してしまう。そして、バランスを崩したお兄ちゃんは橋の向こうへ落ちてしまうのだ。


「……あれ」


 しかし、私たちが到着して少し経っても二人の子供は現れなかった。夕日の沈み具合からしてもうここを通っていてもいいはずだ。


「来ないね」


「うん……」


 もしかして、何かが変わった? でも、原因は何? 前の時と違うことがある? そのせいであの二人の子供はここを通らなくなった?


「……」


 ぐるぐると思考を巡らせていたが、途中で止めてしまう。いいじゃないか。ここを通らなければお兄ちゃんが水路に落ちることはない。アイリの手も煩わせることもなく、事件は解決。これで目標達成だ。






 ――ほんとに?






 だって、そう考えるのが妥当だ。どうしてここを通らなくなったかわからないが二人が現れない以上、私たちにできることはない。私には、もうどうすることもできない。


「ユーリ」


 その時、アイリの声が耳に滑り込んでくる。いつの間にか俯いていた顔を上げると彼女は私の目をジッと見つめていた。


「本当にいいの?」


「それ、は……」


 彼女の問いに私は言い淀む。いいはずだ。これでよかったのだ。後は宿に帰って、ミリーたちと合流して、眠って明日を迎える。それでいいじゃないか。









「いいわけない!!」








 私は自分に叱咤した後、アイリを置いて走り出す。そんなことを気にしている余裕など今の私にはなかった。


 いいわけがない。いいはずがなかった。このまま放置できるほど私は楽観的ではなかった。


 杞憂ならそれでいい。私の考えすぎなら大いに笑って欲しい。それなら私だってやっちゃったと照れ笑いを浮かべてやる。


 でも、何かが変わって前の時と何かが変わったとしたら? あの死の運命はしつこく、お兄ちゃんを狙っているとしたら?


(でも、一体どこに!?)


 考えろ。考えろ。私にはわかるはずだ。【死に戻り】という稀有な力を手に入れてしまった私だからこそ考えられる可能性。


 そもそも、どうしてあの子たちはこの橋に現れなかった? 時刻が遅かった? いや、水の中から見た光景を覚えているから絶対に間違っていない。なら、他の可能性?


 例えば、あの子供たちが通る道が変わったとか――。


「ッ! 馬車!」


 一つの可能性を導き出した私は進路を変更する。そうだ、前と違うのはアイリが馬車を止めたこと。前の私は馬車を気にするほど余裕がなかった。だから、放置してしまった。


 あの大きな橋は馬車を止めた広場から少しだけ離れており、少し遠回りをしなければ辿り着けない。そう、逆に言えばあの広場に行くために通る橋は他にもあり、一番近い橋はあの広場に近いところにあったはずだ。


 もし、前の前の時に私を轢いたようにあの馬車が誰かを巻き込むほどの大事件になっていた場合、広場に近い橋はどうなる? 事件現場保存のために封鎖されるかもしれない。少なくとも野次馬がたくさんいて子供たちでは上手く通り抜けられないだろう。


 だから、別の橋を渡ろう。せっかく、進路を変えるのなら大きな橋を渡ろう。好奇心旺盛な子供ならそんな考えになってもおかしくない。


 苦しい。元々、そこまで運動は得意ではない私は魔王を倒す旅のおかげで多少マシになったとはいえ、がむしゃらに走っていれば息も切れる。


 でも、立ち止まってはならない。ここで立ち止まって最悪な結果になれば私は絶対に後悔する。だから、血を吐いたことになったとしても足は止めない。それが、私なりの覚悟だ。


「ッ!?」


 広場に近い橋が見えてきた。そして、その橋の上に人が集まっている。誰もが橋の下を覗き込み、騒いでいた。その視線を追えば見覚えのある男の子が橋の僅かな出っ張りに捕まっていた。その出っ張りの位置が下すぎて橋の上からでは大人の手でも届かない。急いで水路の方に回ろうとしている人もいる。


「お兄ちゃん!!」


 橋の上から今にも泣き出しそうな幼い男の子の絶叫が聞こえる。駄目だ、間に合わない。お兄ちゃんの手は今にも離れてしまいそうだ。橋に着いた頃にはあの子は水路に落ちてしまう。あの水路は流れがそこそこ速く子供は絶対に溺れてしまうだろう。


 気づくのがもっと早ければ間に合った。私のせいだ。私が弱いから。何もできない人だから。私が、私が、私が。










 ――なら、諦める?










 心の中の弱い私が語りかけてくる。諦める? 違う、仕方ないことなのだ。私だって精一杯のことをした。助けようと動いた。それでいいじゃないか。全ての人を救えるとは思っていないと言ったのは自分自身。あの子もその一人だっただけ。


「そんなのッ!!」


 確かに私は弱い。情けないほどに力がない。【死に戻り】という不思議な力を手に入れたとしてもどうにもできないことはある。


(だからって、諦める理由にはならないッ!!)


「『脚力強化足に力を』!!」


 全力で魔法を使う。ミリーを助ける時にも使った簡単な強化バフ。こんなしょぼい強化バフをかけたところで私の足では到底、間に合わない。私では手が届かない。あの子を助けられない。










「お願いッ!! アイリ!!」










 だから、頼る。私が愛する勇者に、私が走り出してからずっと信じてついてきてくれていた最愛の人に。


「任せて」


 私の魔法を受け取ったアイリは文字通り、たった一歩、跳躍して一直線に橋へと向かう。だが、彼女が辿り着く前に男の子の手が離れてしまった。アイリは橋を目指したため、すぐに進路を変更できない。


「……」


 その時、チラリとアイリが私の方を見た。何の疑いのない、綺麗な瞳が私を捉えた。どうにかして、と目で訴えかけていた。


「『風魔法かぜよ、ふけ』!」


 彼女の視線を受け、ほぼ反射的に追加で魔法を使う。全力のそよ風。方向は上から下。そんな風をアイリに思い切り叩きつけると彼女の体が僅かに沈んだ。地に足をつけていなかったからできた力業。


 そして、アイリは男の子を抱きかかえた。だが、問題はまだ残っている。勇者であるアイリもさすがに空気を蹴られない。このままでは二人ともまとめて水路に落ちてしまう。


 しかし、彼女は何もしない。男の子を抱え、眼下に迫る水路を――いや、別の何かを待つようにジッと見つめていた。


(私のこと、信じすぎじゃないかな!?)


「『防御魔法まもって』!」


 何もできない私を信頼してくれている幼馴染に目頭が滲む。その想いが私の口を動かす。


 展開した防御魔法はただの板切れ。聖杖がない今、私が使える魔法は高が知れている。それは防御魔法だって同じ。きっと、私が作ったあの板は大人の人が全力で殴れば皹が入るほどの脆いものだ。


「さすが」


 でも、私の板は守るためじゃない。足場だ。アイリたちの真下に作ったそれに彼女はタン、と右足を着地してそのまま跳んだ。その脚力に板は粉々に砕けたが役目はしっかりと果たした。板を踏み台に跳んだアイリは橋の欄干に着地する。


「よ、よかったぁ……」


 お兄ちゃんを弟に渡すアイリを見て私は力が抜け、その場でへたり込む。やっぱり、アイリはすごい。この状況であの子を救ったのだ。私にはできないことをできてしまう。


「お疲れ」


「あ、うん……」


 一体、どれだけそうしていたのだろう。私はアイリに声をかけられてやっと顔を上げた。周囲はすでに暗くなってしまっている。橋の上には誰もいない。


「アイリ、ありがとう。あなたがいなかった助けられなかった」


「ううん、これぐらいどうってことない」


 あまり表情の動かないアイリはそう言って私に手を伸ばす。いつものようにその手を取ろうとしたがその手が遠くにあるように見えて躊躇ってしまった。


「……やっぱり、アイリはすごいね」


「ユーリ?」


「だって、全部助けちゃった。私じゃ絶対にできないことをやっちゃう。ほんとに、すごい……それに比べて私は……」


 結局、私はアイリに助けを求めただけ。自分勝手にアイリを巻き込んだだけ。自分のためにアイリに押し付けただけ。


「確かに私はユーリにできないことができる」


「っ……」


 慰めて欲しかったわけではないのだが、はっきりとそう言われるとなかなか心にくるものがある。一丁前に自尊心のようなものがあったらしい。


 ああ、そっか。私、悔しいのか。自分ではどうすることもできず、アイリに任せてしまったことが許せないのだ。


 覚悟は決めた。でも、その覚悟に見合う力を持っていない。これでは、何にもならない。こんな力を持っていたとしても私では、どうすることも――。


「――でも、ユーリは私にできないことができる」


「……え?」


 私の思考を遮るようにアイリが言葉を紡いだ。抑揚のない声音。何を当たり前のことを、と。ずっと一緒にいた私だからこそ汲み取れた言葉の裏。


「今日だって私だったらただの夢だって思って何もしなかった。でも、ユーリは行動した。だから、酒場の乱闘もすぐに静まったし、馬車が事故を起こさなかった。あの子供たちだってユーリが必死に考えて、走ったから間に合った」


 『それに』とアイリは言いながら私に何かを差し出した。それは何かの破片。多分、私が作った防御魔法のそれだ。


強化バフがなければ間に合わなかった。風がなかったらあの子を掴めなかった。これがなければ二人とも水路に落ちてた。私にはできなかったこと。ユーリしかできなかったこと」


「そ、れは……」


「ユーリ、ありがとう」


「ッッッ!!」


 ああ、駄目。それはずるいよ、アイリ。そんな優しい笑顔でお礼を言われたら私、勘違いしちゃう。役に立てたんだって満足してしまう。


「アイ、リ……」


「ユーリはもっとユーリを認めてあげて。ユーリはいなくちゃならない大切な人だよ」


「う、うううううう……あああああああああああ!!」


 アイリのその言葉で私の中で何かが切れた。【死に戻り】という不思議な力を自覚してからずっと張り詰めていた何かがプツン、と簡単に千切れた。


「アイリ、アイリ!!」


「大丈夫だよ、私はここにいるから」


 すっかり暗くなった王都で私はアイリの胸で思い切り泣いた。本当のことは言えない。もしかしたら明日、また死んでこれもなかったことになるのかもしれない。


「ユーリは頑張ってるよ。大丈夫」


 でも、こればっかりはなかったことにしたくない。この温もりだけは絶対に手放したくない。


 私はアイリのことが好き。大好き。愛してる。


 涙を零す度、その感情が強くなっていく。きっと、もう抑えられない。抑えたくない、私の恋心。


 ねぇ、アイリ? あなたは私のことを必要だって言ってくれるけど――この気持ちは本当に伝えてもいいの?






 そんな心の中で問いかけた疑問に答えられる人は誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る