13

 なかなかがんばった――後々になって黒木はそう思った。


 志朗の事務所があるサンパルト境町までは徒歩で約六分、黒木はとりあえず青白い顔で汗を流しているまりあを抱き上げ、幸二はどうしようかと思ったがさすがに二人は運べない。

「あのー、あ、あとで来ます!」

 と言い置いて、小走りでサンパルト境町を目指した。

 あの場所が悪かったのかと思いきや、離れてもまりあはまだぐったりしている。黒木はだんだん不安になってきた。これ以上体調が悪化するようだったら、病院に連れて行った方がいいだろうか。いやしかし、医師がどうにかできるようなものだろうか……答えが出ないままにマンションに駆け込み、預かっていたカードキーで中に入った。

 ちょうどエントランスで、マンションの管理人である二階堂と鉢合わせた。「うおっ、まりちゃんどうしたんすか!?」と声をあげた二階堂は、見た目はチャラ男だが性格は真面目かつ細やかで、住人ではないが出入りの多いまりあのこともちゃんと覚えている。

「ちょっとすみません、置かせてください!」

 そう言ってまりあをエントランスのベンチに残し、黒木は元いた場所に戻った。道中スマートフォンを確認したが、志朗からの連絡はない。速足で歩きながら電話をかけてみたが応答はなく、そうこうしているうちに元の場所に到着してしまった。

 幸二は自ら道の端っこに退避したらしいが、そこで力尽きたらしく、体育座りの姿勢でじっとしていた。さっき三人がいた店から出てきてくれたらしい、喫茶店のエプロンを着けた男性が、幸二に水の入った紙コップを手渡している。

 喫茶店のマスターは、先ほど出て行ったばかりのよくわからない三人組のことを覚えていた。

「ここはおっちゃんが掃除しといてあげるから、その人どこかに運んだほうがいいよ」

 と申し出てくれたので、黒木は何度も頭を下げ、幸二を背負ってふたたびサンパルト境町へと向かった。途中で(そもそもこの人のことを助けていいのか?)と疑問に思ったものの、志朗とはコンタクトがとれない。が、幸二が危険人物だというならさすがに教えてくれるだろうし、いくらなんでも道端に放っておくのはいかがなものか。そう思って、とにかくマンションへと急いだ。

「ヴァッ!」

 幸二を一目見た瞬間、二階堂が奇声をあげた。「なんかやばくないすか!?」

「やばいんですが、とにかく、その」

 などとぶつぶつ言いながら、黒木は何をすべきか考える。自分よりずっと軽いとはいえ人間を二人も運ぶと、さすがに汗が滝のように流れ、息が切れる。

「そうだ、二階堂さん、し、志朗さん、見てませんか?」

「シロさん? なんか出かけてったんすけど……」

 二階堂が浮かない顔で、エントランスの自動ドアを指さした。「オレにあれこれ頼むとか言ってですね……あれ仕事の外出ですよね? まさか女がらみじゃないっすよね、マジで」

「ははは……」

 力なく返すも、志朗の思惑がわからない以上、自信はあまりない。

 そこに、まりあがよたよたと近づいてきた。まだ具合は悪そうだが、休んだためか多少はマシになったようだ。

「とりあえず、黒木さん、事務所に、移動、しましょう。ふーっ」

「だ、大丈夫? ほんと……」

「大丈夫です。だいじょぶ。できます」

 まりあはそう答えて、目に浮かんだ涙を手の甲でぬぐった。

 そういうわけで黒木は幸二を担ぎ、まりあを支えながら、なんとか事務所に戻った。だが、カードキーで開けたドアの先に、やはり志朗の姿はなかった。

「黒木さん、えーと、なんか箱とか……あっ、紙コップとか、なかったですか? あとあの、お師匠さんが時々作るやつ。テープの」

「ああ、あの、御札というか」

 黒木は廊下に幸二を降ろし、まりあに頼まれたものを探そうと居室に向かった。が、異様な音を耳にして、思わず動きを止めた。

 人の声に聞こえた。だが、まりあの声ではない。そしてもちろん、幸二でもない。

 室内のどこかから、女の啜り泣く声がする。

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