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 この場で電話に出るのはよくない。

 黒木はとっさにそう思った。さっき幸二に乗っかっている女が「かみやせんぱい」と言った、それがまったく意味のない偶然だとは思いにくかった。

 神谷実咲がこの事務所を訪れたちょうどその日に、ここの最寄り駅近くで亡くなった女性がいた。その女性には「かみやせんぱい」と呼ぶべき知人がいるらしい。そのうえ志朗は神谷に、駅に行かないよう忠告していた――やっぱりこの女が神谷と無関係とは、とても思えない。

 そもそも今回、神谷は「前の職場の人に頼まれて来た」と言っていた。しかし彼女自身案件の詳細を聞かされておらず、彼女伝いに読む方法も上手く行かなかった。そもそもわざわざ神谷に頼み事をしておきながら、肝心の案件についてはロクに説明せず、手がかりになるようなものも寄こさなかったというのが、おかしな話ではないか。そういう奇妙なことをやってきた謎の人物こそが――もしかすると、今まさに幸二に乗っかっている女なのではないだろうか? さすがに根拠が乏しすぎる? とにかく、神谷と何らかの繋がりを持っている可能性はかなり高い。

 ……などと考えているうちに、無駄に時間が経ってしまった。まりあがこちらに顔を向け、「もしかしてお師匠さんですか?」と不安げな顔で尋ねる。

 とにかく、早く電話に出なければ。

「いや、違う人……ちょ、ちょっとすみません」

 黒木はスマホの画面を手で隠しつつ、小走りに廊下に出た。今、幸二の目の前で神谷からの電話に出るのはまずい気がする。徒に刺激するとよくないのではないか――廊下では防音が不十分だと判断して、黒木は更に応接室に入り、ドアを閉めた。

「――もしもし、お待たせしました」

『あっ、黒木さんですか? 急にすみません、神谷です』

 電話の向こうから聞こえてくるのは、確かに神谷実咲の声らしい。彼女がひとまず無事らしいことに、黒木は一旦安堵した。

『実は、シロさんから頼まれて電話してるんですけど』

「志朗さんに?」

 思わず聞き返すと、神谷は『はい、今ちょっと大変で』と言う。

『正直私にもどういう状況かよくわかんないんですけど、えっと、そちらにカガミコウジさんって方、おられます?』

「いますが、どうかされましたか?」

『あの、なるべく早く来てほしいそうです。ですよね? シロさん。カガミコウジさんで合ってます?』

「志朗さん、今一緒にいるんですか?」

 二日分のリスケをしてまで外出したのは、神谷のためだったのか。

 黒木は首を捻った。よくわからないままに終わった神谷の案件は、一体今どういうことになっているのだろう? なぜ加賀美幸二を呼ぼうとしているのか? 志朗はなぜ自分で連絡してこない?

「とにかく神谷さん、今どこですか?」

『今――』

 そのとき、タイミングを狙いすましたかのように、神谷の声にノイズが乗った。どこに行けばいいのかよくわからない。聞き返そうとした黒木の耳に、悲鳴のような甲高い声が届いた。

 幸二に乗っかっている女ではない、と思った。今のはまりあの声だ。

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