07
気がつくと、私は電車に揺られていた。
「ひぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげた私の方を、周囲にいた何人かが振り返った。
地下鉄ではない。私の家の最寄り駅に向かう、三両編成の電車だ。見慣れたシートの色に、安心と戸惑いを同時に覚えた。
私は今日、県境をふたつ越えてシロさんの事務所を訪れた。それは確かだ。頼まれていた件についてはよくわからず、そのうえ不吉な予言を得て事務所を出た。それから予言を無視して駅に向かい――そこで何かが起こった気がする。
それから記憶が飛んでいる。
今いる場所からしておそらく三時間以上、私は無意識のうちに移動していたということになる――ここでようやくスマートフォンを取り出し、日付と時刻を確認した。やっぱり、それくらいの時間が飛んでいる……そういうことで間違いないようだ。
頭をひねって思い出そうとしたけれど、真っ白な紙の上に文字を見出そうとしているような気分だった。何も思い出せない。とりあえず誰かに会った記憶はあるのだ。それが誰だったのかがわからない。思い出せれば何かが進む気がするのに……。
うなっている間に電車が最寄り駅に着いた。たまたま来たバスに飛び乗り、ようやく帰宅する。予定よりも遅れたので、コウメはお腹を空かせていた。
「ごめんごめん」
話しかけながら食事の用意をする。出かける前に多めに置いておくことも考えたけれど、コウメは出ているだけ全部食べてしまうのだ。それでお腹を壊したこともある。自動給餌機は音が恐いらしく、これもダメだ。ご飯を食べているコウメの近くで冷凍のパスタとインスタントのコーンスープで夕食を済ませながら、私はまだ失った記憶のことを考えていた。
「コウメ~、今日変なんだよ~。途中よく覚えてないんだよ~」
食事を終えたコウメをなでながら話しかける。当然、コウメが返事をするわけもない。
予定通り両親は外泊だ。もちろん、それを寂しがるような年頃ではまったくない。それでも今日は、誰かが同じ屋根の下にいたらいいのに、と思った。「記憶がなくなった」ということ自体怖いし、不安になる。怪異でも厭だけど、これが脳の病気だったりしたら……と考えると、さらに不安が押し寄せてきてしまう。
「まぁしょうがないか……」
なにしろ疲れた。
リビングのラグの上に直接転がって天井を眺めた。そういえば、何かやらなければならないことがあったような気がする。気がするけれど、どうしても思い出せない。
(ほんとに疲れてるな……)
今日はもう寝ようとベッドに入ったところで、カツカツと足音をたててコウメがやってきた。どうせ来るだろうと思ったから、部屋のドアは開け放ってある。
「おやすみ、コウメ」
声をかけると、フゥンという声が返ってきた。
真夜中にふと、目が覚めた。
オレンジ色の常夜灯を眺めながら、少しの間ぼんやりしていた。もう日付はとっくに変わっているはずだけど、窓の外はまだ暗い。
午前三時とか、その辺かな……時計を見ればいいのだが、この時はどうにも億劫だった。もう一度眠ろうと目を閉じた。
そのとき部屋の外から、みしっという足音がした。重みのある、人間の足音だ。
そのとたん、冷水を浴びせられたような心地がした。
この家には今、私とコウメ以外、誰もいないはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます