第0019話


 「……っ! は…はいっ……!」


 少女はすこし呼吸を整えた。怯えた様子ではあるが、悠樹に正面から向き合っている。


 「そ…その……実は最近、教会に関してよくない噂が流れています。その……新元素の研究が進むにつれて、教会の情報収集がどんどん過激になっているらしいです。近頃、他の都市では、教会が新元素の魔法使いと疑われる人を、無理やり連行する事件が発生したという噂があります。あの……お二人は不思議な道具を持っていまして、魔法に対する認識もこの世界のと違う部分があるようなので……こ…こんなことを言うのはおこがましいかもしれません。ですが私は……心配です……それに、お二人はうちの『アレ』のせいでこの世界に来たようですから、私たちにも責任があると思いまして……その……わっ…私、ただお二人を助けたいだけです!」


 最後の一言、少女は目を瞑って大声で言った。


 彼女は両手で杖を胸にギュッと握りしめて、眉毛は八の字のまま、唇がすこし震え、肩がすくんでショールが床に落ちた。


 「…………………………それを信じろと?」


 「っ!!」


 「……」


 「…………」


 「……」


 「………………」


 少女の口は微かに動き、何回か言葉を飲み込んだ様子だった。


 そして、なにかを諦めたように、俯いて落ち込んだ声で言う。


 「……その、猫森さんが私のことを信じられないかもしれませんが、もしできれば、私のせいでこの世界や、この世界の人々に……祖母に対して悪い印象を持たないでください」


 少女はそれ以上なにも言わず、ただ俯いて、元気のないまま地面を見つめている。目尻に一抹のオレンジ色の光が照り返され、まるで悪いことをして叱られている子供のようだった。


 「………………」


 悠樹も少女を見つめて、なにも言わなかった。


 すこしの間沈黙が続くと、彼は小さく息を吐き、ついに口を開く。


 「……もう出てきていいよ、萌花」


 その言葉を聞くと、魔法薬制作エリアと裏庭の扉の角から、ピンク色の髪の頭がゆるりと昇り、大きくて丸い目をパチパチさせて「もういいの?」と聞いた。


 萌花は立ち上がり、小走りで悠樹と少女のほうへ向かった。


 少女は非常に驚愕である。


 萌花は途中で床に落ちていたショールに気付いた。これは先ほど二人が部屋を調べた時になかったもので、今は少女のそばに落ちている。萌花はきっと少女が下りる時に持ってきたものだろうと思い、それを拾い上げて、そっと少女に掛け直し、「ごめんね」と軽く謝った。


 「ごめんなさい、令狐さん、試すマネをしました。どうか理由を説明させてください」


 頭上にハテナがいっぱい浮かんでいる少女の同意を得て、三人は再び腰を掛けた。彼らは今日、何度も椅子に座った。


 悠樹はさっき萌花に見せた内容を少女に話し、この茶番を打った理由を明かした。


 昼間、魔法が存在するこの世界に来たばかりの悠樹と萌花は、喜びと不安が入り混じり、心が混乱していて、夜ベッドで休むまで冷静になることができなかった。悠樹が昼間のことを思い返すと、自分がどれだけ愚かだったかと罵り、背筋が寒くなっていた。


 少女令狐詩織は彼らにとても親切だったが、なにも考えず自分たちの常識をこの世界に当てはめ、そのまま受け入れるわけにはいかないのだ。


 初めて会った人に家に泊まるように提案されるなど、よく考えれば大いに不自然ではないか?


 この地の人間、或いはこの少女が良い人なだけかもしれない。


 が、二人を捕まえて研究をするために、演技をしている可能性もある。


 異世界から来た1組の男女。


 不思議な道具を持っている。


 未知の素材。未知の技術。未知の文明。


 地球であれば、捕まえない道理がない。その結果は想像を絶するものになるかもしれない。


 良くても<交流>という名目で無期限に軟禁される。悪ければ拷問、人体実験、解剖。


 昼間に人を呼んでこれなかったのかもしれない。


 二人が寝ている間にこの家が悪者に包囲されるかもしれない。


 彼らがこの少女をよく知らないから。


 本当にそこまでのお人好しならば、それは一番いい。


 だが、万が一そうでないなら?


 この異世界で出会う人々が彼らの知っている『人』である保証は、何一つなかった。


 だから二人はこのことを確認しなければならなかった。


 だから悠樹はこのような試しをしたのだ。


 二人で静かに家の内外に人がいないかを確認する。その後、嘘をつくのが苦手な萌花に隠れさせ、<別の世界から来た2人のうち1人が元の世界に帰った>という仮相と、<残りの1人ももうすぐ帰る>という雰囲気を作り出す。最後に会話の中で餌と罠を投げかけ、この少女の反応を待つ。


 悠樹は少女の前で幾度もスマホの機能を使い、地球からの信号を受信できると偽った。それは人間の醜い所有欲を煽るためだった。


 昼間、二人は少女にスマホの機能を見せた時、少女は明らかにこの類いのものを見たことがない反応を示した。


 彼女にとって、それは<手のひらサイズで、瞬時に絵を描くことも、自動で音楽を演奏することも、照明することも、距離を無視し別の世界と通信することさえもできる、元の世界でも相当値が張るミラクルな道具>である。


 もし少女が悪人であれば、<自分が助けた他の世界から来た男がもうすぐ帰ってしまう>という状況で、<そいつを捉えられないとしても、その道具だけでも手に入れたい>と考えるのであろう。


 少女がそんなことを企んでいたのなら、その演技がいかに上手かろうが、悠樹を引き止め時間を稼ごうとするはずだった。


 だが、少女は悠樹とスマホに対して全く不自然な行動と反応を見せなかった。


 人と人のコミュニケーションにおいて、表情や仕草から伝わる情報量は言葉よりずっと多い。表情はもちろん、顔の筋肉の微細な変化、身振りや筋肉の緊張度、話す時の声のトーンや速度など、これらの情報を通じて相手のその時の気持ちや考えを大まかに判断できる。


 いわゆる読心術。これは国際組織の尋問官がターゲットから情報を引き出すために必ず使う手法である。


 もちろん、悠樹は専門的な読心術のスキルを持っているわけではない。けれど、一般人として日常生活で大体使えるレベルまでには、この技術を磨いていた。


 悠樹と少女が話をしている間、少女の表情、仕草、言葉から伝わる情報は、これまで悠樹と萌花が抱いていた彼女の印象と合致していた。特に<他の世界の人間の価値>を問う核心的な質問に対して、彼女のその<人助けをしたのに、その助けた人から疑われた>という反応が演技であれば、地球で最高の演技賞を問題なく受賞できるだろう。


 だから結果は、少女が悠樹の試しに完璧に合格した。


 昼食や夕食をレストランで食べた時、悠樹と萌花は他の人を観察していた。街を行き交う通行人、路上で商売をする店主、談笑するスカーベンジャー、まさかカーデリム果実をそのままかじった悠樹を見てクスクス笑うウェーター、仕事を終えて酒を飲む兵士、和気あいあいとした家族連れ……誰もが自然であり、自分たちの世界の人々となんら変わりなかった。


 もしこれでもこの少女が裏表のない人物かどうかが分からない、この世界の人々が二人の知っていた『人』であるかどうかが判断できないのなら、二人が少女の家から逃げ出したとしても、この世界で生きていくことも到底できはしない。


 とはいえ、実のところ、この茶番が始まる前に、悠樹はほとんど令狐詩織を有害な人物とは見なしていなかった。


 その理由は令狐詩織が良い人に見えたからではなく、<自分たちが夜寝る時間までなにもされなかった>という事実からである。


 ここは少女の家であり店舗でもある。もし彼女が悪人なら、買い物や仕入れ、商品をお客様に届けるなどの合理的なことを理由にして、悠樹と萌花の視界から離れ、二人を捉えるよう誰かを呼んでくることができたはずだ。


 朝、二人が他の世界から来たことを明かした時から、ずっとチャンスがあった。少女が本当に他の悪人を呼んでくるつもりだったら、異世界に来たばかりで浮かれて、頭が混乱していた二人はとっくに捕まっていたはず。だが、彼女がしていたのは、一日中この世界のことを二人に教えることだった。


 それでも、悠樹は少女を試すことを選んだ。それは判断材料を増やし、万が一のために備えるためである。


 彼には確信が持てず、保証できるものもなにもなかったからだ。



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