26

 その日は一日、なんとなくざわざわしていた。みんなはーこの様子がおかしいことに気づいていたのだ。とはいっても、不思議という感じではなくて、

「先輩が自分の部屋で自殺したら、そりゃショックだよね……」

 と、気を遣われているという感じだった。クミさんがはーこの部屋で首を吊ったという事件は、もう大抵学校中に広まっていたのだ。はーこの近所に住んでる子とか、別の学年にいるクミさんの親戚とか、色んなところから話が広がってしまって、先生たちが慌てて敷いた緘口令は間に合わなかった。

 在校生の中ではたぶん、木田ちゃんとわたしだけだ。はーこの様子がおかしいことに、本当に気づいているのは。


 一限が終わると、木田ちゃんがわたしの席までやってきた。

「ちょっといい? 外で」

 わたしも彼女と話したかった。ちらりとはーこの方を見ると、彼女の様子が気になっていたらしいクラスメイトたちに囲まれている。それに安心して、わたしは木田ちゃんと教室の外に出た。

「十分しかないけど、部室に行こう。鍵がかけられるから」

 そう言った木田ちゃんの声が、すごく思いつめたものに聞こえた。

 わたしたちは大急ぎで職員室に行って鍵を借り、合唱部の部室に向かった。木田ちゃんが部屋の中から鍵をかけ、わたしはほっと胸をなでおろした。

「ねぇ、はーこ、おかしいよね」

 木田ちゃんの言葉に、わたしもうなずいた。

「あれ、絶対自殺のショックなんかじゃないよね? こないだなっちゃんとはーこに会いに行ったとき、あんな感じじゃ全然なかったもんね」

「うん……あれってたぶん、あさみさんのことが関係してると思う」

「だよね? あれ、はーこに何かが憑いてるってことだよね。それが本当にあさみさんかどうかは私、よくわかんないけど……」

 木田ちゃんが遠慮がちに言った。「だってあれ、あさみさんと全然違うもんね? ほんとに同じかわかんないよね」

「そうだけど……違ったらじゃあ、何なの?」

「わからないけど……待って」

 木田ちゃんがそう言って、廊下の方を振り返った。その途端、喉の奥から「ぎゅっ」というような、押しつぶされた悲鳴が飛び出した。

 部室の引き戸にはまっているすりガラスの窓が、すぐ目に入った。

 すりガラスの向こうに、ぼんやりと黒いものがあった。

 誰かが立っているのだ。そう気づいたとき、引き戸の向こうの影から声がした。

「なっちゃぁーん」

 はーこの声だった。でも違う。こんな間延びした、からかうような厭な呼び方をする子じゃなかった。

「木ぃー田ちゃあーん」

 木田ちゃんが、黙ったままぎゅっと唇をかみしめた。

 部室の引き戸がガタガタと鳴った。外から誰かが動かしているのだ。わたしは悲鳴をあげないように口を押えた。

「ねぇー、木田ちゃあん。なっちゃあん。いるんだよねぇー?」

 声はそう続けた。「いるよねぇー。だってぇ、声が聞こえてたもんねぇー」

 ごまかしても遅いと知っても、まだわたしと木田ちゃんは黙っていた。はーこに返事をしたり、自分たちがここにいると認めたりしてしまうことが、妙に怖ろしく感じられた。

「入れてよぉ」

 はーこの声、でもはーこじゃないみたいな声は、そう続けた。

「ねーっ、ハブらないでよぉ〜。仲良くしよぉー?」

 わたしたちはまだ黙っていた。そのときドアの向こうから、きゃははは! と高い笑い声がした。

 すりガラスの向こうの人影が、笑い声を上げながらゆらゆらと動いていた。

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