09

 黒木はとっさに口を閉じた。冷たいものを喉に押し込まれたような心地がした。

「黒木さん?」

 固まっていると、まりあが声をかけてきた。「どうかしました?」

 こちらから何か言ったわけでもないのに、心配そうな声音だ。目が見えない彼女は黒木の表情を伺うことができないはずなのに、志朗の弟子だけあって時々妙に鋭い。とはいえ、

「いやほんと、黒木さん大丈夫ですか? 今サッて感じで表情が変わりましたけど……」

 ほぼ初対面の幸二ですらこの様子なので、相当わかりやすかったらしい。

 まずい。何もないふりをしなければならない。さっきの首のない女のしぐさが、黒木の頭の中に浮かび上がっていた。

「……いえ、なんでもないです」

 我ながらなんと嘘が下手なことか、とがっかりする。とにかく、二人には話せない。あの女が何者なのか、その指示に逆らってしまったらどうなるのか、黒木にはまるで見当がつかなかった。自分だけではなく、まりあや幸二にまで何らかの危険が及ぶ可能性を考えると、下手に動くことはできない。

「……ふんふん」

 まりあが小さく何度もうなずき、「なんでもないならオッケーです」と言ってにっこり笑った。幸二は驚いたように彼女を見たが、少し間を置いて「……まぁ、まりあさんがそう言うなら」とこれも流してくれるらしい。まりあが何かを察し、幸二も空気を読んでそれに従った、という感じだ。黒木は内心で二人に感謝した。

 さっきの会話が、蹲っていた幸二に聞こえていたかはわからないが、少なくともまりあには「首のない女が幸二の後ろにいる」という情報は伝わっている。それが功を奏することに期待したい。

「えーと、明日の午後まで帰ってくるな、御守りも持つな。だったっけ」

 幸二がまりあに、母親からの伝言について確認している。「せっかく色々伝えてくれたのに申し訳ない。さっきまで重めに乗られてたから、ところどころ記憶に自信がなくって」

「大丈夫です、それで合ってますよ」

「合ってたかぁ……ありがとう……」

 と言いつつ、あまり大丈夫そうな顔ではない。「とにかく宿をとらなきゃ」などと言いつつ、こめかみを揉んでいる。

 まりあはいつの間にか自分のスマートフォンを取り出し、ワイヤレスイヤホンをつけて何やら熱心に指を動かしている。もしかしたら、志朗からまた連絡がきたのだろうか? 後で確認させてもらおう。

 黒木は自分のスマートフォンを取り出す。相変わらず志朗からの通知はない。


 その後、まりあは「頭がつかれました」と言ってしきりにあくびをし、応接室の二人掛けのソファの上で横になるが早いか寝息をたて始めた。さすがに寝具の場所までは知らず、黒木は大判のバスタオルを持ってきて、まりあの上にかけてやった。

 さて、あとは志朗に言われたとおり、幸二を見張っていなければならない。

「幸二さん、その後体調とかどうですか?」

「ありがとうございます。万全じゃないんですが、かなりよくなりました。色々ご迷惑をおかけしてすみません。また乗っかってる女性が出てくるかもしれないですけど……」

 そう言うが早いか、幸二の顔からさっと照れ笑いのような表情が消えた。口だけが無機質に動いた。

「かみやせんぱいは?」

 女の声だった。

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