08

「あー……彼女、黒木さんのことが怖いそうです」

 しばらくして脱衣所から出てきた幸二は、少し気の毒そうな顔をしてそう言った。何度か塩水でうがいしていたらずいぶん楽になったそうで(半分くらい飲んでいそうで黒木は不安になったが)、黒木は彼に「また同じ状態になったら、遠慮なく塩かけてください!」と真剣に頼まれてしまった。

「な、何かしましたかね……」

「いや、見た目が怖いらしくて……」

「見た目だけですか!?」

「まぁ僕も全部話聞けるわけじゃないんでアレですが、たぶん……ていうか黒木さん、なんでそんないかつい格好してるんですか?」

「これしかなかったんですよ!」

 服のデザインはともかく、幸二いわく、彼に憑いている「投身自殺した二十代女性」は、黒木の見た目を怖がっているらしい。

 黒木は「怖い」と言われるのは慣れている。そもそもこの事務所に雇われた経緯からして、彼の強面を買われた部分が少なくない。それでも黒木としてはあまりいい気分ではない。褒められているとかけなされているとか以前に、自分の内面からあまりにかけ離れた評価で居心地が悪い。

「黒木さん、全然こわくないのに」

 まりあがフォローしてくれるのがありがたい。もっとも彼女は視力を失ってから黒木に出会ったので、「金剛力士像」とか「その筋の人」などと評される彼の顔を見たことは一度もない。

「あっでも、幽霊に好かれてもいいことないですもんね。今のまま誤解されてた方がいいですよね。黒木さん、こわい人ですよ。絶対近寄らないほうがいいと思います」

「ありがとう、まりちゃん……」

 善意なのはわかるが、少々複雑な気分になる。

「僕は黒木さんが羨ましいです……」

 思いがけず真剣な面持ちで幸二が言った。「地味な顔すぎてナメられるし、『売れないお笑いコンビの印象に残らない方』とか言われたことあるし……」

 自分と幸二と、足して二で割ったらちょうどいいのかもしれないなどと考えつつ、黒木は先程よりはいくらか安堵していた。幸二が普通に行動できるようになって本当によかった。ずっとあのままだったらどうなっていたことか――

「なんでわたし」

 幸二の口からぽろりと女の声が漏れた。黒木は驚いて声をあげそうになるのを懸命に堪えた。まりあの言う通り、どうせなら怖がられていた方がいい。

「――すいません! まだ完全にとれてないもんで、たまにぽろっと出ちゃうんですよ」

 幸二がなぜか照れくさそうに言った。「意味深なこと言うかもしれないけど、基本無視で行こうと思います」

「はぁ……早く何とかなるといいですね」

「ですねぇ〜、ははは」

「でもおかしなもんですね、人の顔が怖いって……」

 黒木はそこで、はたと黙った。首がないんだから黒木の顔なんか見えないだろうに――と思った瞬間、幸二の背後に首のない女の姿が見えたのだ。

 女は失われていなければ顔があるだろう位置に、立てた人差し指を持っていく。それが「黙っていろ」という意味のハンドサインだろうと、黒木には見当がついた。

 はっと気づくと、もう女の姿はなかった。

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