20
シロさんが、閉じた口の下で歯を食いしばったのがわかった。
「シロさん……?」
ハラハラしながら見守るしかない自分が腹立たしい。シロさんは私の呼びかけに応えず、そのまま数秒間じっとしていたけれど、やがてふーっと長い息を吐いた。
「大丈夫です。心の準備しとったけぇ」
普段と変わらない声で、シロさんが言った。
爪が剥がれた指先に、みるみるうちに血が盛り上がってきた。シロさんはさっきみたいに爪を元通りにかぶせ、ボディバッグからガーゼとサージカルテープを取り出す。
「うわっ、すごい血出てきた! 巻きましょうか!?」
「いや、もし神谷さんの手に傷があるとまずいですから」
そう言われて、私も左手に軽いけがを負っていることを思い出した。ちょっと引っ搔いただけの傷に行動が制限されたことが悔しい。
「じゃ、ほかに何か手伝うことがあったら言ってください」
そう言うと、シロさんはニッと笑って「了解です」と応えてくれた。
私がじりじりしながら待っている間に、シロさんはさっきみたいにさっさと手当を済ませた。途中でさっきの店主が青い顔をしてやってきたが、「いやぁよくあるので~」などと言いながら体よく追い返してしまう。
「はい、終わり。芸がないなぁ。名前間違えたときとネタがかぶっとるがな」
などと、シロさんは飄々と言う。やっぱりさっきと同じように「お前の攻撃なんかそんなに効いてないし?」という態度を貫こうとしているのだろう。痛くないわけがないのに。
「神谷さん、アルコールティッシュあるので、これでテーブル拭いてもらえません? 血がついてたら、見た目怖いじゃないですか」
なんて、テーブルの見た目の心配なんかしている場合じゃないはずなのに。
私は言われた通りにテーブルを拭き、「これからどうしましょう?」とシロさんに尋ねた。シロさんはそうじゃなぁ、と少し首を傾げ、
「あ、ご飯食べていきます?」
と言った。
「はい?」
「ていうか食べていきましょうよ。昼時だし、腹が減っとったら負けますもん。せっかくだから一番高いやつ注文して、経費増やしてやりましょうよ」
「いいんですか? あと一番高いの、たぶんジャンボバケツパフェ四千四百円です」
「あー、それはちょっと今のテンションじゃないなぁ……ていうかボク、今片手で食べられるものしか注文できん――そうだ神谷さん」
「なんでしょう?」
「さっきボクがやったのは対症療法ですからね。元凶はまだ全然そのままですから、たぶんほっとくとまたさっきみたいな感じになりますよ」
さらっと怖いことを言ってくれる。でも、シロさんはあくまでニコニコしていた。早くも新しいガーゼに血が滲んでいるし、やせ我慢だろうけど、ありがたい。
「わ、わかりました」
「うん。だから頃合いを見てまた同じことをしなきゃならなくなると思うんですが、たぶんそいつは今回みたいにペナルティをくれるでしょうね。あんまり爪を剥がされ続けると『よむ』のに支障が出ます。だから……どうしたもんかなぁ。悩むのは後にして、とりあえず何か食べましょう。無理にでも食べた方がいいですよ」
「そうですね……」
言われてみれば、今朝からろくに食べていなかった。そのことを思い出した途端、私のお腹がぎゅうっと恥ずかしいくらい大きな音を立てて鳴った。
こんな時に限らず、お腹が空いているときは何をしても上手くいかないものだ。心配事が多くて食事のことなんか考えられなかったけれど、ここはシロさんの言う通り、何か食べるべきだと思った。
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