第0018話
「この世界の月って大きいですね。おれたちの世界の月より二回りくらい大きいし、横にもう1個小さい月まであります。おれたちの世界にはそんなのありませんよ」
「そうなんですか」
「はい。この世界には魔法もあるし……ところで、令狐さん、今も魔法が使えますか? 今朝見せてくれたあの魔法をもう一度見てみたいです」
「分かりました」
少女は一切ためらうことなく、テーブルの上にあるガラスのコップを取って、今朝のあの魔法を、『水生成』を再び使った。
少女の指先の前に小さく青く光る魔法陣が現れ、魔法陣の中心から水の柱が出てガラスのコップを満たし、最後に魔法陣が消える。今朝の時と全く同じだった。
彼女はなにも隠さず、遮ることもなくそれをやって見せた。悠樹はどう見てもそのトリックを見抜くことができなかった。これがマジックだったら、この少女は自分の世界でもトップクラスのマジシャンだろうと、彼は思う。
「もう一度見てもやっぱりすごいね」
「そんなことはありませんよ。これは初級の魔法で、水の回路を持っている人なら基本的に誰でも使えます」
「この魔法がこんなに便利なら、いつでもどこでも水が飲めるんじゃないですか?」
「あ、いえ、それは出来ません。魔法で生成した水はすぐに消散する上に、中には魔素や不純物が多く含まれているので、直接飲むのは体に害を及ぼします」
「おー、なるほど、そうなんですね。えっと、令狐さんは他の魔法は使えますか?」
「『ヒール』や『水放射』などの汎用魔法なら使えます」
「『ヒール』は傷を治す魔法ですか?」
「はい、そうです」
「なるほど」
悠樹はすこし考えると、右手の人差し指の指頭を口に入れ、犬歯で強く噛んで傷をつけた。
彼は一瞬痛そうな顔をしたが、すぐに平静を取り戻した。彼の舌は鉄のような味を感じ、傷口から血がゆっくりと流れ出し、オレンジ色の蝋燭の光の中で赤黒く見えた。
「なっ…なにをしているんですか!」
「治される感覚を体験したいなって思いまして、ハハは。『ヒール』してもらえますか?」
そう言って、悠樹は右手を差し出した。
「…………分かりました」
彼の行動に、少女は返答に窮しながらも、拒むことなく彼の傷ついた指に右手を伸ばし、呪文を唱え始めた。
いと慈悲深き水の女神アクア様 どうか此の者に癒しの息吹を ——『ヒール』
少女の手のひらの前に、青く光るりんごほどの大きさの魔法陣が現れた。すると悠樹の傷ついた指には、なんとも言えない不思議な感覚が広がる。すこし暖かくて、すこし痒いような感じ。数秒後、魔法陣が消えた。
「傷は治ったはずです、猫森さん」
悠樹はその指をじっくりと見た。出血は止まり、傷口も見えなくなっている。左手で指先採血の時のようにその指を押しても血は出ず、完全に治っていた。
指先は人体の再生速度が早く、傷跡が残りにくい部分で、悠樹もそれを考慮してこの即興の行動をとった。
だが少女は彼に触れることすらなく、わずか数秒で傷口を完全に治し、しかも傷跡も残らない。自分の体にトリックを仕込められるわけもなく、この事実を説明できるのは魔法以外にはなかったと、悠樹はそう考えた。
彼は先ほどのコップに目を向けると、水位が先ほどよりすこしだけ下がっているのを見た。
すべて本物だった。
「ありがとうございます、令狐さん。さすが異世界、魔法って本当にすごいですね」
「はい。魔法は私たちに多くの利便性をもたらしています」
「まるでおれたちの世界の科学みたいです。ただ、おれたちの世界には『猛獣』がいません。そういえば、『猛獣』を実際に見てみたいですね」
「えっと……都市内の猛獣はスカーベンジャーギルドだけが保有していて、私は猛獣使いを知りませんので、この時間ではお力になれず、すみません……」
「あっ、ただの感想だから、気にしないでください。ところで、この世界の人々は『猛獣』の研究をしてますか?」
「はい。猛獣研究者の方たちは猛獣の生態や習性を研究して、その結果は人々に多くの助けを提供しています。例えばスカーベンジャーの仕事や魔法薬の製造などです」
「なるほど。魔法の研究もありますか」
「はい、魔法教会は毎日魔法の研究を行っていて、時には新しい魔法を発表して魔法使いが学べるようにしていますよ」
「この世界も研究することがたくさんあるんですね。令狐さんはなにか研究してませんか?」
「いえ、私は普通の下級の魔法使いですから」
「そうですか。じゃあ、研究機関に珍しい『猛獣』や魔法を提供すれば、報酬がもらえたりしますか?」
「はい。珍しさによって報酬も異なります」
「その点ではおれたちの世界と似てますね、ふふ。あ、もう時間です」
悠樹はスマホを取り出して弄りながらそう言って立ち上がり、立ち去るフリをした。
「魔法陣の起動がそろそろ完了する頃だと思うので、もう行きますね。令狐さんの家の物を勝手に使っちゃってすみませんでした。萌花を転送させた時は急いでたので、断る時間がなくて」
「いいえ、気にしないでください!」
「それと、遅くまで付き合ってくれてありがとうございます。それじゃあこれで」
そう言って、悠樹は地下室の入り口へ向かった。
すると少女が立ち上がり「お送りしましょうか!」と言った。
「………………」
彼女は魔法の杖を手に取り、テーブルの向こう側から回って悠樹に近づく。
「令狐さん」
悠樹は振り返らず、声量を上げて少女を止めた。
「……! は…はい!」
「研究機関に珍しい『猛獣』を提供すれば、報酬が得られるんですよね」
「は…はい、そうです」
「じゃあ……」
悠樹はゆっくりと向きを変え、令狐詩織の目をまっすぐ見つめた。
「<他の世界から来た人類>は?」
「……っ!! そ…それはっ……!」
「……どうやらなにも知らないわけじゃないんだね?」
「その……」
「ねえ、令狐さん。初めて会った、素性の知れない、理解不能な道具を持った二人を、普通自分だけが住んでいる自分の家に泊めます? おれだったら絶対にしない。おれはその人たちを助けられるところに、例えばこの世界の魔法教会やスカーベンジャーギルドに連れて行く。それが相手にとっても自分にとっても一番いいから……です」
「あ…あの……!」
少女が弁解しようとする様子を見せたが、悠樹はそれを無視した。
「なぜ公的機関の助けを求めるように提案せず、おれたちをあなたの家に留め置くんですか?」
「そ…それは……ち…違います! ……その……う……それは……ね…猫森さんが考えているようなことでは……」
少女は杖をギュッと握りしめ、眉を八の字にして焦った様子で、すこし視線を逸らしている。
「じゃあ、どういうことか、教えてくれます? 実は帰るまでまだちょっと時間があるんです。ゆっくり話していいですよ」
悠樹の次の行動は、すべて少女のこの質問に対する答えに決められる。
彼は集中力を高め、鋭い目つきで目の前の少女の一挙一動を細かく観察し、どんな些細な点も見逃さんとする。
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