第0016話
【萌花】
夜。
私たち三人はまたあのレストランに行って夕ご飯を食べた。今回も他の召喚された人は見つからなかった。
詩織ちゃんの家の1階は店舗と調合室で、調合室から出ると庭がある。庭には魔法薬を作るための薬草がたくさん植えられていた。
彼女によると、ほとんどのアトリエには自分の薬草畑があるみたい。自給自足にはまだ足りないけど、薬草のコストを減らせるからって。いい感じだね。
2階は寝室で、全部で3部屋ある。階段から見て外から内に向かって、詩織ちゃんのおばあさんの部屋、詩織ちゃんの部屋、最後に詩織ちゃんのお父さんとお母さんの部屋。
詩織ちゃんは親切に自分の部屋を私に、お父さんとお母さんの部屋を整理して悠樹に貸してくれた。彼女はおばあさんの部屋で寝てる。両親はもう8年以上も帰ってきてないけど、詩織ちゃんはいつも部屋を掃除しているから、すごく綺麗だった。
8年……か。今なにしているんだろう。
お風呂に入る時、やっぱりシャワーもバスタブもなかったね。薪を燃やしてお湯を作って、木桶に入れて水を混ぜ、それを木の柄杓で体にかけるだけだった。シャンプーもないし、昨夜髪を洗ってよかった……詩織ちゃんはいつも石鹸で髪を洗ってるのかな? それじゃあ髪が傷んじゃうよ……
お風呂のあと、悠樹と一緒に脱いだ服を洗って、2階のバルコニーに干した。手洗いなんて人生ではじめて。手洗いってすごい疲れるのよね。やっぱり怠けたい気持ちがあってこそ洗濯機が発明されたんだろうね。
服といえば、詩織ちゃんが貸してくれた服のサイズはちょっと大きくて、ぶかぶか。それに……うん……私たちの服と比べると、ちょっとゴワゴワするけど、まあまあいいかな。この服を着てると、なんか村人に転職した気分~って、うん? なに? この考え。変。それと……下着は……どうしようもなかった……
詩織ちゃんのベッドに座りながらスマホを開いて、時間を見ると22:11だった。もうこんなに遅いんだ。普段ならこの時間、悠樹と一緒にアニメを見てる頃ね。
電波のマークは相変わらず圏外を示してる。でもなんでだろう、電波がないことは分かってるのに、ついつい触っちゃう。
ゲームはネットに繋がないと遊べないし、SNSも、ショッピングサイトも。ああ……ネットに繋がらないアプリなんてなんの役にも立たないよ。
ふとアルバムを開くと、最後の写真は2週間前、ママと一緒にショッピングモールで気に入った服を撮って、悠樹に送ったものだった。
ってああああーーっ!? 今思い出した! 今朝のあの光景! 写真を撮ってなかった! 1枚も!
うう……もし写真や動画があれば、詩織ちゃんにあの異変をもっと詳しく説明できたのに。今思えば、私たちの社交圏が狭いから、写真や動画を撮る習慣がなかったせいかもしれない。
リアルじゃ、親たち以外だと、何人かのクラスメートの連絡先しかない。それも普通のクラスメートの距離感で、休み時間にちょっと話す程度。友達に追加してても、ほとんど話したことがない。SNSも、ほぼおもしろいアカウントとか、ゲームやアニメとかの情報アカウントだけをフォローしてる。自分からなにかを発信することは滅多にない。
毎日起きて朝ごはんを食べて学校に行き、昼ごはんを食べて午後も授業を受け、放課後は家に帰ってお風呂に入って夕ご飯を食べて宿題をしてゲームをやってアニメを見る。そんな毎日。
休みの日も基本家で過ごしてて、たまに今日みたいに外に出かけるくらい。私たちは自分のやったことや食べたものを他人にシェアすることはほとんどないし、新しいことを発見することもあまりない。
パソコンでできることはスマホを使わないし。だからこんなにファンタジーな出来事に遭遇しても、写真や動画を撮るという発想がなかったのかもしれない。
写真が数十枚しかないアルバムをめくる。
悠樹が学校の帰り道に買ったアイスを地面に落とした写真;この写真を撮るために私もアイスを落としちゃった写真;私が座って潰しちゃったゲームのパッケージの写真;ケーキを食べてる悠樹と、その頭の上に指でウサギの耳を作ってる太一おじさんの写真;パパが白ワインをお酢と間違えてママに渡すと、フライパンから火が出た写真。ははは、どの写真もその時の情景が蘇ってくるね。
あ……これは今年のお正月に私たち6人で撮った写真だ。
みんなの顔を見てると、自然と家のことを思い出しちゃう。
「私たちは……帰れるよね……」
なんだか、ちょっと……寂しい……
悠樹はどう思ってるのかな。
立ち上がって隣の部屋の前へ行き、ノックする。
【悠樹】
コンコン。
「悠樹、もう寝た?」
……今行こうと思ってたのに、萌花が先に来た。
ドアを開けて萌花を中に入れて、周りをちゃんと確認してからドアを閉め、かんぬきをかけた。
一緒にベッドの端に座ると、萌花はちょっと落ち込んだ様子で俯いてる。
「うん? どうしたの?」
「……」
「……家が恋しいの」
萌花は2秒ほど黙ってから、ゆっくりと頷いた。
座ったまますこし萌花に近づけて、両腕で抱きしめる。
「……ん……なに言えばいいのかな。おれも家が恋しいよ。でも、”きっと帰れる”なんて無責任なことは言わない。方向は見えたけど、今のところ手がかりはほんのすこししかないし、正直言ってとてつもなくやばい。すぐには見つからないだろう。この世界の文字も一日や二日で覚えられるわけじゃない……でも明日、他の召喚された人を探してみるとか、あの魔法陣におれたちを送り返す効果がないか調べてみよう。まだなにかあるかも。町中を探しても解決できないなら、スカーベンジャーギルドの掃討隊に便乗して次の場所へ行ってもいい。ハハ、まるでゲームの探索みたいだね」
ダメだ、こんなんじゃ萌花を安心させられない。もっとしっかりしないと。
「どんなに今が寂しくて家が恋しくても、それがおれたちのためにはならない。おれたちはちゃんと現実を受け入れ、ここでの生活に慣れて、地道に手がかりを探していくべきだ。それこそがおれたちが帰るのに一番早い方法だから」
すこし身を離して、彼女の両肩を持ち、涙ぐんだ彼女の目を真っ直ぐ見つめる。
「たとえ何があっても、おれはいつもまでも萌花の傍にいるよ」
おれの言葉を聞いて、萌花はゆっくりと、ゆっくりといつもの笑顔を見せてくれた。あの元気で可愛い笑顔を。
彼女の目から涙が頬を伝って流れ落ちる。
「…………うん……そうだね。悠樹がいるもんね……」
そしてまだすこし涙声でそう言ってくれた。
萌花の感情に影響されて、おれも鼻がツーンとして、目がちょっと潤んできた。ああ、もう。なんとか我慢できてよかった。
「悠樹、大好き」
萌花の涙を拭いながら。
「おれも大好きだよ、萌花」
おれたちは互いの唇にキスをした。
またゆっくりと、ゆっくりと、おれたちは落ち着いていった。
「でもセリフがベタだね」
「おい!」
そして萌花はまたおれをからかい始めた。
「ははははは~」
でも確かにベタだったかも……
まあ、萌花の気持ちが落ち着いてくれたならそれでいい。笑顔そこ萌花に似合う。
でもおれも負けないよおおおっ! こしょこしょこちょこちょっ!
「きゃ~! フははははハ~~! ゆ…悠樹がまたイジメるぅ~~!」
うん、これでこそおれたちだ。
「さあ、横になろう。今夜は一緒に寝てあげる」
「うん~? ゆうきくんが寂しがり屋でぇ~萌花お姉ちゃんと一緒に寝たいんじゃないの~?」
コショコショコチョコチョっ!
「きゃあっ!」
令狐さんの両親のベッドはダブルベッドなので、二人一緒に寝ることができる。
おれたちは横になってお布団をかけ、お互いに頭をすりすりした。昼間は快適だったけど、今はちょっと冷えてる。
「にしても、詩織ちゃんって超~かわいいよね!」
「そうかな」
「そうなのっ! 性格もやさしくて親切で勤勉で、見るからにいい子~小さい頃からアトリエを手伝って、11歳になったら魔法の勉強も始めてた。まだ幼さが残ってるお顔にちょっとした強さが見え隠れしてる。はじめて会った時、私たちを警戒してたあの小さな手が杖を握りしめる姿なんて、小動物みたいだったよ。くー~~~詩織ちゃんを抱きしめて、かわいいほっぺたをムニムニしたいよ~~!」
「変態おじさんか。おまわりさんに捕まっちゃうよ」
「ええ~~」
おれたちは話しててすぐに眠くなってきた。この一日でいろんなことがあったから、本当に疲れた。特に心が。
こうして、おれたちの異世界での1日目が終わった。
もし明日目が覚めたら、今日のことがすべて夢だったらいいのに。
そんな淡い期待を抱きながら、人様の家のベッドで夢の中へと落ちていった。
――本来なら。
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