11

 この日はたまたま予定がなく、だからこそ始末が悪かった。転職サイトを眺めていても、いつのまにか昨夜の夢のことを考えてイヤな気分になる。一方でやるべきことはまるで進まない。

 とはいえコウメの世話だけはやった。夕方、二度目の散歩に出て外の空気を吸い込むと、もやもやしたものでいっぱいになっていた体内の空気が入れ替わって、生き返ったような心地がした。

「やっぱ外に出なきゃ駄目だね、コウメ」

 コウメは嬉しそうにチャカチャカと歩く。

 空はまだ明るいが、太陽はもう傾いている。ふたたび夜がやってくる。

 ふいに背中がひやりとした。日が高いうちは感じなかった恐怖が、ふたたび背後に忍びよってきている――そんな気がして、寒くもないのに身震いをしてしまう。

 両親はまだ帰ってこない。ずいぶんお世話になった親戚が入院したとかで、お見舞いに行ったり、その人の自宅で家事を片付けたりしているらしい。つまり、今夜も家に一人だ。一人というか、コウメと一緒だが。

「やだなー。また怖い夢見ちゃったら」

 コウメに話しかけてみても、罪のない顔でこちらを見上げるだけだ。心の支えにはなるけれど、言葉による返事はもらえない。

「まぁいっか、夢はただの夢か。それよりも晩ごはんのこととか考えなきゃ……」

「じゃあ、そこのスーパーでコロッケでも買ってく?」

 突然はっきりした答えが戻ってきたので、びっくりして飛び上がりそうになった。声がした方を振り向くと、懐かしい顔がこちらに手を振っている。

「実咲、ひさしぶり! 元気?」

 彼女の顔を見て、ほっと気持ちがほどけた。宇佐見うさみえりか。小・中学校時代の同級生だ。えりかは就職して以降実家を出ているけれど、連休には帰省していることが多い。今は連休中じゃないけど――

「会社で色々あってゴールデンウィークが丸々つぶれてさぁ、先週くらいから代わりばんこに休みとってるんだ。どう? 最近」

 ということらしく、いかにも元気そうに話しかけてくる。彼女がマメに帰省するのは、母親が病気で長いこと療養しているからだというが、そういう影を見せない子だ。

「最近はねぇ……あんまりよくないかな」

「そうなの? なんか、彼氏と別れたあたりまでは聞いたけど」

 おっしゃるとおり二回転職し、彼氏とは別れ、今は無職――などと話すと、「それは確かによくないね」と笑われた。もっとも、笑ってくれた方がこちらも気が楽だ。

「実咲にとっては激動の二年間だったわけだ」

「それですな」

「ほんと大変だったね。晴香先輩のこともあったし……」

 そういえば、姉とえりかは先輩後輩の仲だった。実家同士が近いこともあって、姉と甥が亡くなったことは彼女も知っている。

 そうこうしているうちに、私の家の前まで戻ってきてしまった。話が弾んでいたこともあって、なんとなく別れがたい。それに寂しい。ぐずぐずしている私を気遣ってくれたのか、

「よかったら、お仏壇にお線香あげさせてくれない?」

 と、えりかが申し出てくれた。私は二つ返事でオッケーしてしまう。

「もちろんいいよ! あっ、ついでにうちで晩ごはんとか食べてかない? うち今親がいないし、私無職ですっごく暇だから、なんなら泊まってくれてもいいし」

 誘ってしまってから迷惑だったかな、と心配したけど、えりかはニッと笑って「じゃあ、スーパーでコロッケたくさん買ってくる!」と答えた。

「いや、そんなたくさんじゃなくていいよ」

「あはは。じゃあほどほどに買ってくる。後でね!」

 手を振って遠ざかっていくえりかの姿を眺めながら、とりあえずこの夜を一人で過ごさなくてもよくなったことを、私は神様に感謝していた。このときは。

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