14
黒木はとっさに周囲を見渡した。気のせいではなく、確かに女の声がする。それもかなり近くから聞こえると思った。
焦っているせいか、声の発生源がどこなのかがわからない。志朗ならこんなとき、どこから泣き声がするのかぴたりと当てるだろうに――などと思ったが、いないものは仕方がない。
「黒木さん、こ、幸二さん!」
まりあが声をあげた。「声! 幸二さんから!」
黒木は玄関の方を向いた。それでようやくわかった。上がり框にへたりこんで四つん這いになり、こちらに頭頂部を向けている幸二から、女の啜り泣く声が聞こえている。
「か、紙コップと、テープ」
まりあが息を切らしながら言った。「お願いします。紙コップはふたつ」
黒木は一瞬迷ったが、彼女の指示に従った。あれはよみごの領分の出来事だ。なら、今はまりあの言うことを聞くしかない。
廊下との境目のドアは開けたまま、黒木はリビングダイニングに飛び込んだ。志朗はものの置き場所をきっちり決めている。シンク上の収納から紙コップを取り出した黒木は、続いてテーブルの横にあるキャビネットを開け、そこから養生テープをひと巻き取り出した。ごく普通の緑色のテープだが、側面が黒く塗り潰されている。
そうは見えないが、これはよみごが作る御札のようなものだと黒木は聞いている。よみごの御札に文字は書かれない。ただ一部、もしくは全体が黒く塗られている。御札らしく和紙と墨を使うよみごもいるが、志朗は手間を嫌って、市販の養生テープと油性ペンで作ってしまう。これならば貼りやすいし剥がしやすい、というのが彼の言い分である。
よみごの御札はマーキングのようなものらしい。痕跡を残しておくだけでも、厭がる存在はいるという。
「まりちゃん、これ!?」
黒木は紙コップと養生テープを持って廊下に戻った。廊下にしゃがんでいたまりあがこちらに顔を向ける。紙コップとテープを手に取ると「これ!」と叫び、さっきの黒髪をポケットからずるずると引き出したので、黒木は思わずぎょっとした。
近くで見ても長い髪の毛の束にしか見えないそれを、まりあは手探りで紙コップの中に入れ、もう一つの紙コップで蓋をする。黒木に手伝わせながら養生テープでぐるぐる巻きにして、髪の毛の束を紙コップふたつの中に封印してしまった。
「ふわーっ、できた……ふーっ」
まりあが大きなため息をつく。額に汗がにじんでいるが、さっきよりも顔色はいい。
「まりちゃん、これ何?」
黒木は紙コップと養生テープの塊を指差す。まりあは首を傾げながら、
「幸二さんちの神社のものらしいです」
と言う。
「そうなの?」
「お師匠さんが言ってた……でもすごい禍々しいですよね? 持ってるだけで具合悪くなっちゃった。今閉じ込めちゃったから、そうでもないけど」
そのとき、断続的に続いていた啜り泣きがぴたりと止んだ。そういえばこっちもなんとかしなければ――幸二の方を見ると、四つん這いの姿勢のまま、「うーーーっ」と唸っている。それがどうやら幸二自身の声らしく、黒木は思わずほっとしてしまった。
「すいません……うちの神社、そもそも禍々しいんです……」
絞り出すように幸二が話しだした。「それは御神体から取ってきたやつで、御守ですね……」
「加賀美さんとこ、何祀ってるんですか!?」
「なんでこんなの持ってたんですか?」
黒木とまりあの声が重なった。幸二はまた大きなため息をついてから、
「僕すごい『乗られる』体質なんで……乗られると面倒なんでお化け避けですね……母はそれじゃ慣れないから止めろって言うんですが、楽で」
「でもわたしがこのお守り取っちゃったから、幸二さん、事件現場にいた幽霊に乗られちゃったんですね?」
まりあがそう言うと、幸二はうなずいた。それから「ええーーーん」と、ふたたび高い女の声で泣き始めた。
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